神様からの使いの者です

このエントリには野田地図「フェイクスピア」のいわゆるネタバレが含まれておりますのでご了承ください。

東京芸術劇場での観劇が、いろいろあって万全の態勢で受け止める、というようにならなかったので、もともと大阪公演の千秋楽だけチケットを取っていたのだけど、その前にフラットに戻す意味でも一度見ておこうかな、と思い大阪公演開幕間もないチケットを追加で買っていた。

これがよかった。

演者の出来がこの日格別どうだったというわけではなくて、観劇する私の波長とぴったり合ったという感じだった。2階の最後列に近い場所からというのもよかったのかもしれない。とにかく、すべてのセリフ、すべてのシーンがみずみずしく感じられ、終盤にはあまりに自分の中で高まりすぎて、近年ないぐらいに涙滂沱という風情になってしまった。

東京公演を経て芝居はまさに今が食べごろという具合に熟しており、そのアンサンブルの見事さも耽溺した。冒頭のモノローグから、ミリ単位というような繊細さで声色を変えてくる高橋一生の見事さ、座長の風格たるや。この芝居全体が、白石加代子という不世出の女優の「憑依」を外枠にした入れ子になっていることもようやく腑に落ちた感があった。

それにしても、monoと楽、高橋一生橋爪功を親子の役に配したのは、まさに野田秀樹の慧眼といってよい。これで子の役を橋爪功ではなく、高橋一生とそう変わらない年代の青年に振っても劇中の台詞が成立しなくなるわけではないが、おそらくその場合には痛々しさが増してしまい、本当に届けたいものが届かなくなってしまったのではないかと思う。

橋爪功だからこそあのラストを受けきることができるのである。芝居のうまさという点でも、もちろんそうだし、存在として受けきる余裕を醸すことができるのだ。

最後にあのブラックボックスを父に投げ、頭をあげろ、その父の言葉を語る橋爪功のあのトーン、過剰にエモーショナルになるわけでもなく、声を張り上げるわけでもなく、淡々と、抑えて、抑えて、それでも両の手からこぼれ出る感情のみで紡がれる「生きる」言葉。

ただただ素晴らしかった。

大阪公演が行われた新歌舞伎座は言うまでもなく近鉄劇場近鉄小劇場の跡地だが、わたしがいま、17歳で初めて第三舞台を見たころに戻って、この芝居を見たら、きっと「こんなにすごいものがこの世の中にはあるんだ」ということと、「それを知らずに生きてきたのか」という想いとできっと眠れなくなるぐらい興奮しただろうとおもう。

そういう自分を思わず想像してしまう夜だった。

作品をご覧になった方には言うまでもないが、この芝居は36年前の日航機墜落事故を題材にとっている。公演発表があったときの、野田秀樹が公式サイトにアップしたテキストを今読むと、答えを知ってから読むとそうでないのとではこんなに見える景色がちがうのか、という感覚を味わえる。

日航機墜落事故を題材とした演劇作品は過去にもあって、このブログにも書いたが、中でも燐光群の「CVR~チャーリー・ビクター・ロミオ」と離風霊船の「赤い鳥逃げた…」は有名なものだろう。私は奇しくもどちらも観劇しているが、「フェイクスピア」も含めたこの3作品にはひとつ、共通する事項がある。それは、その現場で発せられた「言葉」を、加工せず、脚色せず、そのまま舞台の上に乗せている、という点だ。CVRは文字通りコックピットヴォイスレコーダーの再現*1であり、「赤い鳥逃げた」ではボイスレコーダーの記録ではなかったが、事故の生存者の言葉をそのままクライマックスに引用していた。

このことと、野田秀樹が「私ごときに創りかえられてはならない強い言葉だからである」と書いたことは決して無関係ではないだろう。それは敬意と言ってもいい。フィクションに携わるものとしての、ノンフィクションへの、現実への敬意。

だが、今では、このコックピットヴォイスレコーダーの言葉さえ、切り取られ、はぎ取られ、そこだけがネットミームになり、独り歩きをする。いや、独り歩きさせてしまう。この日航機墜落事故における「言葉」だけではなく、今やSNSでどんな発言、どんな書き込みも、一部が拡大され、一部は消去され、事実なんて知ったことかと言わんばかりに言葉の印象だけが拡大再生産されていく。

野田秀樹がこの作品のなかで、これは生きるための言葉だと語り、それをあのような形で舞台で再現したことは、絶対に切り取ることのできないものがこの言葉にはある、この世界にはそういうものがある、そう信じる、という彼自身の決意表明のように思えるのだ。

永遠プラス36年目の今日、改めてそのことを思い出させてくれた、それだけでもこの作品が果たしたものは大きいのではないかと思う。

頭をあげろ。

神様からの使いの者たちの、使者の、死者たちの魂が、ただ安らかであることを、改めて祈らずにはいられない。

*1:ちなみに「CVR~チャーリー・ビクター・ロミオ」はオムニバスであり、日航機墜落事故だけではなく、海外の飛行機事故のCVR再現もある。もともとはアメリカで上演されたもので、日本版は燐光群が共同演出で上演した