「Das Orchester」パラドックス定数

  • シアター風姿花伝 全席自由
  • 作・演出 野木萌葱

シアター風姿花伝のプログラミングカンパニーとして昨年から「パラドックス定数オーソドックス」と称して上演されていたシリーズ、今作でオーラス。がんばって足を運んだつもりですが上演期間が限られているのもあって遠征者にはなかなか難しいところもありました。でも1年で3本観られたわけですからやっぱりありがたい企画だよね。なにより、年間通しての各演目と出演者、そして公演期間が明示されていたのが助かりました。これ公演期間がざっくりした情報だけだったら、たぶん1本観られるかどうかだったんじゃないかなあ。

ナチス・ドイツが第1党となり、その支配力を日に日に高めているドイツで、高名な指揮者が率いるオーケストラに新人ソリストがやってくる。楽団のオーディションを受けろと促す指揮者にかれは答える、いいんですか、ぼくは劣等人種です。

フルトヴェングラーベルリン・フィルをモデルにしていると思われる物語ですが、実際の名前は一度も呼ばれません。指揮者はマエストロと呼ばれ、ゲッペルスと思しき宣伝相は「大臣」とだけ呼ばれる。それ以外の人物も名前では呼ばれない。新聞記者、事務局長、秘書…でも、かれらの顔ははっきりと観客の心に刻まれる。

野木さんの作品は、見終わった後その物語で描かれた出来事や人物をついつい調べたくなっちゃう率が異常に高いんですが、今回もフルトヴェングラーを調べて、劇中でも描かれるヒンデミット事件のことを知り、22年前(19歳でこの作品を書いたんですってよ!もう卒倒しそう)の野木さんはフルトヴェングラーのこの新聞投稿から、この「あったかもしれない」物語を紡いでいったのかなあ…と想像してしまいました。

芸術にすべてを捧げ、すばらしい音楽の前では人種も思想もなんらの壁はないはずだ、と信じるひとたちであっても、ああして一歩ずつ「引き返せない河」を渡っていくことになるのか、と思わせるナチ政権側の描写がすごかったですね。暴力にものを言わせるシーンは皆無ですが、ひとつの譲歩を引き出し、その譲歩の穴に手を突っ込んで引き裂いていくような手練手管。おそろしい。心底おそろしいと思いました。

だからこそ、その中で登場人物たちが見せるかすかな抵抗の光がことのほかまぶしく感じられるんですよね。新聞に投稿したマエストロ、それを掲載した記者、ベートーヴェンの第九…。ナチの制服を身に着けながら、楽団の音楽に心をゆさぶられる将校の二面性、語られない彼のバックボーンに想いを馳せてしまうし、あと個人的にいちばん印象に残ったのはユダヤ人楽団員たちに米国での移籍先をあっせんし、きみらが音楽を続けていくことがなにより大事だ、と語る事務局長のあの言葉。弱腰のように見られている彼が見せたその矜持に思わず涙がこぼれました。

ほんとうに見事な群像劇で、今回は女性がその中にいるのも個人的にはうれしかったです。野木さんが女性をどう描くかって、やっぱり興味ありますもんね。ナチの宣伝大臣を演じた植村さん、こういう酷薄な役柄だとことのほかあの美声が冴えに冴える。マジでいい声すぎます。

政治に対して芸術がなしうること、という問題を遠い昔のどこか遠い国のことで片付けてしまうのではなく、思わず自分の胸に手を当てて考えさせられる作品でした。しかし、これを19歳で書いちゃう野木さん、しみじみ、すごい!