「ひとつオノレのツルハシで」

本当は歌舞伎座の三部のチケットを取っていたのですが、前日に中止が決定してしまい、マジか…代わりに何見る…(見ないって選択肢ないのか)と右往左往した結果、たまたま鈴木裕美さんがツイートされてるのを見つけて、作家の方存じ上げないけれど、裕美ねえなら間違いないか!ということで当日券で拝見してきました。

登場人物は3人、夏目漱石とその妻鏡子、そしてそこにやってくる一人の男。実は劇作上は「漱石」の名前ではないのですが、作品名はそのままなので、はっきりと漱石をモデルにしています。

脚本のくるみざわしんさんは精神科医でもあるということで、なるほどと膝を打つ思い。いわゆる小劇場ど真ん中な公演形態ながら、作品が落ち着いているというか、おれの言いたいことをとにかく言う、というものではなくて問いかけ(疑問)、その反応、解釈、というふうにベクトルが内へ向かっているのが面白いなと。漱石はなぜ「こころ」を書くに至ったのか?という心の動きを追おうとするっていうのはなかなかない着眼点ですよね。

第一幕ではいかにも世慣れた男として現れた常が、その後田中正造に感化され、足尾銅山の問題と向き合い、その田中正造を喪ったあとに漱石を訪ねてくるのが第二幕。ここでの常から漱石への問いかけというのは、実のところ作家(広く言えば芸術)はどれだけ社会とコミットすべきなのか、コミットしていない芸術に価値はあるのか、というような大きな命題で、「世間知らずのうらなりしか書かない」「一度谷中村に足を運んだらいい」と突きつけられるわけだけど、漱石がそこでうろたえず現実と自分が書くべきものの距離を見失っていないのがよかったな。

最後の加々見と常の対話もすばらしかった。「女のおまえにできるわけねえ」「女だからできるんです」。谷中村に戻れと諭す加々見に「おれに死ねって言ってるのか」「そうなるわね」と返すシーン、よかった。彼女もまた抑圧された者であって、だからこそ「ここもまた敵地」という正造の臨終の言葉を受け止めることが出来たんだろうなと思う。

ザムザ阿佐ヶ谷、お名前はかねがねという劇場ですが初めて来ました。最前列の端っこだったので、ちょっと舞台袖の効果をやる人が見切れちゃってたのもま、ご愛敬かなと。鈴木裕美さんの演出も手堅く、その中にもあのペンが動くところや最後の紫の炎など、おっ!っと思わせるワンダーを仕込んでくるのがさすが。90分の上演時間でなかなかに噛み応えのある作品、見て良かったです。