「アメリカン・ユートピア」

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素晴らしかった!多くの人がすでにそう語っていると思うけれど、気にせずに私も重ねて言いたい。本当に素晴らしかったです。私はね、これを、演劇クラスタにこそ観てほしいのだよ。デヴィッド・バーンにもトーキング・ヘッズにも明るくなくても大丈夫、だって私がそうだから!これが好きなひと、絶対もっといっぱいいると思うんだよ~~!!完成されたひとつのショーとして、今この世界にコミットするひとつの方法として、そう、これこそが「ばかばかしさの真っただ中で犬死にしないための方法序説*1なんじゃないかと私は思うのだ。とにかく、ぐりぐりの二重丸でおすすめしたい。緊急事態宣言もあってなかなか映画館に足を運べない状況が続いているけれど、もしお近くで見られる機会がありそうなら、ぜひ足を運んでみていただきたい。

デヴィッド・バーンが2018年にツアーで回り、2019年にブロードウェイで上演したショーを、スパイク・リーが監督。冒頭からバーンが人間の脳の模型を持って語り始める。脳のこの部分は記憶を司る、この部分は…。脳のニューロンのネットワークは、成長するにつれ死滅していく。それはつまり、子どもの頃の方がかしこく、今の我々は愚かだということ?

この映画が最高なのは、観客に提示されるものがきわめて重層的であることで、好きな楽曲、好きなアーティストのパフォーマンスをピュアに楽しむのもよし、スタイリッシュなステージングに目を瞠るのもよし、その構成とバーンの語りからメッセージを受け取るのもよし、自分の今いる世界と照らし合わせてみるもよし…どんな見方もできるし、どんな見方も拒否していない。そこが掛け値なしにすばらしい。

ステージの上に本当に必要なものだけを残したらどうなるのか、という問いへの答えがこのステージになっているというMCがあり、バンドメンバーがそれぞれ楽器を持ち、12人のミュージシャンが縦横無尽にフォーメーションを変えながらステージを作っていくわけですけど、最初はバーンとダンサーだけで、だんだんステージに人が増えていく見せ方もふくめ、むちゃくちゃ劇的なんですよね。劇的で、なにしろむたくたにカッコイイ!!

そうそう、あの複雑なフォーメーションで、床にバミりのあとがない(これは観劇クラスタの癖というか、どうしても床を見ちゃう)のが何のマジックなのよー!って感じでしたが、映画の最後で幕内のメンバーが映る時に、ジャケットの肩のところに紫のピンみたいなものが見えて、もしかして床のバミりはないけど対人の距離感はそれで図れるようになってたりするのかな~とか思いました。再見できたら確かめてみたいな。それにしても、あの楽器をつけたまま演奏し、動き回る彼らのハードさよ!最後のカーテンコールで、背中に滲んだ汗が羽のようになっているのが美しかった。

トーキング・ヘッズもまったく通ってない私ですが、しかし楽曲の良さに何度も身体が揺れました。むちゃくちゃキャッチーだし、なによりパフォーマンスが最高なのでぐいぐい引き込まれる。なかでも「Lazy」や「I Zimbra」のたまらないカッコよさったらなかった!!!あとバーンがギターを持つとなぜか異様に興奮してしまった。「I Should Watch TV」の演出も好きだったなー。

上演された2019年を象徴するというか、MCでバーンは何度も選挙の話にふれて、20%の投票率って客席のこれくらいの人だけってことだよ!とか、投票した人の平均年齢は57歳、若い方はご愁傷様、と言ったり、このショーでかれがしようとしてることはなんなのか、というのが常に一貫して示されていたとおもう。

それは最終盤の「Hell You Talmbout」からフィナーレへ続く構成でもっとも色濃く表現されていて、ジャネール・モネイの曲をカバーしたというこの曲のときには、歌の中で叫ばれる「彼ら」「彼女ら」の写真とそれを掲げる家族のショットが差し挟まれる。ここはスパイク・リーならではとも言える表現だけど、曲を紹介したときにバーンが言った言葉もすごく胸に残った。「この曲をカバーしてもいいかと彼女に聞いたんだ。白人の男が歌ってもいいかって。彼女は快諾してくれた。全人類に向けた曲だから、って」。大坂なおみさんがマスクにひとりひとりの名前を書いていたことを思い出させる。名前というものの持つパワーを。

そしてショーは「One Fine Day」に続く。ニューロンのネットワークは幼いころに喪ってしまったかもしれない。でも我々はまだ途上にあって、自分を改革することができる。つながることができる。アカペラで歌われる楽曲はまるで讃美歌のように響く。そして「Road to Nowhere」。もはやここで私は涙が止まらず、ずっとしゃくりあげるように泣いてしまっていた。劇場を練り歩くバンド、行進のリズム…多幸感という言葉だけでは足りない、胸が熱いものでいっぱいになってコップが溢れそうになるあの感じ。

降りた幕の中で、メンバーがハイファイブしながら讃えあう。ステージドアから自転車で出てくるバーンに思わず笑笑った。そしてショーの中でも触れられた、「Everybody's Coming to My House」。デトロイトの高校生たちによる歌だ。劇中でバーンはこの楽曲について「よく聞いてもらえればわかるけれど、この登場人物はどこかでみんなを遠ざけている。早く帰ってほしいという気持ちが伝わる。けれどデトロイトの高校生たちが歌った曲を聴くと、本当に心から歓迎しているように聞こえるんだ。…ぼくもそっちがよかった。でも、ま、こんな人間だからね」。

これは今現在69歳のデヴィッド・バーンが、自分を変えて、繋がっていこうとする物語でもあって、少なくともそう読み取ることをバーンはゆるしていて、そのことにこんなにも心が揺さぶられるのが自分でも不思議でした。今までの人生を彼の音楽と分かち合った経験もないのに。でも、そんな距離をなくしてくれるのが音楽のちからなのかもしれないですね。

冒頭でバーンが「わざわざ劇場に来てくれてありがとう」というのは、本国の上演時期からしてもコロナとはまったく関係がないのだけど、今の日本でその言葉を聞くと、まさに時宜を得た歓迎の言葉になっていて、なんだか不思議でした。本当に映画館に足を運んでよかったです。そして、舞台のうえで表現されるものに、それが音楽であれ、演劇であれ、ほかの何かであれ、魂のかけらを捧げたことがあるひとには、この107分、21曲のショーに触れてみてほしいと思う。バーンは言う、「ステージの上から一番大切なもの以外排除したら何が残る?残るのは、我々と皆さんだけ。」どうか劇場で、映画館で、その密な時間を体験してほしいと心から思います。

*1:庄司薫さんの著作に出てくる言葉