「鷗外の怪談」二兎社

2014年の初演は拝見しておらず、今回初見です。木野花池田成志の顔合わせに弱いわたし。作家として精力的に活動する一方、陸軍軍医として政府中枢に属していた森鷗外の社会と家庭という二面性、さらには家庭の中での夫としての立場、子としての立場という二面性を描いた作品。

二面性、と書いたけれど、もちろん、実際の森鷗外がどんな人物だったかはわかりませんが、少なくともこの作品においては、殊更に「二つの顔」というような印象を持たなかった。二兎社のホームページの作品紹介の中に「言論・表現の自由を求める文学者でありながら、国家に忠誠を誓う軍人でもあるという、相反する立場を生きた鷗外」という部分があるのだけど、国家に忠誠を誓うことと言論と表現の自由を求める文学者って相反するんですかね、とおもう。

ただただ政府の面子と数合わせのように逮捕され起訴された大逆事件の被疑者のひとりについて、その人物の素晴らしさを涙ながらに語り、減刑を懇願する家政婦の手を取る一方で、その大逆事件の行き着く先を決めるその場に居合わせていたことを淡々と抱え続ける。確かに危うい二面性、と言ってもいいかもしれないが、でも、多かれ少なかれ、人間みんなこういう場面を経験したことがあるんじゃないですか。経験して、それはそれとして両方を飲み込んだまま、飲み込んでいないような顔をしてみんな生きている。人間とは多面体であって鯨を保護した同じ手で便所の壁に嫌いな女の電話番号書いて…というやつです(「キレイ」より、「ここにいないあなたが好き」。名曲ですね)。

少なくとも私は、あ、これ、わたしでもあるなあ…と思いながら見ていたし、劇中の「そういう鷗外」を断罪するような描き方をしていないところはさすが永井愛さんだなあと思いました。あと改めて台詞がうまい脚本家のホンはいいなあ、とも思ったね。どんな場面でも淀みがなく、むちゃくちゃ飲み込みやすいように描かれている。そのかわり、飲み込んだ後でいろんな味がしてくるのがまた、匠の技だぜ。

松尾貴史さんの鷗外、すごくよかったですね。まず声の良さ!そして軍人としての「森林太郎」も、作家としての「森鷗外」も、地続きの人間であることを感じさせるナチュラルで丁寧な芝居作り、見事な芯だったと思います。成志さんと木野花さんが間違いないのはいわずもがな。安心して芝居に没入できる座組で楽しめました。