いやーまさか勘九郎さんが源五兵衛をやる日が来るとは、しかも三五郎とダブルキャストで!勘三郎さんもやってはいるけども、籠釣瓶とかと違って明確にこの役への憧れとかあまり聞いたことがなかった。コクーン歌舞伎で三五郎をやったの、あれもう15年前なんですって。個人的に大好きな演目なので、本当にわしが東京住みだったら歌舞伎座の怪人になりたいぐらいですよ。
Aプロは勘九郎さんが源五、松也さんが三五郎、Bプロはその逆。その他のキャストはAB入れ替えなし。どちらも拝見しているので、どうしても両方の違いとかに言及しがちの感想になってしまうけど、そこはご容赦願いたい。
初日から観劇された方の熱い感想がSNSでも賑わっていて、早く見たい!と期待に胸を膨らませておりましたが、それを裏切らない源五兵衛でわたくしは本当に満たされました。勘九郎さんのおたくやっててよかった…という、ファンとして最もうれしい時間を堪能しましたよ。
源五兵衛は、2017年に仁左衛門さまが松竹座でおつとめになったときの印象が極めて強く残っているので、どうしてもその印象とも比べてしまうのですが、勘九郎さんの源五は二軒茶屋に至る前の時点でも鷹揚さというか柔らかさ、明るい善性のようなものがほとんど見られない。すごく硬質な人物像なんですよね。深川大和町の場で、あらいざらい持ってかれてるのにふんわり小万との逢瀬を夢見るところとか、八右衛門のキャラクターもあってほのぼのした雰囲気すら漂うところだけど、ここでもそれほど愛嬌を見せる場面はない。
二軒茶屋の場面で百両を出してしまい、叔父に縁切りされる場面での深い嘆き、せめてと小万を伴おうとするところにとどめの「小万には亭主がいる」の言葉。八右衛門にいさめられてようようその場を去る時、勘九郎さんの源五は笑うんですよ。この笑いの歪み方がまずすごい。すべてを失って笑うしかない、絶望の笑いなんだけど、身体の中からどす黒いものが噴き出てくるような歪みがあるんだよなあ。あれどうやってるんだろ。本当に普通の高笑いではなくて、マジでどす黒い何かがあるんですよ。
そして五人切りの場ですよ!ここは切るときの役者さんの位置や展開がAプロとBプロでぜんぜん違うので、これを日替わりで受ける(つまり切られる)方は大変だな!と感じ入りました。Aプロでは五平と勘九郎は丸窓の近くで横にならず、奥に去っている。伊之助と菊野が先に殺されるのは同じだが、源五が二階に上がってからの展開も、人を突き落とすギミックはAのみ、小万と三五郎が逃げるときに被る布の色さえ違う…と段取りそのものが違うんですよね。
しかし、この五人切りの勘九郎さん源五素晴らしかったな。あんなに人間、体重の移動を感じさせない動きができるもんかね?と思うほど、動きに一切の乱れやブレがない。体幹えぐい。家に入ってきた幸八を切るときのあの速さブレなさ美しさ。いやヤバイってえ!行灯の明かりで切った者の顔を確認する仕草は双方共通しているものの、切ったのが三五郎じゃないと気付いて驚くBプロに対し、勘九郎さんの源五は毛筋ひとつ動かさない。解釈一致ありがとうすぎる。ここにきて、源五の直線的な性格というか、柔らかさのない役作りがむちゃ活きてると感じる。人の心も情もぜんぶどす黒い何かに飲み込まれたあとなんだよなっていう。
四谷鬼横町の場でも、もうまず入ってくる段階で肝が冷える、あの絶対零度感で観客を完全に飲み込んでしまってましたね。小万殺しも、なにげに段取りがかなり違ったなあ。小万が覚悟を決めた、殺すなら殺せというのも、Aでは正座して源五に向き合って言うもんね。そこからのおぬしは殺さぬ、なんだけど、殺さぬと言ってから流れるように小万の首に刀を走らせるところ、小万の手に刀を握らせてゆっくり引くところ(これもAだけだったね)、小万の手に頬を寄せる一方でその手に刀を握らせ子どもを手にかけさせるところ、すごいね。歌舞伎すげえや。これを舞台のうえで見るべきものとして成立させてるのがすげえや。でもって、五大力が三五大切に書き換えられていることを知った時のあの激情の凄みよ。虚仮にされたというプライドだけでなく、愛する女の心はひとときも自分にはなかったと思い知らされるあの場面で勘九郎さん源五の最大沸点が表現されてるのも、あまりにも自分的に解釈一致すぎるんだよなあ。
小万の首を落として帯でくるみ、外に出ようとすると雨。小万の首を深く抱えなおし、自らの顔についた返り血を雨で洗い流す。破れ傘を開いて雨の中を歩きだすが、ふと懐にある愛しい女の首を見て、大事な宝物に触れるようにそっ…と頬を寄せる、この一連の場面。
最高だった。
贔屓の役者のこんなにも輝く一瞬を目の前で見ているという感動で震えたしもう全身を目にする勢いで凝視してました。あの雨に打たれるときの表情、傘を開くときの仕草、懐の小万を見つめる眼差し…。おたくの満願成就すぎました。もうこの記憶だけでしばらく生きていけます私。変な言い方だけど、この演目でいちばん源五が人間らしさを見せたのが、この小万の首を手にしてからだったような気さえするんだよね。
Aプロはこの場面で本水を使うんだけど、そうするともちろんドラマ性は上がる一方で前後に転換の必要があり、シームレスに次の場面に行けないというのはあるかな。Bは本水を使わないので、源五が去ってからそのまま廻り舞台で転換し、次の場面に入れるのはよかった。転換はなければないほどいい派の人間なので、これはどっちをとるか難しいところだけど、勘九郎さんの源五は本水ありきの効果を踏まえた見せ方にしているなーと思ったし、実際に奏功していたと思います。
小万の首と茶漬けを食う場面、小万に食べさせようとして首がぱかっと口を開ける演出は双方共通しているけど、Bでは驚いて箸を取り落とす一方で勘九郎さんは平然と食事を続けるのも、恐怖や罪悪感より「やっと自分のものにした」っていう安堵が上回っているからこそに思える。腹を切った三五郎に「こりゃこうのうてはかのうまい」と言うのも、そりゃこの源五なら言う、言いますとも。ここで「早まった」と哀れむかどうかって、かなり源五兵衛の人物像の違いを示しているようで面白いよね。
七之助さんはもちろん、松也さんとは共演も多いし芝居の相性も間違いないんだけど、今回八右衛門を歌昇さん、富森助右衛門を又五郎さんがやっていて、このおふたりとがっつりした芝居が見られたのも嬉しかったポイントでした。歌昇さんの八、めちゃくちゃよかったなあ!八右衛門が源五のかわりに下手人だと名乗り出る場面、ここがABかなり違うんですよね。Aでは家を出てから呼び止めて手拭いをかぶせてやるんだけど、立ったままなので身長差そのままに八が源五をちょっと見上げる目線になるんですよ。これが絵面としてむちゃくちゃイイ!勘九郎さん、本当に丁寧に手拭いをかぶせてあげるので、歌昇さんがまるで泣くのをこらえるかのように体を震わせているのがむちゃくちゃいじらしいんだよなあ。花道を去るときの表情も本当に絶品。あと、これは私の幻覚かもしれないけど源五が縄をかけるところで、後ろにまわった勘九郎さんが何か歌昇さんに話かけていたような…そして歌昇さんが小さく頷いていたような…いやわからん!幻覚かもしれん!もうこの際幻覚でもいい!
あと改めて七之助さん、小万がニンすぎるね。源五との相性も三五郎との相性もいい、粋な女も婀娜な女もどっちもお手の物ってのが最高ですわ。あと小万殺しの場があんなに鬼気迫っているのは、殺すほうはもちろんだけど殺される方の芝居がうまいからとしか言えないもんね。
終わった後もお客さんが口々にすごいねすごかったねと言い合っていて、いやホント、それしか言えんよな。あまりにも私の求める観劇体験すぎましたわ。現実世界ではお目にかかれない、この世界の向こう側にあるものを見たい、見たことのないものを見たい、そういう観客の、ともすれば残酷な欲求に、100%答えてくれる時間でした。オタク冥利に尽きるとはこのことかーーーッ!