「ジョーカー」

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むちゃくちゃ公開を楽しみにしてて、ヴェネツィアで最高賞も獲ったし、前評判も上々だし、ポスターからして私が好きそう!という感じしかなかったし、公開してすぐ観に行けなかったのでネタバレも回避してて、そう、むっちゃ楽しみにしてたんです。しかし、それが裏目に出たのか、なんつーかこう、乗れなかった、このビッグウェーブに。いや違う、この物語の波に。主演ホアキン・フェニックス、監督はトッド・フィリップス

乗れなかったのがなぜなのか、わかるようなわからないような部分があって、これは「ジョーカー」でなきゃだめだったのか?っていうのもそうだし、個人的にはあそこから咲く悪の華が見たかったという思いもあるし…分断されている社会で、今社会の底辺にいるのは他の誰でもない「おれたち」なんだ、という主張の強さを感じてしまったからかもしれないし、アーサーが銃によって力を得て、銃によって制裁する相手が常にステレオタイプで、そこから女性や黒人をたんねんに取り除いている(そして富裕層と底辺の中間にいるのが常に彼ら)なのが気になってしまった、というのもある。

人生のどうにもならなさ、という意味ではケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」のほうが私には数倍深く突き刺さったのだけど、しかしこの映画の厄介なのは、アーサーにシンクロできない=生き辛さを抱えていない、みたいなロジックで語られる部分があるように思えることだ。いやそんな簡単なもんじゃないよね、と思う。結局のところアーサーの精神疾患の問題です、というような曖昧なリアリティラインが予備に引かれている感じがするのも、なんというかフィクションとしていききっていない感じがして、そこも個人的には乗れなかったところだった。

ホアキン・フェニックスは徹頭徹尾すばらしかったですね。殺人のあとのダンスシーンの画のきまりっぷりったら。髪を緑色に染めるシーンもよかった。あの独特の体躯とあの眼力、ほんとひとを惹きつけますよね。

もちろん「ジョーカー」なので、ウェイン家のあれこれもちゃんとなぞられるんだけど、この「ジョーカー」を物語るための装置的な書き込みで、ここから続く物語を想定していないように思えたのも自分としてはぐっとこなかったところでした。