「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」

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高校は勉学と自己研鑽の場であって、それに邁進するのみである、それを蔑んで笑う者たちはいつか自分の足元にひれ伏すのだ…と信じていた女子高生が、卒業前夜にその価値観をひっくり返されたらいったいどうするのか?邦題のとおり、「卒業前夜のパーティデビュー」を描いた作品です。監督はオリヴィア・ワイルド

むちゃくちゃ個人的な話で恐縮ですけど、ってこれ私の感想だからすべてが個人的な話に決まっているのだが、モリーがトイレの中で自分の陰口をたたいているクラスメイトと居合わせて、そこで「せいぜい<サービス>してなさい、私はイェールに進学して勝ち組人生を送るのよ」みたいな啖呵をきるところ、正直むちゃくちゃ冷や汗が出ました。そこで彼ら彼女らもそれぞれアイビーリーグへの進学を決めていて、決めていない子は一流企業への就職を決めていて、返す刀で一刀両断にされるところ、倍掛けで冷や汗が出ました。「自分はあんなバカどもとはちがう」という傲慢さ、その傲慢さの根拠のなさ…腕に覚えありじゃなくて身に覚えありすぎた。私もねー!そういう高校生だった。本当に恥ずかしくて顔から火が出るかとおもった、あのシーン。ちょっと人よりたくさん本を読んでいるというだけの普通極まりない女子高生だったのに、ミーと息を吸いハーと息を吐く彼ら彼女らをバカにしていた。バカにしていたから友だちもできなかった!いやー!自分で書いてて耐えられない。

モリー(とエイミー)は自分のその価値観を、この卒業前の不思議な一夜でさまざまなひと、ものと照らし合わせるわけだけれど、この映画の脚本って、むちゃくちゃ狭い世界を描いているようでいて一種のロードムービーですよね。目的のパーティ会場になかなかたどりつかず、そこで出会う人に影響されていくのが面白い。そしてこの時代において枯渇して立ち往生するのはお金ではなくてスマホの充電なのだった!リアル!

羽目を外すとか箍が外れるとか言うけれど、私は自分自身の経験からこれらを「バカになる」と表現してて、それは「他者からどう見られているか」ということを放り投げて、自意識を放り投げてふるまえるか、ってことでもあるんだけど、モリーとエイミーにとってはまさに「バカになる」一夜だったんだなと思う。自意識を放り投げて他者と向かい合えば傷つくに決まってるんだけど、それを超えてなお手を取るからこそ最後のシーンが爽快なんだよね。

モリーとエイミーが自分たちをアゲてアゲて承認しあっていくのがよかった。その中で自分たちを「多面体だ」といっていたけれど、どんなひともそうなんだよね。多面体でない人間なんていない。モリーのあの最後のスピーチはそれを心から「わかった」ひとの言葉だから胸を打つのだ。自分と違う考え方の人間と、相容れないのは仕方ない、でも違うからって相手を「ものをわかってない」と断じることの危険さよ。やってますよね、SNSでも。わたしも、あなたも、やってるんじゃないか?自分は違う?本当にそう?

しかしそれにしても、アメリカ映画における「スピーチ」の重要性たるや…だし、あの「大人の居ぬ間に羽目を外す高校生のパーティー」、よく出てくるけど、出てくるたびにスケールが違いすぎて驚くし、アメリカで高校生やるのも大変だ…としみじみ思いました。

これは完全に蛇足だけれど、私の暗黒高校時代に終止符を打つきっかけになったのは、高校2年生のときに出会った第三舞台への熱狂だったわけです。世界は広く、自分は小さく、この世は知らないことだらけ。そう、エンタテイメントは人生を変えます、まったくのところ。