「プライベート・ジョーク」パラドックス定数

パラドックス定数が芸劇シアターイーストに!勢いを感じる。今回の上演にあたって劇団がyoutubeチャンネルで2018~2019にシアター風姿花伝で連続上演した一連の「パラドックス定数オーソドックス」を無料で公開したのもかなり集客に奏功したのではないでしょうか。

とある学生寮に住む3人の若者。ひとりは文学(劇作)を、ひとりは絵画を、ひとりは映像作家を志しているらしきことがその会話の端々から読み取れる。そこにあらわれる2人の天才。ひとりはどうやら絵画でその道を究め、もうひとりは天才物理学者であることがわかる。

当日パンフのキャスト紹介には役柄それぞれの頭文字しか振られていないが、野木さんはいつも参考文献を当日パンフに掲載されるので、そこにある書名でその頭文字が誰なのかは推察することが可能。しかし、Das orchesterのときも「フルトヴェングラー」という名前は一度も呼ばれなかったように、今回も入念に、丹念に彼らの固有名詞は台詞から取り除かれている。名前を呼んだ方が絶対に楽だし自然だとおもう場面であっても、慎重に回避されている。それによって若者3人が「まだ自分が何者でもない」という焦燥に身を置いていることにリアリティを持たせたかったのかもしれない。現れる天才2人は「闘牛(つまりスペイン)」「ノーベル賞」というヒントも多く、何より「天才」のアイコンになるような人物なので推測も容易であり、すでに「何者かである」存在として現れるのもよい対比だった。

私は今回当パンを読まずに作品を見たので、だんだんとヴェールがはがれるように人物の推測をしながら見るのも面白かった(とはいえ詩人は最後まで具体的名詞が思いつかず)。3人の友情、というか束の間の連帯というか、それに罅が入っていく描き方や、3人の生きることへの覚束なさが、どこか倦んだような天才2人に波紋を投げかけるさまをぐいぐい台詞で描いていくところ、野木さんらしさが爆発してたな。あと同じ場面で違う時限にいるキャラクター同士が会話をする場面が複数あったんだけど、こういう舞台だからこそできるトリッキーな表現が大好物なので、そういう新鮮さも楽しめてよかった。

個人的にはパリに行った画家と映像作家が学生寮に戻ってきて、そこで「出て行ったときのままそこにいる」かのような作家と起こす軋轢のヒリヒリ具合が好きだったな。その前の場面の、学者との「自然界で動かないでいることの不自然さ」という会話がよく効いていた。でも誰しもああいう、自分の足元を見ていることしかできない時間というのはある気がする。

シアターイーストの広い間口をむちゃくちゃ小さく区切っていたので思わず笑ってしまったんですけど、折角の広いコヤなのでそこでしかできない表現というのがあってもよかったよなーとは思いました。キャストの皆さまはもう安定のクオリティ。植村さんの声の良さ、今回も冒頭から大爆発。ありがとうございます。次回公演はしばらくお休みしてからお知らせしますとのこと。楽しみに待っております!