「チック」

世田谷パブリックシアターの主催で2017年に日本初演だったんですけど、その時引っかかりながらも観に行かず、するとその年の読売演劇大賞の優秀賞に本作の演出の方のお名前が入っていて、観に行けばよかった…と後悔していたんですよね。いやはや、すごくよかったです。今年のベストに食い込んでくる勢い。再演してくださって本当にありがとう!

もともとはドイツの児童文学書「14歳、ぼくらの疾走 マイクとチック」が原作で、ドイツで2011年に初舞台化。主人公はドイツの寄宿学校に通う14歳のマイク。母親はアル中、父親は浮気三昧、両親は顔を合わせればいつも怒鳴り合いをしている。マイクはあだ名をつけられたことがない。あだ名をつけられたことがないというのは友達がいないからだ。友達のいない、退屈なやつ、そうレッテルを貼られたマイクの学生生活は決して呼吸しやすいものではない。クラス中の憧れの女子の誕生日パーティーにもよばれなかった、冴えないマイク。けれど転校生のチックがやってきた。アジア系ロシア人の問題児。誕生日パーティーに呼ばれなかったマイクをチックは誘いに来る。青い車に乗って。

ひと夏の冒険、と言ってしまえば簡単なんだけれど、それだけですませたくないたくさんのひだを丁寧に描いていて、見ている最中はちょっと冗長かなと思うような場面があっても、最後にはそれらが彼らの人生に必要なものだったのだ、と得心するような物語の流れ、よかったです。マイクとチックがやっていることははちゃめちゃではあるのだが、だからこそ彼らがこの「世界」と触れ合う一瞬の美しさに胸を打たれる、そういうシーンがたくさんありました。中でも、チックがマイクにお前は退屈なんかじゃない、お前と出会って1分1秒退屈だと思ったことはない、誕生日パーティーによばれなかったのはお前が退屈だからなんかじゃなくて、お前がみんなのように女の子のご機嫌とりをしないからだ、と語り、おれにはそういうことがわかるんだ、なぜっておれは女の子に興味がないから、と静かに告げる場面。その告白を聞いたチックが、ここでチックを女の子より好きになることが出来たら、と思いながら、でもそうはなれない自分を感じて、ただチックの肩を抱く、あの場面の美しさは、まるで映画「ムーンライト」さながらでした。チックが「あまり深い意味にとらないで」とマイクに言うところで、観客からひそかな笑い声があがったんだけど、そのあとチックが、それまでただの1秒も神妙だったことなんてないチックが、膝を抱えてうつむいてしまう、それがまるでその笑い声に傷ついているかのようにも見えたんですよね。どうにもならないことなんだ、これは、というチックの声が胸に響くからこそ、マイクがただひたすらに、一身にチックに対する友情を返すのがたまらない気持ちにさせる。

病院で適当にかけた番号の相手が、電話口の向こうで自分たちの心配をしてくれる、そのときにマイクが言う「世界はクソだし、そうやって教わってきたけど、不思議なことに僕とチックはこの旅の間中、クソじゃない人にしか出会わなかった」っていうとこ、たまんなかったですね。それなのに、マイクは連れ戻された家でどうしようもない親に殴られるのだ。ラストシーンの、あのプールにすべてを投げ込んで、投げ込んだソファに座って水の底から水面を見上げるシーンも、よかった。キラキラと輝く水面、美しい世界。ずっと息を止めて沈んでいられるわけじゃないけど、でも思ったよりも長くそうしていられる、ってむちゃくちゃいいセリフ。あまりの美しさに、涙が出ました。マイクにとってチックと出かけた「とんでもなく遠く」へ行く旅は、ずっとそうしていられるわけじゃないけど、でも思ったより長くそこにいられる、ってものそのものだったんだろうな。

あの事故の瞬間のマイクのモノローグ、いろんな「できなかったこと」が駆け巡るのだけど、でもどうせいつか死ぬのなら、それが今でもいいと思った、っていう、あの言葉。忘れがたい。

演劇ならではの表現がふんだんにとりこまれていながらも、文字通りロードムービー、映画を見ている感覚にさせてくれるなと思っていたら、やっぱりドイツで映画化されたことあるんですね。舞台セットをスクリーン代わりにして、手持ちカメラを駆使した演出で面白かったです。小山ゆうなさんはドイツ出身だそうで、脚本の翻訳もご自身で手がけられたそうだ。あと何しろ舞台美術がすんばらしかった…と思ったら乘峯雅寛さん、読売演劇大賞のスタッフ賞獲られてましたね。回転して自在に表情を変える舞台もだけど、あのスクリーンになり天井になり壁になり…という壁面の使い方がむちゃくちゃ印象的でした。

マイクとチックを演じる篠山輝信さんと柄本時生さん、再演ということもあるし私が見たのが楽前というのもあるかもですが、盤石の仕上がりといった感じ。観客を巻き込みながら物語を転がしていかなければならないんだけど、こちらに居心地の悪さを感じさせない絶妙なラインで芝居をしてくれててよかった。5人中4人のキャストが初演からの続投っていうのも作品の質を表してるよなーと思います。

劇中で交わされる「50年後の約束」がどうなったかまでは作品では語られなくて、でもそれは当たり前とも言えて、なぜって今はまだその「50年間」の途中だからね。マイクもチックもイザも、まだbeing on the road、その道の途上にいるんだものね。その途上で、何度も、この夏のことを胸に抱きしめ直したりするんだろうな、そんなふうに自然に思える舞台でした。

公共劇場主催の公演で、演劇作品としてもすごくミニマムで再演の障害になる要素が極めて少ないんじゃないかと勝手に思っていたりして、いずれにしてもこれは上演を重ねていってほしいなーと思う作品です。今回見逃した方も、次の機会がありましたら是非。