「ツイスターズ」


1996年に公開されたヤン・デ・ボン監督の映画「ツイスター」の続編?リブート?リメイク?みたいな前振りだった気がしますが、最終的に題材は同じ別個の作品になったという感じ。今作の監督は「ミナリ」のリー・アイザック・チョン。96年版はあの牛が飛んでいく予告編が有名よね。4DXとの相性がいいヨと仄聞したので久しぶりに4DXチャレンジしてきましたよっと。

竜巻(トルネード)って現象としてはもちろん知っていて、実際に気象災害として被害が出ている現状も認識していても、日本にいるとそこまで身近に感じることができないって部分がありますが、アメリカの一部においてはむちゃくちゃ差し迫ったものなんだろうな。どうしても台風のような進路と存在が明確で予測できる気象災害に慣れているから、あんなに突発的に、しかも連続してというのが「こんなん対処するの無理ゲーじゃん」みたいな気持ちになっちゃう。

96年版とは別個の作品と書いたけど、主人公の女性のイメージもどこか似ているところがあるし、踏襲した部分も結構あったのかも。しかし主人公のトラウマがキツすぎて、私ならもう二度と竜巻に遭わないところに行きたくなっちゃうな…とは思ったな…。

足を運んでもいいかなと思った理由のひとつは「トップガン マーヴェリック」を経て一気にスターダムを駆け上がっている感のあるグレン・パウエルが出ているからだったんだけど、粗野なようにみえて繊細、知性的かつ品のある立ち振る舞いと隙のないキャラクターで、かつてこの手の市場を独占していたクリプラからお株を奪った感ある。youtuber独特のノリが最初はうざいけど、地に足ついているのは彼らの方で、ケイト達は一種の火事場泥棒的な立ち位置の会社とタッグを組んでいる…という内情がわかってくるのも、王道ではあるけどよかった。

あと、ケイトと「デカい竜巻を見抜く」丁々発止をやるところから「おもしれー女じゃん」的な入り、これは最後にキスさせて終わるいつものアレかと思ったらそうはならじ。いやーホント、この「とにかく最後は意地でもキスさせて終わる」ハリウッド映画のムーブ、マジで終わりつつある。ありがたいね~。翻訳ものミステリであれ映画であれ、どうにかして恋愛性愛を絡めようとする展開が好きじゃなかったけど、そういう人は存外たくさんいたってことなのかもね。

きわめて突発的かつ短時間で甚大な被害をもたらす竜巻を人間がコントロールできるか?という主人公たちが挑む命題については、そもそも発生のメカニズムが完全に明かされない限り難しいだろうとは思うけど、勝てないまでも負けないようにはできるのではないか、という挑戦のテーマとしてはいいラインだったんじゃないかと思います。

4DXはとにかくブンブン風に吹かれまくるし(そりゃそう)、雨にも打たれるし(そりゃそう)、車にもガンガン揺られるので、4DX甲斐のある映画ではあったな~。ハリウッドらしい派手さもじゅうぶん堪能出来て、楽しい映画でした!

「ラストマイル」


テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」と世界観を同じくする(シェアード・ユニバース)新作映画ということで、脚本はもちろん野木亜紀子さん、監督は塚原あゆ子さんの協力タッグ。2つのドラマの主役級キャストだけでも豪華なうえに、満島ひかりさん岡田将生さんらが加わるんだからマジで綺羅星のごとき出演者陣。

公開直後に観に行った方の評判がすこぶる良かったので、どれどれと足を運んできました。ちなみにドラマの方は2作ともきっちりリアルタイムで追いかけてた組です。

舞台は超巨大ショッピングサイトの物流センターで、会社のロゴの色合いからしても明らかにAmazonを模しているんだけど、そのセンターから発送された荷物のひとつが爆発し死者が出てしまう。それだけでなく、次々と爆発事故が起き怪我人が出る事態に。センターの所長に着任したばかりの舟渡エレナと、部下の梨本孔はどうやって爆発物がこの倉庫に持ち込まれたのか?という謎を探るが、そこには過去の痛ましい事件が関係していた…。

まず舌を巻いたのが、この題材の選び方。なにしろショッピングサイトの物流・配送である。もはや現代を生きている人で、これにかかわりのない人など殆どいないと言ってもいい。物語が進むにつれて判明してくる、誰が、誰を、どうやって追い込んだのか?という答えは、冒頭からはっきりと示されていて、我々はその登場人物の一人なのである。この部外者にさせない、他人事にさせない題材のチョイス。唸るしかない。

事件が発生するまで、発生してからの展開がスピーディなこと、スピーディながらもそこで描かれる全部の台詞、ショットがあとの展開に活きてくること、しっかり主人公をめぐるミスリードも仕掛けていること、市井の人間にも、いや市井の人間にこそ五分の魂という作者のソウルを感じさせること。いやー野木さんすごいわ。絶望を味わった人がいて、その絶望に引っ張られる人がいて、それにシンパシーを抱く人がいて、でもそこから何かがあるよねという、現実にはそんな美しい解はないかもしれないけれど、エンタメとしてはそれを示そうという姿勢まで含めて感嘆させられました。

個人的にはあの配送ドライバー親子の悲哀というか、まさに「ラストワンマイル」を担う彼らの描写にもってかれたところがあったな。黙々と淡々と仕事をこなし、かつての相棒の立派さを語るが、その相棒は過労でもうこの世にはおらず、新たに運転席に座る息子には挫折の過去があって…という。あの中で「1時間昼休みをもらう」と主張する息子とさっさと食べて働けと促す父の構図。切り詰めて働けばそれが対価となって報われた時代を知る父と、それが単なる搾取に成り下がった現在を知る息子。まさに縮図だった。

死体が絡まないとなかなか本領発揮といかないアンナチュラル組は六郎くんが研修医として絡んできたり、MIUでもいい味出してた毛利刑事と刈谷刑事が本編でかなりがっつり活躍したりと「あの時のあの人が」な楽しみももちろんあったし、ミコトや中堂さん、伊吹や志摩が顔を出す嬉しさもあったしで、「シェアード・ユニバース」の醍醐味は味わわせてもらったかなという感じです。

むちゃくちゃヒットしているみたいなので、絶対「続編」とかいう話が出てくると思うんですけど、そこは塚原&野木コンビなら無駄弾を撃ったりしないだろうという安心感。とはいえ、アンナチュラルとMIUのクロスオーバーなんてなんぼあってもいいですけどね!

「八月納涼歌舞伎 第三部」

「狐花(きつねばな)葉不見冥府路行(はもみずにあのよのみちゆき)」。なんとあの京極夏彦さんの新作書下ろし、小説も同時刊行というビッグプロジェクト。作家自身のファンもめちゃくちゃ多いので、新たなファンの掘り起こしという点ではさすがの目の付け所という感じ。それにしても京極さんが舞台というジャンルと絡んでくるとは予想外、幸四郎さんのプロデューサー力たるや。

小説の方が先に出版されましたが、読まずに観たほうがいいやろなと思ってまっさらな状態で観劇しました。結果正解だったかなー。舞台の中心人物である萩之介を七之助さんがやって、しかもお葉と二役という点で(冒頭の中禪寺との会話からしても)そこのからくりを隠す気はないわけで、全体の展開を知らない方が楽しめた感じはします。

京極さんのいつもの展開で行くと最後は中禪寺が長広舌をふるうわけですが(だからこその憑き物落とし)、難しいのは、小説だと成り立つこの展開が、舞台だと中禪寺が終始傍観者でしかないように見えること。舞台では最後にすべてを知っている人よりも、目の前で感情を動かしている方を物語の真ん中にフォーカスしちゃう。そういう意味でいくと今回は染五郎さんのやった佐平次や、新悟さんや虎之介さんの登紀や美祢の方がしどころのある役に仕上がっていたのではという気がする。勘九郎さんの監物もしどころある役ではあるのだが、コイツまじで胸糞オブ胸糞すぎて、憑き物落としとか言わずに袈裟懸けにズバーッと斬っちゃってくださいよお!とか思ってた私だ。最高潮にキモい役だったけど、勘九郎さんは実にいきいきと、全く同情の余地ないほどに悪役を満喫されていてそこはよかった。

歌舞伎お得意の「実は」展開も、中禪寺がぜんぶ知っている、という立ち位置よりはドラマとして見せた方がよかった気がしていて、これでも小説ではこういう展開(中禪寺が五手十手先を読んでる展開)よくあるんだけど、舞台で見せるとなかなかドラマにならんな…という感じがあり、何に面白さを感じるか、どう見せるかって単に展開に依らない工夫がいるんだなと思いました。

一部のゆうれい貸屋でもそうでしたが、いつも「気立てのいい」役をやることの多い新悟さんの性根の悪い役、むちゃ良かったね。心底意地が悪そうで、なるほどこっち側もイケる口か…と惚れ惚れ。あと染五郎さんの佐平次が個人的にめちゃくちゃよかった。人物の造形としてもだし、冷徹で主君絶対なんだけど、そこに一縷狂気っぽいものが滲む役柄がすごくはまってました。勘九郎さんとの相性もよかったのでは?勘九郎さんと幸四郎さんは最後にふたりのタイマンになるわけだけど、私が心底、中禪寺!そいつもう斬っちゃえよ!と思っていたこともあり、勘九郎さんと幸四郎さんなら切った張ったが観たいよねえ~!とかいう、物語の展開をガン無視した欲望を抱いてしまってすまんことをした。あそこ勘九郎さんは受ける芝居だけど、幸四郎さんは最後の最後にいきなり投げる芝居を要求されて(しかも台詞が長い)大変だなあと思ったし、そこを引き受ける幸四郎さんえらい、さすが座頭。

要素要素には面白い部分があるので、人物を整理して見せ方を工夫したらいい感じの夏の演目になるかもしれないなー!今後に期待!

「八月納涼歌舞伎 第二部」

「髪結新三」。勘九郎さん念願の新三である。インタビューで「親がいればもっとはやくにできたのかも」と口にしてらしたようですが、そういう言葉がポロッと出てしまうほどやりたかったお役ということなんでしょうね。今年は籠釣瓶の次郎左衛門もやれたし、これで十一月が桜姫東文章なら言うことなかった(根に持つタイプ)。

どの場面も期待通りに、いや期待以上にカッコいい、キレッキレの刃物のような江戸っ子新三が拝めてマジ至福の時間でした。忠七との場面も勝奴との場面も、家主長兵衛との場面もぜんぶ演者同志の相性の良さが伝わってくるよい座組で、これで初役を迎えられて本当によかった…と勝手に親戚の気持ち。思うに、勘九郎さんてこうした絵にかいたような江戸っ子をやることに強いあこがれをお持ちなような気がするし、その憧れの強さとご本人のニンがうまいこと噛み合っていたんじゃないかなあ。勘三郎さんの新三で勘九郎さんが勝奴の時に拝見していますが、勘九郎さんの勝もめちゃよかったもんね。

普段はあんなにナチュラルボーン好青年みたいな佇まいなのに、悪いやつを演じるときほど色気びしゃびしゃになる現象に誰か名前を付けてほしいし、中でもあの懐手で柱にもたれかかり、お熊を品定めでもしているかのようなあの場面、やばいやばいこわいこわい男前すぎてもうこわいってぇー!と私の心の中がうるさかった。ハアハア。もちろん終演後お写真ダッシュで買いに行きましたとも。

いてうさんの鰹売りとのやりとり、巳之助さん勝奴とのさりげない場面で出る親密さ、勘九郎さんの思い描く「江戸の香りが匂い立つような」舞台になったんじゃないかと思いますし、これからももっと上演を重ねていってほしいと心から思います!

続いて所作事…というわけで「艶紅曙接拙 紅翫」。若手中心の舞踊で、勘太郎くんがしっかりこの中で踊っていて感心したし、かつ隣にいた虎ちゃんともうほぼ背丈が変わらんやん…!とびっくりしました。手の美しさはお父さん譲りだね。あと私は児太郎さんのふくふくとした色気が大好き。今年の納涼は児太郎さんをたくさん観られて嬉しかったです。

「八月納涼歌舞伎 第一部」

「ゆうれい貸屋」。腕はいいが怠け者の男がいて、気のいい女房(または娘)は愛想を尽かして出ていき、そこに人ならざる者が女房代わりに出てくる…ってこんな話つい最近も観たな!?と思ったら歌舞伎町大歌舞伎の「福叶神恋噺」だった。あっちは貧乏神だけども。

この演目、初見かな?と思って自分の感想検索したら2007年8月の納涼歌舞伎で拝見してました。そのときの座組、弥六が三津五郎さんで染次が福助さん、又蔵が勘三郎さんっていう、今回完全に次世代になってるやつやん!すご!しかも今回も全員はまり役!ちなみにこの時のお千代は七之助さんだった。ぴったりすぎ。

現世でつらくても、あの世にいけばきっと報われる、そんな考えは何の意味もなく、なにもかも生きているうちのことだ、という台詞がこの芝居のキモだと思うけども、それを勘九郎さんと巳之助さんのやりとりで聴けるというのもまた、ぐっとくるものがありました。

児太郎さんも巳之助さんもコメディのセンスがあり、存分に笑わせてくれかつ時節的にもぴったりな演目で満足度高かったです。

「鵜の殿様」。幸四郎さん染五郎さん親子による舞踊で、実に楽しかった!故郷の鵜飼の様子を太郎冠者に語らせる殿様と、鵜飼を再現するのにその殿様をまんまと鵜にしちゃう太郎冠者なんだけど、操られる「鵜」をやるお二人の動きが本当に見事で、観客からも感嘆の声と拍手が沸き起こるほど。染五郎さん、お顔がよいだけにわがまま放題な殿様がはまりすぎてて、この人のサイコパス悪役とか見てみたいわ…と想像してみたり。幸四郎さんの踊りの確かさはもちろん、染五郎さんもよく鍛えられてるなァと感嘆しました。アクロバティックなことをやりつつもそうは見せない技術の高さと、単純なおかしみを両立させていて、実に楽しい一幕でございました!

「正三角関係」NODA MAP

野田地図新作。今回の公演、いつかそんな日が来るのではないかと思っていたけどとうとう来た、松潤が野田地図初参加ということで、いやいや…チケット取れるわけねーじゃん!!!とかなり投げやりでしたが、なんとか1枚引っ掛かりました。奇跡!

野田さんの新作は何より「こんなふうに見えていたものが、実はこうだった」的な展開をネタバレ知らずに観たいという気持ちが強いので、できる限り初日に近い日程で観るようにしてるんですが、今回ばかりは日程のわがままとか言ってられない。ネタバレ踏むの怖さに上演時間情報すら検索できてなかったですが、しかし今回はいつもに比べるとかなりストレート、事前の告知(カラマーゾフの兄弟モチーフ)の反映されぶりといい、観客に目隠しをしてどこかにつれていく、というような展開は影を潜めていたなと思います。

ということで以下具体的な展開に触れますが、この後の地方・海外公演をご覧になる予定の方はお気をつけください。

原爆のことを作品として描くのは過去にパンドラの鐘やオイルでもやっていて(「水を」、のところドキっとしたよね)、今回もう一度長崎の原爆のことを取り上げるのは意外といえば意外だったけど、パンフで野田さんが「またかと言われてもいいからもう一度やりたかった」と言っていてなるほどなと。私は野田さんがかつてサイモン・マクバーニーに、原爆をテーマにすることは自分の出自とは関係ないと語った時に、関係ないことはない、少なくともイギリスに生まれた僕はそれを描こうと考えたことはない、と言われてハッとした、というエピソードが印象に残っているんですが、その話もパンフで触れられてましたね。

個人的な感想を言うと、台詞のキレや、終盤の展開の、目をそむけたくなるけれど見なくてはならない、と思わせる力は、過去の作品の方に軍配をあげてしまうかな、というところはありましたが、この人類史上最大最悪の兵器の使用が「罪ではない」どころか、「英雄的行為」として整理されていることに、野田さんはたったひとりでも「違う」と言い続けたい、その意思の強さをもっとも強く感じたのは本作だった気がします。

今回は3兄弟の中で科学を志す威蕃(イヴァン)が日本側で原爆開発に着手していた様子が織り込まれていて、この「作る側」の視点でいけば映画の「オッペンハイマー」があるけど、今年の春先に上演されていた「イノセント・ピープル」はそのあたりをさらに掘り下げていたので、こういうふうに同じ題材のものが重なるときってあるよな~と思ったり。

例によってあまりキャストの全体像を把握しておりませんでしたが、今回メインキャスト8人で複数の役を掛け持つ人も少ないし、物語の焦点はかなり絞られてたんですね。松潤は過去のイメージよりも、骨の太い役者になったなという印象。キャストの中ではマイラブ小松和重さんはもとより、今回はなんといっても池谷のぶえさんの巧者ぶりが際立ってて舌を巻きました。うめえうめえ。

休憩なしの2時間20分、裁判仕立ての構図で時制もちょいちょい飛ぶけれど、あまり混乱することなく一気に見せてもらえてあっという間だったな~。そういえば、途中ザ・モップスの「たどりついたらいつも雨降り」が使われていて、第三舞台ファンとしてはソワソワしちゃいましたね…(笑)パンフによれば野田さんの次回作は来年夏、野田地図次回作は2026年夏とのこと。例によって鬼が笑いまくりますが、次回もチケット取れますように!と今から徳を積んでおきます!

「デッドプール&ウルヴァリン」


デッドプール3作目。「ローガン」で壮絶な最期を遂げたヒュー・ジャックマンウルヴァリンが復活することでも話題に。中の人がめちゃ仲良しなので最初の告知(ライアンがヒューに「ウルヴァリン出る?」と訊くやつ)の感じからして、どの程度ガッツリ絡むのかいまいち読めないと思ってたんですけど、時間が経つにつれほぼバディムービーだということが明らかに。でもって20世紀フォックスがディズニーに買収されて、デッドプールがこっち(MCU)にとうとう来るぞ…!的な意味でもかなり期待感高めでした。監督は「フリー・ガイ」でもライアン・レイノルズと組んだショーン・レヴィ

なんか壮大な打ち上げ花火のような映画というか、次から次へと降ってくる要素が多すぎて、ネタバレ回避の意味でも初日初回見に行ってよかった…って思ったし、まだ見てない人には何も聞かずにとにかく一刻も早く映画館に行ってくれい!と思った作品だったな。初回の印象が日が経つにつれ「なんだか白昼夢を見ていたようだ…」って気になって、思わずもう1回見に行っちゃいましたもん。で、この白昼夢みたいな映画、私はめちゃ好きだなと改めて実感したりして。

好きだなと思うところはたくさんあるんだけど、この作品の根っこの構図というか、虚構と現実が絶妙にクロスする世界観というのがまずツボだった。ウェイドはある日TVAに拉致されて、TVAのために働くか元の世界でその消滅を待つか選択を迫られるんだけど、そのウェイドのいた世界が消滅する理由というのが、その世界の「アンカー」たる存在が消えたことによると説明されるわけ。でもって、それに抵抗したウェイドはウルヴァリンとともに「虚無」の世界に落とされるんだけど、そこは「廃棄」されたさまざまなものが落とされてくる世界で、その生命エネルギーを食べているアライオスの餌となってしまう。

メタバースが連呼されている昨今のスーパーヒーロー映画界隈だけど、大成功した一部を除き、さまざまなトライアルがなされて(またはなされずに)消えていく、あったはずの世界、いたはずのキャラクター、20世紀フォックスの名のもとに作られたX-MENのシリーズも、その中に加わるのかもしれない。虚無の世界では、リブートの決まったブレイドや、実現しなかったガンビット達がデッドプールウルヴァリンを迎えるが、彼らの台詞ひとつひとつが全部サブテキスト満載の台詞に聞こえる、この構図がまずよかった。思えば、私の中で傑作アメコミ映画ベスト3の1本に入れたい「ローガン」も、「物語」「キャラクター」のメタな構図がツボだったんだよな。

でもって、そういう構図を持つ映画に、デッドプールほど適任はいないというか、第4の壁を超えた台詞の数々がこんなに活きたことはなかったのでは?1作目2作目は物語の骨格がきっちりあっただけに、このトラッシュトークの効果も単なるデッドプールのキャラクターを示すものという感じだったけど、今回は完全に現実と虚構の橋渡しをウェイドがしてくれているし、だからこそ「マドンナがかかれば助かるに決まってる」っていううっちゃりもするんと飲み込めちゃう効果があった。そもそも、あの圧倒的な数のカメオ、サプライズ、これにデッドプールが我々の期待通りの反応をしてくれるからこそ一層盛り上がるって感じだったじゃないですか。わたし全く情報を追いかけてなかったので、クリエバさんが出てきたとき腰が浮きかけたし、発火!で完全に二度見したし、チャニング・テイタムガンビットで後ろにひっくり返ったよ。ほんとになんちゅーことしてくれるんや(褒めてる)。

そこにあのアースにおけるウルヴァリンのドラマが重なるのがまたよかった。ヒューさまのウルヴァリン、あのコミックスでの「おなじみの」姿にならないまま卒業しちゃって、それをまさかここで回収するとはという感動があったし、あのスーツを着る動機付けもきっちりされていて素晴らしかったな。あのたくさんのデッドプールとのアクションシーンの最後、バスの窓ガラスを突き破ってくるショットの絵としての完成度の高さよ!あの気持ちよさったらない。

気持ちいいでいくと、オープニングのローガンの骨を使ったバトルとダンスもむちゃくちゃ好きだった。インシンクの曲がまた売れちゃうのもわかりすぎる。殺しても殺しても死なない二人のボカスカ雑な道中もよかったし、ヴィランカサンドラ・ノヴァの存在感と圧倒的強者感も効いてたな~。チャールズの妹に対して、そこでチャールズへの義理を果たそうとするローガンもよかった。クライマックスのチャールズの誇れる男になりたいの台詞といい、ローガンが何を縁に生きているかがわかって切ない。

大量のギャグとおふざけ、混ぜっ返しと脱線、これでもかのカメオ、イースターエッグ、そういうものにあふれたおもちゃ箱みたいな作品でも、不思議と品を失ってなくて、それはこの映画全体に「消えゆくもの」への愛情と感謝があったからかなと思う。

ドラマの「LOKI」やX-MENシリーズを見ていないとわからない部分はもちろんあるんだけど、ここまで積み重ねてきたフランチャイズを信頼するというか、そこはもう織り込み済みでその上に作品を積み重ねたのも個人的にはいい判断だったんじゃないかなと思いました。

ウェイドがハッピーの面接を受ける場面出てきたけど、今後はMCUのメンバーにデッドプールがどんなふうに絡むのか楽しみ。次は(たぶん)キャプテンアメリカ・ブレイブニューワールド、2025年2月14日公開予定です!