「修道女たち」KERA・MAP #008

6人の修道女の祈りから舞台は始まる。彼女らは巡礼の旅の準備をしており、その会話から修道院の運営が困窮していること、この1年の間に43人もの仲間が非業の死を遂げたことがわかる。亡くなった修道女の兄と称する人物が訪れ、彼女らの巡礼の出立をねぎらうが、妹の墓参りをするという彼が実は妹の墓に花を手向けていないことをひとりの修道女が口にする。6人のうち2人はこの困窮した修道院をわざわざ訪れ、多額の寄付をしあっという間に請願を立てて修道女になった。親子であるふたりのうち娘の方は母の気まぐれにつきあいきれない。彼女らは決して一枚岩ではない。

以前、小沢健二さんのライヴでだったと思うけど、「信じる」というキーワードについて彼がリーディングしたことがあって、信じる人、を英語ではBelieverというけれど、それを訳し直すと「信者」となり、なんだか(特に日本では)遠巻きに見られるような感覚になる、と言っていたことがある。実のところ、信仰というものへの「信じる」行為には、私もどうしても距離を置いてしまうところないとはいえない。信じること自体が悪ではないのはもちろんだが。

物語の中で彼女らはそれぞれの罪を抱えていることが明かされるのと同時に、国家から「迫害」を受けている存在であることがわかるのだけれど、修道女たちの巡礼を心待ちにする村の女の子と、その子に恋心を抱く青年がいて、あの閉鎖空間の中でお互いの信心が互いに牙をむいたりするのかなという予想は全然外れました(女性ばかりの閉鎖空間、で『すべての犬は天国に行く』を私がどこかで思い出しちゃってたからかもしれない)。山荘の管理人とテオにはそうした殺伐さがあるんだけど結局殺していなかったし、こうした閉鎖空間で登場人物の直接的な「死」が舞台上で展開しないというのはちょっと意外で面白かったです。

葡萄酒を前に、そこに自己防衛という名の毒が入っていることを予期して、つまりは相手を疑って安全な道をとるか、善き心を信じてその葡萄酒を飲むか…。修道院長が蓄音機から流した曲は白鳥の湖だった。スワン…スワン・ソングをどうしても連想させるし、その時点でこの顛末が予想できる(スワン・ソングは生前最後に成し遂げる仕事のことをいう。白鳥が死の間際に美しい声で歌うという伝承から)。とはいえ、彼女らのもとには魂の列車が訪れ、自分の欲望のために罪を犯し孤独に侵された青年はその道行をただ見つめることしかできない。そう考えると、信じることのどうしようもなさとともに、だからこその救いを描いているようでもあるなと思った。

キャストはもちろん皆さん素晴らしかったです。ケラさんの会話劇の巧みさを巧みと感じさせないまま物語の世界に連れて行ってくれる巧者揃い。杏ちゃんのオーネジー緒川たまきさんのシスター・ニンニ、あの紅茶のシーンめっちゃよかったな!めっちゃよかった…「どっちが甘いか気になるのね?」めっちゃよかった…(反芻)。犬山イヌコさんと伊勢志摩さん、何気にありそうでなかった顔合わせで、二人とも強力な磁場の持ち主だけど絶妙なバランスで引き合ってる感じがあってスリリングだったなー。最高でした。みのすけさん、集団に対する有象無象の「外圧」を一手に引き受けててすごい。善にも悪にも読み取れそうな佇まいが一貫してて物語の緊張感をしれっと握っている感、さすがです。