「ミナト町純情オセロ~月がとっても慕情編~」

2011年に上演された「港町純情オセロ」の改訂上演で、主演に三宅さんちの健ちゃんをお招きしての公演。個人的には①そもそもシェイクスピア作品の中でもオセローが苦手の部類②前回上演それなりに楽しかったけど「オセロー」の苦手部分はわりとそのまんまだった記憶③クソ長い、という要素が重なり正直足を運ぶの気が重かったところがないとはいわない。駄菓子菓子!思いのほか楽しめたというか、ブラッシュアップのお手本のような改訂じゃねえかよと唸る部分が多々あり、最終的にめちゃくちゃ満足して劇場をあとにした次第。

今回の改訂の一番の勝因は、なんといっても原作におけるイアーゴーを女性に置き換えて、さらにその女性が「オセローにとって恩人」の立ち位置に近いこと、そのキャラクターを掘り下げて書いたこと、そしてその役を高田聖子が演じたことにあるんじゃないかと思います。オセローの面白さってイアーゴーをどう描くか、にけっこう依る所があるんだなと改めて実感させられたというか。

イアーゴーの動機については数多の研究がなされてきたと思いますが、今回のイアーゴー=アイ子は大きな虚無を抱えた人物として描かれていて、それは夫の死により引き起こされたものではあるものの、それ以前から彼女を苛んでいるとも描かれています。夫を庇ったことで跡目を継ぐ位置に立ったオセロが、実はそうではなかったとしたら、という疑惑はその虚無に火をつける火種として作用するわけですが、いやもう、これを演じる高田聖子の凄さたるやですよ。シェイクスピアお得意のモノローグとダイアローグがひっきりなしに入れ替わる台詞を完全にものしているだけでなく、なによりあの「テネシー・ワルツ」!あれはこの舞台の白眉といってよく、あの1曲だけで彼女の抱えた虚無が立ち上がってくるようで、まさに劇的瞬間にほかならない。選曲・演出・演者の力量、すべてがかみ合った最高の場面でした。

イアーゴーが女性になったことで、「デズデモーナへの横恋慕」みたいなノイズもないし、オセロにとってアイ子が「姉さん」的な立ち位置にあることで、オセロが年若の部下の手のひらで踊らされるという色合いが薄れ、ピュアさが立つキャラに見えてくるのも、今回のキャストをみてもハマった改訂部分だよな~と唸っちゃいます。

原作の「オセロー」は、イアーゴーの舌先三寸で転がされまくるわけですが、フラストレーションがたまる一つの要因は、いい年したおっさんがまるで陰謀論にはまるように一つのものの見方しかできなくなるさまがこれ以上ないほどじっとり描写されてるからってのもあると思うんですよね。マジで「いいからその前に二人で話し合え!」って野暮なツッコミをしたくなっちゃう。でも今回はオセロの年齢をぐっと下げ、ある意味「ロミオとジュリエット」的なオセローとデズデモーナになっているので、そのフラストレーションを感じずに済んだなって部分もありました。そもそも、健ちゃんってオセローのニンかというとそうでもないし、このキャストなら若いふたりをロミジュリにした大胆改訂でもよかったかもしれない。もーう分別ないですわたしたちー!みたいなバカップルぶりもこのふたりだと楽しく観られるし、嫉妬に狂った、というより愛×若さ=暴走、みたいな末路だったのも個人的には納得のいく描写でした。

あと、これもうまいなと思ったんですが、原作のエミリアビアンカといった役をカナコさん、さとみさん、エマさんらに振り分け、それぞれのキャラもちゃんと掘り下げている点。カナコさんの元夫の川原さんという設定、さとみさんの夫が獄中という設定、いずれも余すところなく活きてるし、このふたりがモナのために奔走するさまがリアルであればあるほど終盤の悲劇が映える、という作劇のうまさよ!劇団女性陣の底力を見た思いです。

そのままでは飲み込みにくいシェイクスピアをアレンジしてお届け、みたいな公演って本当に枚挙にいとまがないですが、いや結局原作の偉大さよ、となる公演も多いところ、前回上演を踏まえて確実に磨きをかけた面白いものに仕上げてくるの、さすがだなと思いましたし、とはいえこの長尺をほぼ台詞の力で引っ張れる元を書いた沙翁、やっぱ偉大だぜとも改めて実感したりして。いやーシェイクスピアの懐の深さ底知れないぜ!