「骨と十字架」

  • 新国立劇場小劇場 C5列14番
  • 作 野木萌葱 演出 小川絵梨子

新国立劇場パラドックス定数の野木萌葱さんの新作、演出は新国立劇場芸術監督の小川絵梨子さん。面白かったです!チラシのビジュアル素晴らしいですね。劇場ロビーの飾りつけも工夫が凝らされててよかった。

テイヤールはイエズス会の司祭であると同時に、古生物学者として人類の進化の起源への探求を続けていた。しかし、テイヤールのその思想はアダムこそが人類の唯一の起源であるとするキリスト教の教えに反するものであるとして、テイヤールの処遇が取り沙汰されることになる。

実在の人物を主軸に据えながらも、野木さんらしい物語の立て方というか、ドキュメンタリズムではなく「あったかもしれない」物語の紡ぎ方が相変わらず素晴らしいなと思いました。これもいつものことながら、「あったかもしれない」物語なんだけど、書き込み力がすごいので、ドキュメンタリ的な感覚で見ちゃう部分もあったり。つくづく野木さんは書ける人なんだな~と思います。

彼らのいる時代から約100年後の未来から見ている私たちからすると、人類の進化の起源というのはすでに「歴史的事実」のようにとらえてしまうけれど、そのまさに途上にあった宗教者たちがその事実とどう向き合ったのか、ってスタンスで描かれてる5人の登場人物の造形がそれぞれによかった。ラグランジュは一見、柔軟性のないような人物に見えるけれど、事実がどうかではなく、ただ神に向き合うこと、という一点においてブレず、テイヤールに「確固たる信念」を問いただす場面が非常に効果的だったし、リサンはその一見シニカルなような立ち位置が今の観客にもっとも近い部分もあるんだけど、テイヤールを見る時の「持てる者と持たざる者」とでもいうようなまなざしが印象的でした。リサンが2度、火をつけることに失敗するのも象徴的というか、劇中の原人たちが火を使っていたことはわかっている、火をおこせたかどうかまではわからない、すでにあるものを使ったのかもしれない…という台詞と重なる部分もあるような。

アンリの立ち位置も面白かったですね。テイヤールを誰より崇拝しながら、しかし開いている扉を開けて論文のことを密告したのも彼なのだ。あと、ラストシーンの最後のテイヤールへの問いかけ、「どちらへ行かれます?」は文字通りクォ・バディス、ペテロの言葉だし、この辺り聖書により親しんだ人が観たらより多くのなぞらえがわかるのかもなーと思ったりしました。

テイヤールは学者としての世界の探求と信仰する者としての神への探求は同じところにあると信じ、しかし、リサンの言葉に寄るまでもなく、自分の発見が自分の信仰の足元を揺るがすことに彼は気がついている。しかしそれでもなお、神のみもとへ、と歩く意思。信仰とは信じることではなく、信じる意思そのものなのだというような幕切れ、よかったです。

神農直隆さん、6月下旬に代役の発表があったと記憶してますけど、すらりとした背の高さ、細身にカソックがよくお似合いで、そしてなにしろいい声の役者しか採らないことで有名な(私調べ)MOPご出身の面目躍如でしたね。ハーほんまええ声。そして伊達さん、ほんといい仕事してたな!あの独特の口調、シニカルな佇まい、眼鏡、タバコ…台詞が明瞭で、言葉をほとんど荒げないけど心情がビシバシ伝わってて、爆発した時の牽引力もすごい。すばらしかった!小林さんと近藤さんのガッツリ共演、丁々発止のやりとりが観られたのもうれしかったです。劇中で「長い付き合い」って台詞がありましたが、文字通り長い付き合い(言うまでもなく東京サンシャインボーイズ時代の盟友)のおふたりへの野木さんのサービスかな!なんて思ったりして楽しかった。しかし、近藤芳正さんは積極的に若い演劇人と仕事をしていく姿勢が一貫してて、ほんと尊敬するし、近藤さんのお仕事を追いかけてたら若い才能を見逃さないのでは…みたいな謎の信頼感まであります。

この公演、パラドックス定数の方から重ねてDMで公演のご案内がきてたり、諸事情あって急遽チケットを買い直したんだけどその時はまだ残席がっつりあったりして、ちょびっと客足を心配してたりしたんですが、フタをあけてみれば口コミでしっかり動員されてて、楽前も満員の入りでした。すんばらしい!