ここが好きだよ爆烈忠臣蔵、ネタバレしかしてないメモ書き!!

ネタバレなし感想はこちらに書いておりますが、もちろんそれだけで終わるワケないッショ!ということでここから先はネタバレしかない修羅の道です!お覚悟!

  • いきなりファーストシーンから仮名手本忠臣蔵の五段目山崎街道の場、とくれば斧定九郎ですよねということで黒羽二重で登場のじゅんさん。松本公演では元気に走り回っておられましたが、松本の千穐楽でお怪我なさったらしいと小耳に挟んではいたものの、大阪公演まさかの車いすでの御登場。最初にご自身の口から経緯の説明があり、「熊と戦って負傷した」テイで車いすで立ち回りをやるというウルトラC。車いすは黒衣が操っていてこの場面の歌舞伎パロのテイストとマッチしたの奇跡的すぎる。ご本人は「上半身は元気です!」と仰っており、実際むちゃくちゃ元気だった。いやさあ、じゅんさんは30周年興行だった「鋼鉄番長」を降板せざるを得なくなった過去があるじゃないですか。しかも今作は「全員が揃う」ってことに意味がある公演でもあるわけで、どうにか舞台に立ち続けられる方法はないのかっていうのをこの短い間で考えてくれたんだなと思うと感謝しかない。
  • 熊との決闘の末、崖から落ちる荒蔵…となるわけだが、幕間に後ろの席の客が「川に落ちたってことはさあ、生きてるってことだよね」と話していて頷くしかないやつ
  • じゅんさんも久しぶりの新感線なわけだけど、この人の持つ理不尽さってある意味新感線のソウルな気がしちゃう。古田や聖子さんらとはまた違う意味で新感線の象徴。「象徴」と書いて「無茶」「無理矢理」みたいなルビ振りたい。二幕で現れる荒蔵と熊五郎さあ、もう絶対こうなるってわかってるのにあんなに「待ってました!」って気にさせるのすごない!?
  • ネタバレなし感想でも書いたけど、今回女性陣のシスターフッドも見どころというか、「女は舞台に立てない」という抑圧への新感線なりのアンサーみたいなものすら感じてしまった。それの結晶が美少女博徒なんじゃないかとすら思う。もう絶対怒られるやつ!数多の子供の夢の象徴に「背中に緋牡丹」じゃないのよ!でも最高だった。羽野ぴゃと聖子さんのツーショット、両脇にカナコよし子のコンビが控えるこの構図。冗談抜きで初日、ここで泣いたおれだよ。怒られる!怒られるよ!と思いながら、この4人が今まで支えてきたものの大きさを感じないではいられなかったよ。五人の出が白波五人男のパロディになっているのもとてもいい。いやホント、このシーンだけで16000円何回でも払えます。私にとってそれぐらいの山場。
  • それを受けての陣羽織仮面でまた笑いしぬやつ。これよね~~、このオモシロとカッコよさがブレンドされてあと一歩踏み外すとダサいになりそうなところを笑いの速度で走り抜けるのが新感線よね、それを太一くんが実現してるのマジで尊い
  • さとしさんは今回、役柄の上では遠山金四郎で一座を巡るあれこれを見守りつつの役柄なんだけど、もはや押しも押されもせぬミュージカルスター(あえて)なのに、そして役柄も遠山金四郎なのに、このメンツの中に入るとあふれ出てくる抜群の後輩力(ぢから)がすごい。どこをどうやっても二の線にしかならないところを三の線で見せちゃう愛されぶり、ほんとなんなんでしょ。右近さんとの怪人パロ、初見のとき腹筋しにました。もう私の前で小半時とか一生言わないでほしい!いや言ってほしい!
  • これはパンフねたですけど、向井くんの役名の「うぬめ」がどうしても言えず、最終的に「な行を言えばなんとかなる」って力業で解決しようとしてるの息止まるぐらい笑いました。
  • あれ、これ持ちネタですよね?っていうぐらい違和感のない古田のマツケンサンバもよかった。結構満を持しての登場なので、どう来るのかなと思ったら初手から全開だった。しかも両脇が聖子さんと羽野ぴゃなので古参はそれだけで昇天できるやつ。あまりにも黄金律。
  • にしても、羽野晶紀と高田聖子という傑出した女優ふたりが新感線の初期メンであるっていう、これが本当に本当に得難い奇跡だったんだなって改めて思ったなあ。芝居がしたくてもできない、諦めざるを得ない、上からの圧力に負けそうになる一座にお破が「そんなに簡単に諦められるのか」っていうけど、そこで「諦められるわけないだろ!」って返す羽野ぴゃの芝居が本当にいいんだよ!聖子さんの持つエモと羽野ぴゃの持つエモって種類は違うのにどっちもむちゃくちゃ胸に届く。今回、主役のお破のパワーにまず呼応するのが女性陣っていうのもあって、この両翼のすばらしさがいつにも増して輝いている気がして嬉しいよあたしゃ
  • そういえば中谷さとみさん、このところぐいぐい化けてきてる感があるというか、今までと違うニュアンスが醸せる役者さんになってる気がした。川原さんとの大人なコンビも絵になってたよね。あのふたりが最後「やれやれ」って感じで一緒にいるの、大変によい。
  • 小池栄子さんはマジで最初の最初から最後の最後まで物語を転がし続けないといけない役で、ど、どんだけ大変なことさせとるんじゃー!感すごかった。でも栄子はさすがおれたちの栄子、期待を裏切りませんでしたね。バカを大真面目にできる稀有なお方だよ本当に。
  • これ、芝居の構図としてもさ、お破がやってきた闇川島から、最後にはお破と、そして天外と夜三郎(今書いてて思ったけど『よさぶろう』っていうと「切られ与三」思い出すな)が離れることになるって構図なのも、客演の3人がここを去っていくって構図にしたのが心憎すぎるんですよねえ
  • にしても、今回は文字通り早乙女太一の全部盛りだったね。女形、面白コント、そして川原さんとの存分すぎる立ち回り!!もう心の中で一番うまい人と一番うまい人キターーーーってなってたし、これを実現する新感線がえらい。えらすぎる。
  • 客演といえば木野花先生もなんだけど、もう初日拝見したとき心の中で「どんだけ出るねん!」ってツッこんじゃいましたわ。最終的ににっちもさっちもいかなくなったら木野花による木野花力で物事を前進させていくの、さすがに頼り過ぎではという思いと、いやでもこれ通常ルートでやってたら(上演時間が)5時間じゃきかん…という思いが交錯しましたが、ま、チャンピオンまつりだしね!いいんじゃない!
  • 物語の最終盤、仮名手本忠臣蔵の展開と「闇かぶき」の打つ興行が一体化していくところは、純粋に物語の展開としても好きだし、あのコロナ禍の時代を経てそれでもなお芝居を打つ、っていう、あのときを乗り越えた思いみたいなのも感じてしまったな。劇場がだめなら外でやってやる、芝居は決してなくならないんだっていうような熱さがあった
  • それでさ、その怒涛の盛り上がりの末にくるのがあれじゃん。吉良上野介の七人じゃん。逆木さんが名乗った瞬間に「これ、これは、髑髏城の初演の七人では…?」って気がついて、もうその瞬間の鳥肌ったらなかった。古参殺すにゃ刃物はいらぬ、初演七人の逆光があればよい。そこにあのテーマソング…!いやもうドクロイヤーこれでいいです。これで完結です。いやでも、あのときのメンバーのみんなが元気でこうして舞台に立っているって、マジで奇跡だよ!!

45周年記念興行が、いかにもチャンピオンまつり!いかにもネタもの!みたいな感じじゃなく、わりと骨太な物語できたのは、いろいろあってそれでもなお舞台に立つってことがどういうことなのかを作家が書き留めておきたかったからかもしれないなと思いました。まもなく東京公演の幕が開きますね。これを新橋演舞場でやるっていうのがまた、夢がある。いやもう夢しかない。小劇場から、扇町ミュージアムスクエアから、オレンジルームから、シアタートップスからはじまった闇かぶきならぬいのうえ歌舞伎はここまできた、世界に対して面白と無茶と、だってそっちのほうがカッコイイじゃんっていう衝動だけで成り上がった芝居がここまできたよ、その舞台に新橋演舞場ほどふさわしい場所はないと思います。あと2か月、どうか皆さんご無事で、全員で走り抜けていってください!

「我ら宇宙の塵」EPOCH MAN

  • 新宿シアタートップス F列5番
  • 作・演出・美術 小沢道成

初演の上演時も好評ぶりは小耳に挟んでいて、と思ったら読売演劇大賞で優秀賞に名前があがっていて、うわーこれ再演があったら観たいな、と思っていたんですよね。これは何度かブログでも書いてるけれど、私は読売演劇大賞は誰が獲るかもあるけど、思いもかけない名前があがってきたときに「次見に行くリスト」としても活用しています。劇団チョコレートケーキに出会ったのもそれがきっかけだったし。小沢道成さんは虚構の劇団に参加されていたこともあって、お名前を存じ上げていたのも興味をもった理由のひとつです。

めちゃくちゃおすすめしたい作品なので、このあと大阪・北九州・金沢でご覧になる機会のある方はこの先を読まずにぜひ足を運んでいただけたらと思います。

我々はどこからきて、どこへいくのか。いろんな創作者が手がけてきたテーマでもあると思うし、永遠に問い続ける、つまり答えのない問いなのかもしれない。この作品はその問いに極限まで真摯に向き合うことを描いた作品とも言えます。

別に作品に似ているところがあるわけではないのに、なぜか過去に観た鴻上作品の芝居の断片が浮かんでくる瞬間があり、もちろんそれは小沢さんが鴻上さんの舞台に出ていたことを知っているからかもしれないけど、でもこの「世界」に対する向き合い方、姿勢のようなものが似ているのは偶然じゃないような気もします。たとえば「朝日のような夕日をつれて」のラストは、「みよこの遺書」と呼ばれるものですが、その中の「この宇宙は分子によって成立している、どんなに多くとも有限な分子によって成立している、だとすれば、有限な分子が、有限な組み合わせを、無限の時間のうちに繰り返すなら…」というフレーズなどは、この「我ら宇宙の塵」と世界観を同じくするように思えましたし、そして私はやっぱりそういう演劇が好きなんだな、と実感するものでもありました。

星太郎が自分の中でずっと問い続けたことが、視点の逆転によって時間が動き出し、喪ったものと向かい合うシーン、パペットがパペットでなくなり、パペット遣いがパペット遣いでなくなるあの瞬間は、演劇だからこそ見せることができる一瞬の錯覚、錯覚のなかの真実にほかならず、あまりにも美しい、美しすぎるシーンでした。

陽子が星太郎を探しながら行きかう人と道行きを共にし、それぞれがそれぞれの中にある「死」と折り合いをつけるという展開も、今年の夏父を亡くしたこともあり、自分の中でも星太郎と同じことを問いかけずにいられない芝居だったなと思います。あの道行きを共にする展開も、ちょっと不思議なテイストがあってよかった。まるでおとぎ話のような。鷲見がかつて飼っていた犬のことを、散歩していた公園の中にこそその姿を見る、と語る場面も好きだったな。そうだよね。思い出って本当に不思議で、その人がその人らしかった瞬間が永久凍結されたように浮かんできたりするよね。

池谷のぶえさん、本当にすばらしい。一部分だけを切り取れば「毒親」と断罪されかねない行動のその裏になにがあるのかを繊細に掬い取っていて、見事でした。のぶえさんの出ている芝居は、のぶえさんが出ているというそれだけで信頼してしまいたくなります。

久々に小さな劇場で、濃密な時間を過ごせましたし、本当にこういう芝居を観るたびに、私はここの村の出身だな~!と思っちゃう。こういう芝居が私の好きな芝居です、と胸を張ってみんなに紹介したくなる、すばらしい時間でした。

「秀山祭九月大歌舞伎 菅原伝授手習鑑 Aプロ昼の部」

菅原伝授手習鑑、昼の部は加茂堤、筆法伝授、道明寺。菅丞相を仁左衛門さま、武部源蔵を幸四郎さん、戸浪を時蔵さん。今回、桜丸梅王丸松王丸の兄弟を複数の役者が複数の組み合わせで演じるためちょっとこんがらがるが、まあいろんな人の芝居の味が楽しめるという点では良いのかも。

以前拝見したときは、仁左衛門さまの菅丞相で源蔵は梅玉さんだったので、それに比べると幸四郎さんの源蔵でもかなり若いなという印象が残る。そういう意味で、戸浪との色恋で破門されたという部分の青さみたいなものはかなり説得力があった。また時蔵さんが本当にうまい。寺子屋のBプロで染五郎さんと組んでいるのもしっかり絵になっていたけれど、幸四郎さんと組むとまた違う芝居の大きさが出ててすごいなと感心させられた。幸四郎さんの源蔵、ほんとうにまだ青年の趣があり、伝授が成っても破門はそのままと知ったときの嘆きにも、先輩諸氏の源蔵とは違う、若さゆえの絶望感が感じられました。あと2階席から見ていたので、筆法伝授で源蔵が実際に書を書くところをまじまじと見つめてしまったよね…う、うまい…。

私が見た回、筆法伝授で菅丞相が呼び出しに応じ参内しようとするところ、仁左衛門さまが途中でがっくりと膝をつかれてしまい、思わず冷や汗が吹き出ました。舞台の進行上では、参内しようとする菅丞相の冠の紐が切れて…という流れのすぐ後だったので、不吉な予感に菅丞相が苛まれているというように見えて不自然さはそれほどなかったと思う。左中弁希世をおつとめになっていた橘太郎さん、そして幸四郎さんのとっさのフォローも素晴らしかったです。翌日は休演されていらっしゃいましたが、本当に御身大切に…と願うしかできない。

個人的に「道明寺」がすごく好きなんですけど、というか覚寿が大好きなんですけど、もっといろんな人の覚寿を見るためにも上演機会を増やしてほしい。今回の魁春さんの覚寿も実によかったし、左近さん苅屋姫とのバランスも良き塩梅でした。

私は遠征の都合上、どうしても夜の部を見てからの昼の部という流れになってしまうんだけど、菅原伝授手習鑑は単体でかけられる演目も多いだけに、実際通しで見ると腹落ちする台詞や場面がたくさんあるなあ、と改めて思いました。筆法伝授の源蔵戸浪を見てからの寺子屋、加茂堤を見てからの車引、賀の祝…。いろんな役者さんが手がけられるようになるためにももっと上演の機会が増えたらいいのになー!と思わずにはいられません。

「爆烈忠臣蔵 ~桜吹雪THUNDERSTRUCK~」劇団新感線

新感線45周年記念興行!おめでとうございます!45周年て冷静に考えなくてもすごい、あと5年で半世紀じゃん。今回は10年ぶりのチャンピオンまつりと銘打って、かつ劇団員オールキャスト。ひさしぶりのじゅんさんはもちろん、さとしさんも羽野ぴゃも帰ってくる!情報解禁されたときさすがに震えましたよ。間違いなく祭りだこれは。

というわけで松本公演の初日と、あと大阪公演も拝見しました。このあと東京公演も観る予定。作品が作品だけに、千穐楽見届けたかった気持ちはあるけど、さすがに難しかった!あとライブビューイングもあるけど、会場が距離的に行けるかどうか微妙なの悲しい。まあ基本的に同じ作品をリピートしない派の私が初手から複数回押さえてるだけでも、どんだけ前のめりなのかっつー話です。

東京公演はこのあと12月末まで続くので、ここではとりあえずあまりネタバレしていない感想にとどめて、細かいメモ書きは別のエントリにしたいなと思っております。じゃないと長くなりすぎちゃうからッ…!

今作の舞台は老中水野忠邦による天保の改革真っ只中の時代。山中で父とともに芝居の武者修行を続けているお破は、父荒蔵の熊との死闘を機に江戸へ出て、仮名手本忠臣蔵の大星をやる舞台役者になる!と夢を語る。それを聞いた江戸三座のひとつ橘川座の皆は「女は舞台に立てない」ことも知らないお破の世間知らずぶりを笑う。失意のお破に声をかけたのは橘川座の座元の妻、おきただった。彼女は言う、「闇の世界にも舞台はある」と。そしてお破は闇川島にいる無宿頭の弾兵衛と、そのもとで繰り広げられる「闇歌舞伎」の世界に出会う。

現在放送中の大河ドラマと時代がかぶったのは別に偶然ではないと思っていて、準備期間を含めれば2~3年前から話は決まっていたはずで、だとするとあのコロナ禍における芸術・エンタメへの「不要不急」の圧力に一矢報いたいと考える作家が複数いてもおかしくないと思うし、この作品にも、あの時期を経たからこその「ごちゃごちゃうるせえやってやる、これがウチらの生きる道」みたいな精神は絶対影響を与えているとおもう。

加えて、「仮名手本忠臣蔵」を題材に、つまり「歌舞伎」をとりあげてかつ「闇歌舞伎」というものを登場させたことも、海のものとも山のものとも知れなかったころから「いのうえ歌舞伎」と銘打って、邪道上等の道を歩んできた新感線を感じたし、そういうサブテキストを「チャンピオンまつり」で感じてしまうのも新鮮だった。

その闇歌舞伎を支える女傑ふたりを羽野さんと聖子さんが担っているわけだけど、これ完全に私の独断と偏見かもしれませんが、新感線がここまでシスターフッドに軸足を乗せた作品を上演するのは初めてなんじゃないかって気がします。「ガールズ」エンパワメントは今までも確かにあったし、「少女」と「無頼者」の組み合わせとかもお手の物だったけど、今作は「女性は舞台に立てない」という約束事に対して鬱屈を抱える女性、しかも複数の連帯を描いているという点ですごく新しい。45周年でまだ新しい新感線が見られるというのも結構すごいことですよ。

ぜったい本家に怒られるやつー!なパロディの数々、古参の心をくすぐることしかしてないオマージュなど、「この人のこれが見たかった」っていうファンサービスがこれでもか!と詰め込まれていて、長い芝居を敬遠するわたくしですがこれは4時間の上演時間も、納得。納得です。若干、木野花さんの木野花力に頼りすぎている感は否めないけれど、あれ木野花で解決しないとたぶん上演時間5時間ぐらいになってるから致し方ない。

本家の「仮名手本忠臣蔵」は特に五段目の山崎街道の場と、あと三段目のいわゆる松の廊下の場面がかなりまんま出てくるけど、別に知らなきゃ楽しめないということでは全然ないし、松の廊下は歌舞伎を見ていなくてもご存じの方が多いだろうから、なんも予習はいらないかなという気がします。

私が新感線を見始めてから、もう35年?近く経っているわけで、そう思うとほんとうに時の流れってやつぁ…としみじみしてしまいますが、確かにみんなおっちゃんおばちゃんになり、動きは鈍くなり舌は回らなくなりあの頃の水をも弾く若さは最早ないのだけれど、そして見ている自分にもその若さはもうないのだけれど、それでも、舞台の上で無茶なことしかしたくない、という新感線の精神はぜんぜん変わっていないし、ゲラゲラわらっているうちになんだか心が熱くなってしまうのも変わらない。古田さんの両隣でポーズをとる聖子さん羽野さんの笑顔を見ながら「エモってこういうときに使う言葉じゃんねえ~!!」と思ったし、そういう瞬間が4時間の間になんども訪れた芝居でした。

2000年に上演された劇団20周年の「踊れ!いんど屋敷」の楽曲「東海道中馬鹿祭り」の中に、「いつまでもこんなバカなこと続けていたい 足腰が弱り 体ヨボヨボでも」って歌詞があって、上演された当時も本当にずっと続けていてほしい、と思ったけど、実際それから25年経ってもこの歌詞を体現してくれている新感線の皆様はほんとうにすごい。改めて45周年おめでとうございます。私の人生の半分以上に新感線がいることが誇らしいです!!

「秀山祭九月大歌舞伎 菅原伝授手習鑑 Bプロ夜の部」

三大名作一挙上演の第2弾は菅原伝授手習鑑。Bプロ夜の部では松王丸を幸四郎さん、源蔵を染五郎さん、戸浪を時蔵さんという顔ぶれ。染五郎さんが源蔵!さすがに早いなと思いましたし、配役発表されたときにもかなり界隈ざわついてましたね。でも私の好きなアーティストの名言によれば「チャンスなんて目の前のコップをつかむかどうかってだけじゃないか」ってことなんで、染五郎さんがこれを掴んだのはマジで正しい。

「車引」はわりと頻繁にかかるけど、「賀の祝」を見るのは今回で2度目かなあ。白太夫歌六さんがうまいのはもちろんのこと、米吉さんの八重、新悟さんの千代いずれもとてもよかった。あと桜丸が菊五郎さんで、なんか出の瞬間からハッとさせる佇まい、魂が漂白されたような表情で心をつかまれました。あとこの場面があると次の寺子屋への思い入れもぐっと深くなるし、ここは通しならではの魅力。

寺子屋、個人的には寺入りから見る方が圧倒的に好き。寺入りがあると劇的度が3割増しくらいになる気がするので、劇的大好き観客としては歓迎でしかない。寺子屋こそ頻繁にかかるけれど、見るたびに頻繁にかかるのも頷ける、ほんとよくできてるわ…と感心してしまうのであった。松王と戸浪が首の落とされた音でたじろぐ場面のドラマ性よ!同じようにたじろいでも片方は忠義のために罪のない子を手にかけたとよぎり、片方は我が子の命が絶えたことを思うこの構造、サブテキスト満載すぎて見応えしかないやつ。

染五郎さんの源蔵、もちろん若いが、大きく芝居をしようとしていると感じられ、好感。時蔵さんの戸浪と組み合わせたのもよかった。時蔵さんがしっかり歌舞伎味を感じさせ、かつ存在が大きいので、その戸浪が支える源蔵も大きく見えていたと思います。幸四郎さんの松王丸も、若さを感じさせる松王で、だからこその切なさもあってよかったです。こうして観るとこの座組の松王、戸浪、源蔵のバランスはけっこうはまってたのかも!

あと関係ないですけど、個人的に歌舞伎座の一等席範囲でいちばんノーストレスで観られるのって11列から13列の14番な気がします。通路側で舞台中央まで視界を遮るものなし、かつ花道の芝居も良く見える。毎回ここに座らせてくれえ!(むり)

「コーラスライン」

  • 東京建物ブリリアホール 2階B列29番
  • 原案・振付 マイケル・ベネット 演出 ニコライ・フォスター

私にとってコーラスラインというとマイケル・ダグラスがザックを演じた映画の印象が大半で、舞台でこの演目を見るのは初めて。アダム・クーパーがザックをやるというので、他の観劇予定と抱き合わせで観に行ってきました。

内容はもちろん知っているし(というか、コーラスラインのパロディってテレビとかでもむちゃくちゃ流行りましたよね)、それほど複雑なものではないので字幕でじゅうぶんに理解できる。今作は新演出版とのことだけど、残念ながらオリジナルを知らないのでどの程度アレンジされているかはわかんなかったな。2階席で見ましたが、アダム・クーパーがむちゃくちゃ客席を通るので(演出家の役だから)、上からではしばしば視界から消えてしまうけど、まあでも気になるほどではない。

名もなき「コーラスライン」として役を得るために必死なスターの卵たち、そのひとりひとりにドラマがある、ということを掬い上げた脚本はむちゃくちゃ画期的だと思うし、この作品の初演は1975年だけど、この構図が50年(!)経った今なお有効だというのも、物語の骨格の強さを表してるなと思います。これ、ある意味で岩井さんがやっている「ワレワレのモロモロ」そのものだよな、と思ったりして。

フィナーレの「ONE」はさすがにスタンダードナンバーの風格というか、観客に高揚感をもたらしてくれるので、観た後の満足感はかなり高かったです。ブリリア、足を踏み入れたの2回目かな?チケット買う時に過去の「ここが見やすい」「ここはだめ」という先人たちの血と汗と涙で書かれた体験談を参考にした甲斐あって、視界クリア、ノーストレスで観られてよかった!

「F1」


トップガン・マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキー監督作品、主演はブラッド・ピット。ブラピのキャリアハイの興行収入を叩き出しているとのこと。AppleMovieとしても最大のヒット作。コシンスキー監督、こりゃ今後も引く手数多だろうな。

F1の統括団体FIAが共同制作に名を連ねているので、とにかくF1レースの臨場感がすごい。合間合間に映る他チームのドライバーもご本人登場ばかりで、F1ファンにはいろんな楽しみ方ができる作品では。

かつて天才と呼ばれた若手レーサーが事故によりキャリアを閉ざされ、それでもカーレースの世界にしがみついて生きているところに現れるかつてのチームメイト。不振にあえぐチームのドライバーとしてもう一度やらないかという誘いを最初は断るが、F1への思いが断ち切れずそのオファーを受けることとなる。

主人公のソニー・ヘイズはチームの2番手ドライバーで、将来を嘱望されている若手ドライバーがチームのエース。「ロートルと若手がタッグを組む」「ロートルがかつての輝きを見せつける」というストーリー展開、王道も王道だし、なんならトップガンマーヴェリックを彷彿とさせるし、テクニカルディレクターとの恋模様とかもぜんぜんひねりが効いてないので、物語として面白いかと言われると首をひねっちゃうのですが、そもそも「F1」という最高のスピードで0.1を争うスポーツそのものに魅力があり、その魅力をとらえることには完全に成功しているので、映画館で見る「体験」として優れたものがあるなと思いました。

自転車のロードレースでもそうだけど、同じチームメイトでありながらライバルでもある、みたいな絶妙な関係がまず面白いので、そのあたりの機微はちょっとでもこうしたスポーツに馴染みがあるかないかでも違うのかな~と思ったり。ピットインも含めた戦術とかもカーレース独特の面白さですよね。このアングルでコースを見ることってないよなあ~という光景がたくさん見られるので、その点もよかった。コシンスキー監督はマシンに愛がある人だと思うので、F1の主役であるレースカーが実に美しく撮られているのもさすがでした。

もはや老境に足を突っ込んでふてぶてしさしかない、みたいなソニーだけど、ブラピがやることでしっかりナイーヴな一面を見せてくれてたし、ケイトとのロマンスも、まあブラピじゃしょうがねえよなあ!ってなっちゃいますね。腹に一物ある役しか見たことない(言い過ぎ)ハビエル・バルデムソニーの良き理解者すぎてときめいた。あとアブダビでのレースで一瞬観戦に来ているセレブの中にクリヘムが映って、今のは!?って思ったら本当に観戦に来ていたクリヘムにカメオ出演してもらったらしい。さすがF1!というエピソードですね。