「テッド・バンティ」

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シリアルキラー」の語源ともなったアメリカの連続殺人犯「テッド・バンティ」を描いた映画。原題が"Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile"「極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣」。実際に死刑判決を受けた裁判における裁判長の発言からの引用だそう(映画の中ではジョン・マルコヴィッチが演じています)。監督はジョー・バリンジャー。

彼がなぜシリアルキラーとなったのか、なぜ女性を殺したのか、なぜあれほどまでに残虐なことができたのか、なぜ…という、彼の内面をさぐる、または類推するような描き方は一切していなくて、カメラが映し出すのは「同時代にいた第三者」からの視線。そこがなんともいえないリアルさをもってせまってくる。もちろん、恋人であったリズの視線が大きいですが、リズを離れて映画が描くものもあるので、やっぱり第三者から見たという視線が絶対あると思う。

バンティしか知らないことは基本的に映画でも描かれないので、確かに途中までは、これがテッド・バンティを描いた作品で、その人物が何をやったかを事実として認識していても、「自分がこの映画の時間軸の中にいたら、この人を凶悪殺人犯と思うだろうか」っていう揺らぎを起こさせる。映画を普通に見ていると、突然警察に捕まり、保釈されず、わけがわからないうちに極刑にまで話が及んでいるようにさえ見える。そのことに戸惑いさえする。それぐらい、ザック・エフロンが作り出すテッド・バンティが魅力的とも言える。そして、それが心底、おそろしい。彼のやった凶悪な犯行そのものもだが、私たちはそれを見抜くことができないという事実がおそろしいのだ。

しかし、二度も脱獄し、あれほどまでに過剰な「裁判ショー」を繰り広げていたとは知らなかった。そして脱獄という事実をもってしても(つまり自分は今逃亡犯で文字通り崖っぷちに立っているにも関わらず)女性を襲い、殺し、強姦しないではいられなかったとは。リズとの最後の面会、エンディングの本人映像にマジで削られます。ここまでのシリアルキラー、しかも犯行のすべてを告白したわけではない男、その人物が実際に話すあの短い時間でそれにあてられてしまうというか。

帰宅したらちょうどゴーン被告のレバノンでの記者会見のニュースが流れていて、それについていろんな人が気ままにいろんなことを言っていて、こうしたニュースをショーとして消化してしまうってことについて考えずにはいられませんでした。