「エルヴィス」


バズ・ラーマン監督。名前は勿論知ってる(誰でも知ってる)けど当然リアルタイムで追ったスターじゃないし、展開が絶対ヘヴィーだよな…という尻込みする気持ちと、でもバズ・ラーマンだしなー!という気持ちがせめぎ合った結果、系統からして映画館で観た方がいいやつだよねやっぱ、ということでねじ込んで見てきたヨ。結構な長尺で159分!プレスリー役はオースティン・バトラー。

これってある意味アメリ音楽史を描く映画でもあるよな、というのをすごく感じたし、そのプレスリーのルーツに対する敬意と、そのルーツの持つパワーを表現しようという情熱がこの映画から一番濃厚に感じられた香りだった気がします。あの時代には、為政者たちが、もっと言えば白人男性の為政者たちが勝手に作りだした「常識」「法則」がまかり通っていて、でもエルヴィス・プレスリーという人はそのボーダーラインを乗り越えるんじゃなく、塗りつぶしてきた人なんだってこと。どうやって塗りつぶしたか?カッコよさで。カッコよさが何もかもを超えるし、どんなものでも吹き飛ばす。お偉いさんが何を言おうが、激しくシェイクする腰に目くじらをたてようが、黒人と白人の融合を招くと存在しない危機を叫ぼうが、見ればわかるし、聴けばわかる。わかってしまう。どっちがカッコいいかってことが、どっちがイカした音楽かってことが、勝手に引いたボーダーラインの内側の世界が、いかに狭いものかってことが。

プレスリーの行く手を遮ったものが人種隔離政策を支持する保守層だっていうの、ほんと今この時代から見るといやマジで何言ってんだ…ってなるし、それでも「最後には自分だ」といってやりたいことをやりたいようにやったプレスリーのかっこよさよ。いやわかる。有名な、絶叫して我を失ったような数多の女性たちのモノクロ映像、ニュース映像とかで見たことのあるあれ。ああなりますよね。わかるよ。

ミュージシャン伝記ものの映画には、なぜか悪徳マネージャーがつきものですけど、いやパーカー大佐、その中でもボス中のボスっていうか、悪の親玉っていうか、諸悪の根源っていうか、いやこれ悪口いくらでも出てくるな。搾取のなかでももっとも規模のでかい、悪辣な搾取。しかも音楽にビタイチ理解がないのが本当にいや!エルヴィスにだっさいセーターなんか着さすなよ!!トム・ハンクスさすがにうめえわ。うめえし、うめえからこそ腹が立つんだよ!(思い出し怒り)あれだけの才能を、吸い尽くして、骨までしゃぶって、ほんと地獄に落ちてほしいと新鮮にそう思いました。あのベガスでのショーの5年契約のところ、紙ナプキンの契約(どうして向こうの人は紙ナプキンの契約が好きなの?)、達成感にあふれたエルヴィスとハグした手で掴んでいる負債の放棄の文字…ハーア。エルヴィスが袂を分かとうとしたときのあの…あの表情。トム・ハンクスてめえ…(トム・ハンクスへの熱い風評被害

なんか共依存というにはあまりにもプレスリーがかわいそうつーか、本当に檻に閉じ込められたような生活のありさまに見ているのがキツイ…ってなっちゃいましたね。パーカー大佐と縁を切れていたら、まっとうに印税がエルヴィスの手に入っていたら、ワールドツアーが実現していたら…。もっと違う人生が彼にはあったはずだし、その資格があったのに!と思わないではいられないよ。倒れたエルヴィスの頭を氷水に突っ込んで無理矢理クスリでステージに立たせるあの場面…うわーんお母さんが生きてたら絶対こんなことさせないのにー!ばかー!ってなった。まじでキツかったっす。

そうそう、エルヴィスがアメコミが好きで、キャプテン・マーベル・ジュニアがお気に入りのヒーローで…っていうのはリアルな話なのかな。永遠の岩…ロック・オブ・エタニティ…なんか出来すぎのようにも思える符丁だ。だとすると、あのマントを広げたような衣装も、そういう憧れの発露でもあったのかな。

伏し目がちで、歌う時のオーラ爆発してて、全身から色気しか漏れてませんが何か?みたいな佇まいをオースティン・バトラーがすごくよく体現してたなー。こんなん好きになっちゃうよなー!ってなったし、だからこそパーカー貴様そこになおれってなるしで心が千々乱れた2時間半でした。