「キンキーブーツ」

  • オリックス劇場 3階5列56番
  • 脚本 ハーヴェイ・ファイアスティン 演出 ジェリー・ミッチェル

もともと持っていたチケットを諸事情で手放すことになり、一時は「初演見れたし諦めようかな」と思ったものの、東京公演が開幕すると案の定絶賛しか聞こえてこず、こうなることはわかってた…と思いながらいろいろ手を尽くしました(当日券の電話の繋がらなさよ…)がそれもダメ、万事休す!と思ったら!最後の最後に希望日時を「お譲りします」という方を見つけて奇跡的に入手!文字通り諦めたらそこで試合終了だった!

初演ももちろんすばらしかったですが、同じ座組での再演ということもあって演じている役者たちに自信とプライドが倍掛けで備わっており、その自信とプライドでオープニングから観客をつかんではなさない。幸福な再演だな~としみじみ思いました。そしてたった3年という期間ながら、初演時と今とではジェンダーの問題、LGBTQ、多様性、そういった言葉がもっと深刻に「わたしたちの」問題として認識される時代になってるんだなってことを肌で感じました。それって実はすごいことで、「人間は意識の方が先に代わるから、常に現在が野蛮に感じる」というのはある社会学者の言葉ですが、今の時代を未成熟だと感じることは悪いことじゃないと思うんです。日本版のポスターが、初演は「三浦春馬」と「小池徹平」のドレスアップしたショットだったのが、再演では「ローラ」と「チャーリー」のショットになったのも、「小さいけれど偉大な一歩」だし、それを成し遂げさせたのはこの充実した座組と作品の力だと思うんですよね。

しかし、三浦春馬はしみじみとすごい。いつか時間が経てば、彼以外の役者がこの「ローラ」に挑戦することもあるのでしょうが、その人はとんでもなく高い壁に挑むことになるだろう、と今からしなくてもいい心配をしたくなるぐらい、圧倒的です。すごいのは、単に踊れる、歌える、というだけでなく、この役をやるにあたってちゃんと肉体の重要性を認識し、それを実践して手に入れていることで、そりゃもう説得力が違うよという感じ。出の瞬間から観客の視線を惹きつける華があるのはもちろんなんだけど、なんというか彼のローラには拭いきれない孤独の影があるんですよね。それを打ち消すためには圧倒的に輝くしかない、そのためのヒール、そのための赤、そのためのドレス、そのためのウィッグ。だからなんというか、その輝きに胸をときめかせながら、同時にその背中がどうしようもなく健気に見えて、わけもなく胸がいっぱいになるんです。三浦春馬のローラにはその輝きと切なさが共存していて、ほんとうに得難い存在だなと改めて思いました。

小池徹平のチャーリー、初演はピュアネスが際立った感じが強かったけど、今回は「ありたい自分」とのギャップにもがくさまがリアルで、だからこそあの二幕のローラとケンカするとこ、お前マジで百回土下座しても許してもらえねーぞ!?みたいなことを言うのが非常にヒリヒリしましたね。ソニンのローレンは本当に最高of最高で、ローレンが決して「都合のいい女」な造形になってないのもこの舞台の大いなる魅力のひとつだよなーと思います。

3階席からの観劇だったので、ダンスフォーメーションがバッチリ見られたのが楽しかったですし、とくに1幕ラスト、ベルトコンベアを使った非常にトリッキーなフォーメーションは本当に見事!Everybody Say Yeahの楽曲のテンションも相俟って、1幕ラストなのにスタオベ待ったなしみたいな最高の気分で幕間に突入するのがいいよね。

千秋楽後も演者側から「この座組でもういちど」みたいなコメントがあったりして、具体的な話が出ているのか、そこまでではないのか、わからないですけど、でも観客のみならず創り手も「もういちど!」と思える作品ってそうそうあるものではないと思うので、それが実現することを密かに祈りたいと思います。