「アンチゴーヌ」

  • ロームシアター京都サウスホール B4列12番
  • 作 ジャン・アヌイ 演出 栗山民也

最初は見る予定じゃなかったんですが、東京公演をご覧になった池田成志さんの感想がなかなかよさげな感じだったのと、観た方が皆「生瀬さんがかっこいい」というので、そうですか、なるほど、それはそれは…と東京帰りに京都で途中下車して見て帰るという変則的なことに!

オイディプスのふたりの息子がテーバイの覇権をめぐって戦い、相討ちとなって死んだ後、兄のエテオークルが英雄となって祀られる中、他国の勢力(テーバイ攻めの七将)の力を借りて攻め入ろうとしたポリニスの遺体は野ざらしのまま放置され、埋葬することを禁じられる。オイディプスの娘、兄弟の妹でもあるアンチゴーヌは、ポリニスの遺体に土をかけてやり、そうして時の王クレオンに捕らえられる。

冒頭にこの劇の登場人物たちの立ち位置を序詞として説明していくのがなかなか面白かったです。その説明も単に役の立ち位置というものではなく、それを演じる役者の心情も交えていて、どこか入れ子構造を感じさせるものでした。タイトルロールであるアンチゴーヌを蒼井優さん、クレオンを生瀬勝久さん。十字型に組まれたセットで、序盤こそゆっくりと物語に入りますが、ことが露見してからはとにかく二人の対話、対話、対話です。

クレオンは尊大な、権力を振り回す王というよりは、どこか国と国民の間にたつ中間管理職というか、パストラルなものを愛しながらも、義務をなおざりにすることを良心がゆるさない、という人物造形で、かつ!それをあの美声&うなるほどうまい芝居で生瀬さんが演じるので、もうクレオンに引っ張られる引っ張られる。っていうか最初の第一声からしてもう、いい声爆弾が炸裂しすぎてて、これこのトーンのでずっと!?いくの!?私の心臓保つ!?と真顔になるほどでした。いやーかっこよかったね。膨大な台詞の中に、オイディプスの一族の「ドラマに酔う」性質を痛烈に批判するところがあって、あっすげえ!いいセリフ!メモりたい!とおもった。「法」が出来る前は権力者の指先ひとつで左右できたかもしれない運命も、法の前ではそれは叶わないのだ、というところ、アンチゴーヌに対し、自分の役回りを「損な役回りだが、私の役だ」と語るところもよかったなー。

アンチゴーヌの兄の埋葬に固執する心情が、人間性や倫理観というよりも、個人的な感情に端を発しているように思え、それはそれで説得力があるんですが、そうするとクレオンとアンチゴーヌの対話が「公と個」の論理になってみえてくるので、個人的にどうしてもアンチゴーヌのほうには引っ張られづらい…という部分はあったかな。いやなものはいやだというべきだ、という言葉に快哉をあげられるほどには私はもう若くはないというだけのことのような気もしますが。

梅沢さん、佐藤誓さんなど、良い役者をそろえているので、全方位安心して見られた感じがあります。全方位と言えば、変形舞台を客席が囲む形でしたが、偶数列が段差のないところに設置されていて、かつ前列との感覚が狭いので、低く作られた舞台で低い位置の芝居(寝たまま芝居をする、座り込むなど)が続くと、わあ不思議!こんなに近いのに何にも見えない!みたいなことになってたのがかなりストレスだった。役者と近くなくて全然いいから2階席に行かせてくれ!と思ったぐらいだ。終盤の音楽の使い方も個人的にはしっくりいかなかった感が残った感じはありました。とはいえ、あの生瀬さんの超弩級のかっこよさで十分おつりがきますけどね!ええ!