「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

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トムホピーター最新作。監督トム・ワッツ。
ここまで読んでまだこの映画見てない人、情報開示できるのはここまでなので潔く回れ右して映画を見てからこの先をご覧ください。よろしくお願いします。

傑作、いやもう、傑作であった。日本は公開が遅れて年をまたいでしまったがゆえに、2022年ベスト級がど頭にくることになってしまった。2021年内に見てたら間違いなくこれがあらゆる年間ベストを差しきったであろうと思わせる、それぐらいの出来。単品として精度の高い脚本であるというだけでなく、それを幾層ものレイヤーを重ねて、なおかつ物語が美しい弧を描いて着地するという、いや製作者の頭の中どうなってん!?!?と腰を抜かすほかない。つかこれ、いつからこういう構想だったんですか?最初からこの着地点が見えてたの?ソニーに権利を売ったばかりにMCUが隆盛を極めてもすぐには参画出来なかったスパイディがとうとう帰ってくるぞ!となったあの時からここが見えていたのか?そうとしか思えないほど完ぺきすぎる。でも、リアルタイムであった紆余曲折を考えると必ずしもそうでなかったのもわかるし、いやー…奇跡。奇跡っすわ。

前作ラストでミステリオの罠により正体を明かされ、かつミステリオを害した嫌疑までかけられちゃうピーター、自分だけじゃなくてMJやネッドまで好奇の目にさらされ、その進路にまで影響が出てしまう。思い余ったピーターはドクター・スティーヴン・ストレンジに助けを求め、自分がスパイダーマンだという記憶を人々から消せないかと懇願する。

どこから書いていいかわかんないけど、とりあえず私は冒頭で出てきたピーター達の弁護士がマット・マードックだった時点でかるくしにました。全然予想してなかった…!ホークアイの方にキングピンが出てきて、そっか~、ということはチャーリー・コックスのデアデビルもどこかのドラマで出てきたりすんのかな~、ファイギが「出てくるなら彼にやらせる」言うてたしな~~、と思ってはいたものの、まさかソニピクのスパイダーマンの方で出てくるとか思いませんやん!やん!ちゃりこさん「出てないよ」言うてたやん!やん!いやそう言うしかないですけども。もう嬉しくて、嬉しすぎて、危うく立ち上がりかけたよ。なんかもっと長いシーンを撮ったという話も仄聞しましたが、どうにか見せてもらえんかその映像を…。

アンドリュー・ガーフィールドトビー・マグワイアという「2人のピーター」が出るのでは!?マルチバース展開がそれを可能にするのでは!?という噂は結構早くから出たり消えたりしていて、そして北米での封切りが先行したこともあってガーくんピーターが出るという決定的なバレを踏んでしまっていたので、出てくるときは「あ、ここだなあ」と思ってはいたんですよね。でも、初日のレイトで見たんですが、そのシーンで観客席がむちゃくちゃ沸いたんですよ。それはトビーピーターのときもそう。こういうのってやっぱり映画館で味わえてよかったって気持ちになります。あと、「出てくる」ってことはまあ、バレで知っていても「どういう出方をするか」ってことは全然知らなかった。だから、この3人の展開がこんな風に帰結するとは…!っていう、そのストーリーテリングのうまさに後半ほぼほぼ口を開けてみていたおれだよ。

2人のピーターがそれぞれの「スパイダーマン」の世界と地続きな存在としてそこにありつつ、末っ子MCUピーターを助けようとしてくれたこと、3人だからこその会話のやりとり、そして2人の抱えている「癒えない後悔」をここであらためてやり直させてくれるという神展開。なにがすごいって、そのためにストーリーをねじまげている、というような無理な部分がどこにもないんですよね。マジで完ぺきに美しいのよ。いやほんと、どうしたらこんなストーリーを考えられるんだ!?トビーピーターとドクター・オクタビアスの会話、「努力してます」のはにかみ、そしてMJを助けるガーくんピーターの、あの表情よ…!あれこそまさに、役を半透明に通して役者が見えてくる芝居そのものじゃないでしょうか。途中でネッドが「治療しまくるぞ!」というけど、ほんとに観客も治療しまくられちゃったね。ガーくんがパンをMJにぶつけられて、「ムズムズは!?」「パンは無害だから…」っていうところ、キュートすぎて悶え死にしそうになったし、青年牧師みたいって言われちゃうトビーの佇まい、まさに!でほほえましかったし、はースパイダーマン1・2・3愛おしすぎたな。

あと、「大いなる力には大いなる責任が伴う」。これはやっぱり絶対にやるんだな。トムホピーターは出発点にトニー・スタークという存在がいたので(そして彼と死別したので)、トニーがベンおじさんの役割なのでは、という声も少なからずあったけど、今にして思えばこの3作目がまさにトムホピーターの「スパイダーマン:オリジン」だったんだなっていう。マリサ・トメイをメイおばさんにもってきた慧眼よ。だから本当一体いつからこの展開が見えてたんですか。MCUケヴィン・ファイギおそろしすぎるのよ。

復活したヴィラン組の仕事がすばらしかったのも、本作を傑作に押し上げている大きな理由ですよね。アルフレッド・モリーナのドック・オクはもちろん、ウィレム・デフォー!!あんたはやっぱり嬉しい男だよ。何度も「これだよ~~これがヴィランだよ~~!!」と打ちすぎて痛い、膝が。あのコンドミニアムでの変貌からスパイダーマンとのバトルに至る所、馬乗りになったピーターに一発殴られる度に表情が黒い歓喜に歪むあの演技!!すごすぎたね。

最後にはトムホピーターは、世界の裂け目を閉じるために、自分を忘却させる魔法をストレンジに頼み、ストレンジはそれを叶える。大事な恋人、一番の親友、自分を信じ支えてくれたものすべてが「自分を認識しない」世界を、彼は選ぶ。すべてが終わった後、ひとりで部屋を借り、高卒認定をとるためのテキストを用意し、ひとりでスーツを縫って、かれはピーター・パーカーとスパイダーマンという二つの顔を引き受けて、親愛なる隣人として生きていくのである。

この結末。あまりにすごすぎて、いやもう感嘆のため息しか出ない。メタ的なことを言えば、これは「つぎのスパイダーマン」への完ぺきな橋渡しといってよく、トム・ホランド自信は今作でスパイディとしては最後、というようなことを口にしているようですが、その気持ちもわかる。3部作だけでなく、トビーピーターとアンドリューピーターも含めた過去の「スパイダーマン」作品の締めとしてこれ以上のものはちょっと考えられないからだ。とはいえ、ここまで大ヒットしたので、そうそう放っておいてくれないだろうという気もしますが。

今作でのピーターの決断は、今までの彼を見てきたものとしてはあまりもやるせなく、さびしさがつのるものではある。どうにかなんないんですかね、そう思いもする。でも、この作品のラストのピーター・パーカーは、孤独ではあるが、哀れではない。この先に彼と、MJと、ネッドの人生が再び交錯することがあるのか、それぞれがまた別の大切なひとを見つけるのか、それはわからない。でも、あの世界の誰もが知らなくても、ピーター・パーカーはそこにいて、今日も親愛なる隣人としての役目を忘れていない。誰も知らなくても、観客である我々だけは、そのことを知っているのである。

そしてエンディングがDe La Soulの「The Magic Number」って!!!どこまでキメてくるん!!!Three is a magic number、3は魔法の数字だよね…うううう。

トムホピーターがこれで最後でも、最後でなくても、シビルウォーでのキュートな登場から、トニーとの関係から、恋から友情から、世界の孫とまで言われてみんなに愛されたあなたのスパイディをリアルタイムで見られたこと、本当に大いなる楽しみでした。たかが映画、されど映画。たかがエンタメ、されどエンタメ。大袈裟でなく自分の人生も引き受けていこうぜ、と思えたし、そういうエンターテイメントに触れられることが自分には必要だということがよくわかった夜でした。スパイダーマン最高!!!