「月影花之丞大逆転」

コロナ禍でできるだけ密を避ける製作・作品をということでyellow新感線と銘を打った新作。上演時間も短く、出演者も最小限。新感線はもう長いこと、色んな意味でファットな作品作りに舵を切ってきたし、そうせざるを得ないような環境もあったりした中で、なんだかちょっと原点回帰ぽい雰囲気を感じてしまいますね。

東京公演期間中にライブビューイングがあったので、この先なにがあるかわからんし一応ここで見ておくか…とライビュ先、観劇あと、という珍しいパターン。いや、観るとわかってたらやっぱり実際の観劇を優先させたいって気持ちあるよね。いやな予感は当たるというのか、私の見る予定だった週末に緊急事態宣言再々発令、ギリギリ24日に駆け込みました。

ライブビューイングで見た時にも、あのオープニング映像で思わず声出して笑いそうになってしまって、いやマジで節操ない、国内外の名作傑作流行りもの、なんでもシャレのめし笑いのめしてネタにしまくる、NO!節操!それでこそ新感線!

月影花之丞率いる劇団に所属する、保険の高額契約をエサに釣られた男、共演者キラーと呼ばれ業界を干された女、そこに絡む訳ありの男…実はこの男は凄腕の殺し屋だった!その情報を掴んだインターポール極東支部は劇団に潜入捜査員を送り込むが…!ってそんなあらすじはもはやこの際どうでもいい。いやどうでもよくはないけど基本的にこのあらすじはやりたいことをやるためのお膳立てです。やりたいことはなにかというと「木野花演じる月影花之丞がでっかい声で言いたいことを言う」、そのための舞台装置です。

木野花さんの演出家としての行き過ぎエピソードは枚挙にいとまがないほどあって、もともとの「花の紅天狗」が生まれたのもその木野さんのキャラクターありきだったわけだけれど、御年70歳を超えて今なお意気軒高な行き過ぎた演劇愛を思う存分に浴びれる2時間という感じでした。すごすぎるよ。ときどき猛烈にグダグダになるところも含めてすごすぎるよ。

緊急事態宣言によって、私の観た時点では明日以降の舞台がどうなるかわからないという状況であったことと決して無関係ではないと思うけれど、月影先生の言葉のひとつひとつ、「あなたの怒りはわかります」「優れた役者が舞台に立てないなどあってはならない」「劇団をなめるな」「舞台がなければ作ればいい!」いやもう、刺さる刺さる。こんな芝居なのに、こんな芝居だからこそ、こんな芝居がちゃんと存在できる世界じゃないとだめじゃんね、と心の底から思いました。あとさ、演劇をなめるな、じゃなくて劇団をなめるな、っていうのがね、作家の想いを感じたりしてね、そこもすごくぐっときた。

古田新太阿部サダヲが全編にわたって芝居を引っ張ってくれるので、すごく安心感あったな。少人数芝居ならではのメリットとも言えるし、カナコさんたちの隙間をぐいぐい埋めていく力も沢山堪能できてよかった。カーテンコールの時とか、あれっ観ているときに感じてたよりもキャスト少ない、ってなったのはやっぱ劇団の力だなって思いました。

それにしても、古田とサダヲ、どっちも捨之介経験者だよね!ってことで用意されたあのアルプスの傭兵じいじのクライマックス、あれこそずっちーな!!!ですよ。あんなの喜ばないわけないじゃないの。いろんなものをネタにして、最後は自分たちの文字通り代表作をもパロるその精神や良し。あの名乗りが始まった瞬間の高揚は劇団と長く付き合ってきたものへのご褒美みたいなものだよね。最後にヤギがならんで2人と5匹のシルエットになるの、まあ笑ったし嬉しいしちょっと泣けるしでえらいことだった。

新感線が大きくなって、だからこそ用意される舞台は大きなものにならざるを得なくて、それはそれで進んできた道だからそれを否定はしないのだけど、でもこうして心底おバカでくだらなくて劇場出たらなんの話だったか忘れちゃうような、でも無駄に熱い演劇魂は確実に胸に残るような、そういう新感線の魂みたいな作品だったなと思います。月影先生の名セリフ、「舞台の上に過去はない、あるのは次の台詞だけ」。次の舞台を楽しみにしています!!

「パークビューライフ」

岡田惠和さんが脚本で風間俊介くんが出る、しかも上演時間1時間30分の会話劇というのでチケットを取ってみました。観に行く予定にしていたのは25日だったんですが、緊急事態宣言の発令が25日からと発表され、25日やれるかもしれないという一部情報もあるにはあったんですが、もう先に見ておくしかないと23日金曜日の当日引換券をまさに当日の昼に購入して足を運んできました。

新宿御苑を望む一等地にあるマンションの最上階で、だけど家族もなく友人もなく誰ともかかわることなく絵だけを描いて暮らしてきたひきこもりの男の家のルーフトップバルコニーに、女性3人組が屋上庭園と勘違いしてやってくる。聞くともなしに不法侵入3人組の話を聞いていると、どうやら彼女らは地方からこの東京に出てきて、今日が東京最後の夜らしいということがわかる。男は思い切って彼女らに自分の家に住むことを提案する。

ある意味現代のおとぎ話というか、ファンタジーだなあ…という側面が強い感じがあったかなー。あまり、洋にも望にも香苗にも玉枝にも生々しさを感じなかった。もちろんそういうふうに作ってあるんだと思う、あえて。洋が最初は自分を同性愛者だと偽り、その偽りが苦しくなって告白するときの一連のせりふがこの芝居においてはいちばんのキモなのだと思うのだけど、しかし「男とか女とかそういうのを越えて」っていう台詞を女がすんなり飲み込むには、その人間関係にそれなりの積み重ねがないとね…と思うし、まあそれを言ってしまうと自分らが不法侵入した家の男に誘われてそのまま居ついちゃうっていう筋書き自体がファンタジーだもんな…ということになっちゃう。男女1対1だったらまた違った見え方だろうけども。

望たちが洋に見つかってから居直る展開がうぎゃーと思うほど苦手で、いやさっさと謝れよ…と思ってしまった。なんでしょうね、ああいう展開見てて楽しめないんだよね。

かざぽんはこの布陣では頭一つ抜けたところがあるというか、ファンタジーをぎりぎりリアルに見せることに成功しているのは彼の腕によるところが大きいような感じがありました。独白も聞かせる力がすごい。あと前田亜季さんもよかったなー。このおふたりはなんというか、重力が感じられる役作りで、それがこの舞台においては大いに力を発揮していたと思います。

「白昼夢」

  • シアタードラマシティ 17列33番
  • 作・演出 赤堀雅秋

赤堀雅秋さん新作。赤堀さんの作品、苦手な時とぜんぜんいける!時と差が激しいので、ついつい開幕して評判を見てから自分が見るかどうか検討する癖がついてるんですけど、今回は評判というよりも1時間35分で書ききりました、ってとこに「その意気や、よし!」とチケット購入。少ない人数で見せる、濃縮90分の芝居。大好物なやつじゃないですか。

引きこもりの弟、その弟と一緒に暮らす父、離れて暮らす兄。「引きこもりを社会とつなぐ」団体の男と女。その春夏秋冬。

引きこもりとその家を訪れる男女、という構図はどうしても岩井秀人さんの名作「ヒッキー・カンクーントルネード」(または「ヒッキー・ソトニデテミターノ」)を思い出してしまうけれど、そこは赤堀さんなので、もっとドロッとしたいやな手触りも確実に感じさせる作り。登場人物全員にある種のいやらしさ、よわさがあって、う、いやだ、と思わせる場面もあるんだけど(薫の「生理?」ってとことか。あれほんとキツい)、それでも今回はそれだけじゃない視線も感じたな。引きこもりの息子と父親、途中交わされる会話から実在の事件を想起させる部分もあるんだけど、あの父親が言う「ただ生きてたっていいじゃないか」って台詞は、泥濘の中でひときわ美しく感じられた台詞だった。

そういえば松尾スズキさんの「命、ギガ長ス」の台詞でもあったな。「ただ、いたずらに、長らえるだけでもいいので」。

いやしかし三宅さんのうまさに感じ入ったな。淡々として見えるけど、あの咄嗟の激情が唐突でなく、しかもさらに唸るのがそのあとの芝居の立て方ね!弟の首をマフラーで締めて、そのあと過剰にサイコパスなふうになったり、過剰に悲嘆にくれたりみたいなふうに流れそうなもんなのに、ごめんちょっと手が滑ってコップ割っちゃった、みたいなあの含羞さえ漂わせる事後感。最後のさー!父親に話しかけるあのセリフもさー!エモさにひっぱられない、こちらがその「優勝インタビュー」のなかにサブテキストを見つけていける余白を十分に残す芝居。いやー舌を巻きますわ。風間杜夫さんも、ここにきて全然枯れない芝居の濃厚さをこの面々相手にぐいぐいぶつけてきててマジで演劇モンスターだよ…と思いました。

「四月大歌舞伎 第一部」

「猿翁十種の内 小鍛冶」。初見です!猿之助さんが童子実は稲荷明神、中車さんが三条小鍛冶宗近。いやー楽しかったな。猿之助さんのこういう「常ならぬもの」な雰囲気をまとったお役大好き。稲荷明神のお姿がまた神々しさとキュートさが綯交ぜになってて目が離せませんでした。

勧進帳」。幸四郎さんの弁慶、松也さんの富樫。連獅子とか勧進帳とかって、最初に見た時よりも回数を重ねて観るごとにどんどん面白さが増すというか、山伏問答のところとか今はもうワクワクして見ちゃう。古典の力ってことなんですかね。

幸四郎さんの弁慶、拝見するの2度目かな。お声が太く、大きくなって、安定感が増して、最初に拝見したときとはまた違うフェーズに行かれてるんだな~というのがよくわかる弁慶だと思いました。同時に、やっぱりその時にしか観られないものってあるよなというのを改めて実感したところもありますね。松也さんの富樫も、この初役の今だからこそのものって絶対にあるんだろうな。すっきりと清新な空気があって、松也さんの富樫もこれから拝見する機会が増えそうですね。

花道に近いとちり席という最高のポジションで稲荷明神な猿之助さんと弁慶な幸四郎さんを拝見できて、なんだか鬱々とした気持ちだったり、目に見えないけれどなにかこう、自分にまとわりついている悪い「気」のようなものを祓っていただいたような気持ちになりましたよ。

「四月大歌舞伎第三部 桜姫東文章 上の巻」

演劇ファンというのは誰しも自分の中に「届いた伝説」と「届かなかった伝説」を飼っているものですが、ものですがってこれ私が勝手に言ってるだけですが、いやでも飼ってるでしょ?演劇ヲタクほど「伝説」好きな人種はいないと私はおもってます。そんな中でもこれは飛び切りの伝説であったと言ってよいのではないでしょうか。仁左衛門玉三郎による「桜姫東文章」。私にとってはもちろん、心の中に飼っていた「届かなかった伝説」のひとつです。それがなんと36年ぶりに歌舞伎座で上演されるっていうんだから…いうんだから!

今月は「上の巻」ということで三囲の場まで。改めて物語の筋を追うと「いやすげえ話だな」ってなるし、玉さま仁左さまにフォーカスしても「いやすげえ芸の力だな」ってなるし、全方位にすげえすげえ感嘆しっぱなしの約2時間でした。出家を一心にのぞむ良家のお姫さまが、自分を手籠めにした男を忘れられず、その男に再会したとたん触れなば落ちんといった風情を漂わせる、さらにその姫に執着して高僧が堕落していく話までかぶせるんだから、もう、南北、癖がすごい。文字通り性癖の癖が。でもって、それを120%「アリだ!」と思わせてしまう玉三郎さまと仁左衛門さまのすごさよ。だってもう、70歳を超えてらっしゃるのよ?そんなの微塵も感じさせない。そもそも白菊丸と清玄で出てきたときから「このお二人の前には…時間って…無力?」と思ってしまうほどフレッシュで、初手から脱帽でしたもん。

桜谷草庵の場のおふたり、あの刺青をあらわすときの腕の見せ方から、足でぐりぐりから、腰を抱かれてぐっと反る桜姫の身体の線から、帯をぐるぐるから、いやもう「これは…やってますわ…」という空気しかなくてすごかった。あんなに色事の空気しかしない場面ってあります!?マジで息を呑んだし客席全体息を呑んでました。でもっておふたりが美しすぎんのよ。なんでしょうねこれ。倫理とかすっ飛ばして「美しい!ヨシ!」ってなってしまうこの心ってほんとどこからくるんでしょう。

しかもそこに残月(歌六さま~~!)と長浦の爛れに爛れた男女の様子を差し挟んでくるからほんと鶴屋南北の筆たるや。このドラマを遥か昔の市井の人たちも見ていて、きっと今の私たちと変わらない興奮をもってみていたんだろうなと思うと、なんだか無性に心強くなりますね。

下の巻は6月に上演決定。震えて待つ!

「パーム・スプリングス」

f:id:peat:20210414230009j:plain
予告編見た時に「ループものじゃん!おもしろそう!公開されたら見に行こう!」って思って、これそのまま忘れるパターンかもなって思ったんですけど今回忘れなかった偉い。監督はマックス・バーバコウ。何と本作が初監督作品とのこと!

恋人の部屋で目を覚ますナイルズ。朝からとりあえずコトに及ぼうとするが未遂のまま。どうやら2人はうまくいっていないらしい。恋人がブライズメイドを務める知り合いの結婚式にアロハシャツで参列し、妙に場慣れした空気感を醸すナイルズと、花嫁の姉として浮かない顔で結婚式に参列するサラ。ナイルズはサラを誘い、ふたりは会場を抜け出し、さあこれから…というところでなぜかボウガンの矢がナイルズに突き刺さる!

ループする世界にいる男とそこに引っ張り込まれた女が「明日に行けない」世界で繰り広げるロマンティックコメディ。面白かったです。ナイルズは何回あの11月9日を繰り返したんだろうな。その前に自分が何をしていたか忘れたというのが口から出まかせなのか、それとも本当にそうなりつつあるのか。その世界を分かち合うサラがいて、このまま、あしたもきょうと同じ一日の繰り返し、どこにも行けないけれど、けっして回復不能なまでに傷つくことのない世界でいたほうがいいのではないか…っていうナイルズの気持ちわからんでもない…と言いたいところだけど、いやいやわかんない、わかんないよ。そりゃ一歩踏み出せばそこで回復不能な悲劇が襲い掛かるかもしれんけど、そして先が見えない世界はこわいけど、でもわかってる世界よりはぜんぜんいいでしょ。

そう考えると、こわさって生きてるってことの裏返しでもあるんだなと思ったな。ナイルズの世界にはこわいものがないものね。なかった。サラがくるまでは。サラがきてから、サラがいなくなることがこわくなった。

サラはできることなら11月8日からやり直したかったかもね。もしもう一度チャンスがあったら2度とあんなことしない、というような最悪な日の朝じゃないですか、サラの11月9日って。でもだからこそ、あの朝を永遠に繰り返すなんてまっぴらごめんだと思えたのかも。何にも蓄積されないが、唯一自分の中にだけは経験を蓄積していける、ってことを最大限生かすサラ、むちゃかっこいい。演じているクリスティン・ミリオティはあれだね、モダン・ラブの第1話の彼女だね!ちょうキュートだった~

J.K.シモンズがまたいい味だしてて、あの家でロイとナイルズが話すシーンよかった。アンディ・サムバーグ、魅力爆発してたな。いや、それにしてもこの物語さ、なんか「あれ?あの人も『繰り返している人』なのでは…?」みたいな演出がなかった?あと!あの恐竜のシーン…!あれをちょっと解釈しかねてて、いやむちゃくちゃ好きなファクターなんだけど、あの恐竜もループをしてたってこと?なのかな?いやとにかくあの夜の砂漠のシーンはむちゃくちゃよかった。最後の見せ方もすごくスマートですばらしい。楽しかったです!

「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」第3話までの感想メモ

f:id:peat:20210407220740j:plain
ついこの間始まったのにもう3話まで放送が終わって、全6話なのでもう半分!半分じゃん!ってなってますこんばんは。みなさんバキ翼見てますか?えっ?ディズニープラス入るのめんどくさい?わかる!そうだよね!そういえばいちおうサーバーの増強してくれたのか、今のところ配信開始日(金曜日)に落ちてる!見られない!って感じにはなってないです。

毎週金曜日はいそいそ帰ってきてとりあえずひたすら画面に集中して、毎回終わるたびにいやもう情緒ぐちゃぐちゃにしてくるやん…?ってなってるんだけど、しかしこうした毎週配信のドラマはどの程度感想を直截に書いていいものかはかりかねるし、配信初日にツイッターでゴリゴリ書いちゃうのも他の人の興を削ぐかもしれないし、とはいえ何にも書かないでおくと時間が経ったら自分の感想も忘れるようなタマなので、とりあえず折り返し地点で自分の感想を残しておこうと思った次第。各話ごとにまとめるのが難しそうなので(これドラマの宿命ともいえるけど、「次」の展開を見たあとではその前話のフレッシュな感想を書くのがむずくなる)、各キャラクターごとにいきます。

バッキー・バーンズ/ウィンター・ソルジャー

たぶん1話だけで3回くらい「地獄かよ…」つったと思う。そういう地獄みは1話までで2話からはサムと連携して仲良くケンカすんのかな!と思いきや2話もまだまだ地獄だった。何が地獄って、3話でスティーブがかつて「今の世界を知るためのメモ」が今やバッキーの手にあるってことが明かされたわけだけど、そのメモに「償わせるリスト」と「償うリスト」を書いているこの、この、バッキーの現実…。生活感のない部屋で目覚めて、受けたくないカウンセリングを受けることを引き換えに自由な行動を手にし(あそこでメモを取られるのを極端に嫌がるのはかつての洗脳のフックを思い出すから?)、ウィンターソルジャー時代の悪夢を見る。なんの関係もない一般人を巻き添えに殺したことをおぼえていて、その父親の孤独を少しでも和らげようと近づいて、でも癒えないその傷の深さに慄いてさらに自分が傷つくループ。もしスティーブだったら、言うんだろうな。でもバッキーは言えないの、言えないのよ。それは弱さとかじゃなくて、いや弱さなんだけど、それはブルックリン時代のバッキー・バーンズ像から変わってないんじゃないかと思う。
言っても詮無いし、私個人的にはスティーブが自分の幸せをあの「タイムトラベル」後に選択したことも納得するけれど、いやしかしここまで現代のバッキーが地獄だと、いやスティーブ…ちょっとでも近くにいてやってくれよ…とか思ってしまうじゃん。
そんで2話であの、膝小僧抱えて(抱えてなかった?私の幻視か?)ニューキャプテンアメリカをテレビで見るあのシチュエーション!マジ地獄。脚本家はサドなのか。バッキーとサムが一緒に行動するようになるのはサムきっかけかなと想像してたけど、まさかのバッキー押しかけだったというね。しかし、取り繕うというか、表面上だけでもうまくやる、みたいな姿勢を一切見せないのがまた、意外であり面白かった。スティーブの前でだけはかつてのブルックリン時代の、気のいい、気さくなバッキーでいたかったのかなと思うほど、このドラマにおけるバッキーの「オブラートのなさ」って新鮮。「私はきれいなんかじゃない。きれいなふりをしてたのよ。あなたの前ではきれいな人間でいたかったの」(出典は内田善美さんの星の時計のLiddel)って台詞が脳内に浮かびっぱなしになったっつー。サムに「バック」って呼ばれて「バックって呼ぶな」「スティーブは呼んでた」「あいつは付き合いが長いしプランがあった」ってやりとり、「うん これ 見た(二次創作で)」感すごかったね!
血清と盾が何を人にもたらすのか、その強い光の裏には当然濃い影があって、それを知ったサムが「壊してしまうべきだった」っていうのもわかるし、でもそこで「だったらおれがいただく」っていうのがねー!ほんとバッキーだった。スティーブがお前に渡したからお前を尊重してるんだぞっていう。いやはやスティーブ・ロジャースの存在の大きさよ。
しかし、サムの、ファルコンがたどりつくべき場所っていうのはあらかじめ示されていると思うけど、じゃあバッキーのたどりつくべき場所ってどこなんでしょうね。それが後半すこしでも示されるのかな。あの償いリストを、忘れないけど、でもあれにとらわれない人生が少しでも待ってたりするのかな。いやーほんと、ちょっとでもこの世界で自分の居場所を見つけてほしいよ…。

サム・ウィルソン/ファルコン

1話冒頭でいきなり「今までのうっぷん(なんの)、ここで晴らします!」と言わんばかりの最高にかっこいいアクションのつるべ打ち、いやー堪能堪能。しかも!!ここで出てくるのがバトロックだなんて聞いてない!ローディが出てくるのはちらっと予告されてたけど、まさかまたお目にかかれるとは!だよ。むちゃくちゃ興奮したし嬉しかったしなんなら画面に向かって「お久しぶりですーー!!」言うてたわ。バトロックを配している点から見ても冒頭のアクションシークエンスはキャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャーの構成をなぞってるよねーと思いました。地上部隊の彼とも仲良しそうで良き良き。
しかし、そのあとの襲い掛かる現実がもう苦いどころじゃないアレ。ヒーローの理想と現実と言ってしまえば簡単だが、そこに上乗せされる「指パッチンで消えた5年」の重さよ。いや実際こういうドラマの常として、残された側にフォーカスが当たるし、実際我々はエンドゲームでその残された側と心情的に共闘していたわけだけど、そして消えた面々が帰ってきてめでたしめでたし…にならない!MCUどこまでえげつないのか。親が残していった家族の象徴たる船をめぐる姉とのやりとり、時間が止まっていたサムには「そんな早計な」って映るし、5年を耐えてきた姉からすれば「こちとらもうそんなフェーズじゃない」って感じでどっちもわかるだけにさ…!っていう。
銀行の融資をとりつけるための交渉の場面、第2話で口論するサムとバッキーに対して警官がバッキーにだけ敬語で「何かトラブルですか」と言い、サムに身分証を見せろという場面(ここでバッキーが身分証を見せたらいいだろという仕草をするの、いやーこれが無意識ってやつか…っておもう)、いずれもサムが「アベンジャーズ」だとわかるとへつらい、へつらうがそれだけでは現状は打破されない…いやそりゃ地に足もめり込みますってば。バッキーとふたりのカウンセリング場面で、「おまえにもスティーブにもわからない」って言うのはもちろん彼自身が黒人であるということと無関係じゃないわけで、だとするとこのドラマはサムがどうやって変化していくか(盾を受け入れていくか)ってことがキモになるんだろうなと。MCUの覚悟もすごいが演じるアンソニー・マッキーの覚悟もすごいものがあるのではと推察します。
個人的には後半戦でレッドウィング復活してほしいし、なんならバッキーとレッドウイングとでやいやいやってほしいし、これでもか!という爽快なアクションシークエンスが見られることを期待したいです。3話で座席のくだりやってくれたのシビルウォーの逆再現で喜んじゃった。バッキーともっと仲良く喧嘩してくれてもいいのよ!

ジョン・ウォーカー

1話の最後で誰もが「おいおいおいおいおいおいおーーーーーい!ウィンク!すな!!!」と叫んだであろうと思われる、ニュー・キャプテンアメリカことジョン・ウォーカーさん。いやー感服仕りました。なにがって、おい!と言わずにいられない登場から、2話冒頭でジョン・ウォーカーという人を見せていく構成!なにがすげえって、名誉勲章3回ですよ。この間「ラスト・フル・メジャー」見たばっかだから余計に「あの名誉勲章を…3回ィ!」と思ってしまうわ。つまるところ彼は、まさに心技体に秀で、勇気と秩序を重んじ、アメリカという国を信じる、本当にこれ以上ない愛国者アメリカの理想とするアメリカなんだなっていうのがすごくよくわかる。その心情をアメフトのロッカールームでさせるのも心憎いわ。ほんとジョックの象徴じゃんね。このジョン・ウォーカーを、一見して露悪的な人物に描かなかったのはさすがとしか言いようがない。
しかし!しかしですよ。いみじくもバッキーが「その盾を持てばキャプテンアメリカになれるわけじゃないぞ」って言った通り(あそこで手りゅう弾に身体を投げ出したことは?って聞くの、俺の魂がぎゅん!ってなりましたよ)、見ている視聴者全員にわかっているわけです、「彼はキャプテン・アメリカにはなれない」ってことが!あのスティーブ・ロジャースを見てきた我々にはそれがわかる。ウォーカーはもしかしたらスティーブよりすぐれた「兵士」になれるかもしれない、でもそう、ウォーカーはたとえ100回生まれ変わってもムジョルニアを持つことは絶対にできないと思わせる。こゆるぎすらさせられないだろう。それがわかる。ウォーカーを極端に卑下せずに、でもそれが「わかる」キャラクター作りにしているのがね、ほんとうにえらいなと思いました。しかし、あの2話のトラックの上でのファイトシーンのあと、荷台で一緒に運ばれるサムとバッキーたち4人のシーンはい~い感じにヒリヒリしてて最高だったな。たぶんみんなバッキーの目つきに同化していたのでは?

ヘルムート・ジモ

第2話のクリフハンガーでチラ見せ、第3話でこれでもか!と魅力爆発。いやしかし、私てっきりシビルウォーのあのジモの独白の場面、なんかつましくも幸福な我が家…みたいなの想像してたよ。あの留守電繰り返し聞く姿からあんなド級の金持ちが出てくると思わんやん。いや男爵(バロン)だけどね!そうなんだけどね!
ジモが第3話で光り輝いてる理由は、このF&Wで初めて出てくる、というかフェーズ4で初めて出てくる、海千山千の、色男、金も力もありますが何か?な大人だからじゃないかと思う。きわめて劇画的人物というか。そういう人物ばっかりだったらリアリティがしぬけど、ここまで地に足がつくどころかめり込むようなひとにフォーカスが当たってたからさー。でもって、ジモが根っからの強化人間嫌いだってのもよくわかりました。ウィンターソルジャー計画を悪用せずに潰したのも納得です。マジで血清を憎んどる。しかしそれにしてはバッキーに対してはなんか、情があるよね。なんであそこで顎むにむにしたの?バッキーとの対面であのキーワードをのっけからカマしてくるのも期待通りって感じでよかったです。てっきりすぐに離反するのかと思いきや、けっこう付き合ってくれてる。「トラブル・マン」のサントラを「あれにはすべてがある」と評して、サムが「こいつは嫌いだけど今ゆってることは評価すんぞ」みたいなやりとりよかったな。あの流れでバッキーのメモ帳がスティーブのものだってわかったのもありがとう、い~い薬ですって感じだった。このまま後半戦もバキ翼コンビニ付き合うのだろうか?どこかで手ひどいしっぺ返しがくるのだろうか?間違いなくこのドラマ最大のトリックスターで、この先も視聴者を翻弄してくれそう!

シャロン・カーター

バッキーが「うわーあ、イヤな女になったー」って棒読みで言ったとこ、爆笑しました。シャロンどうしたシャロン。ちょうやさぐれて暗黒街でのし上がってましたけど。またこれがカッコイイので参るわ~!男どもが博士を囲んでヤイヤイやってる間ひとりで刺客を片付けまくるの最高だった。駄菓子菓子!これ絶対「国賊扱いされてそのまますべてに背を向けて触るもの皆傷つけた」って顛末とはどうしても思えない自分がいるんですけど。最後の「まずいことになった」っていうのも自分の商売的なことじゃなくて、隠密同心的な意味なのでは!?絶対なにか託されてますよね彼女。だってもともとフューリーの子飼いだったじゃないの。そんな1枚舌のわけないとか思っちゃう。みんな言ってるけどバッキーですら恩赦をもらってシャロンがそのままなわけないと思うしさー!いやまあシャロンがそのまま(国賊扱い)だっていうのもそのまま鵜呑みにしてるサムどうなんとも思いますけど。私は裏が(というか表が)あると思ってます!

フラッグスマッシャーズ

正直よくわかんないとこが多い。指パッチン後の、半数の人間が消えた世界のほうが良かった、あの頃はみんなが助け合ってた、世界が美しかった…というカルトなのかと思いきや、やってることが難民キャンプに物資を運ぶという行為なので(金も盗むけど)、それをやるのに血清は盗む、強化人間になってヒャッハーする、言っちゃなんだけど君らのテーマって…何かね?みたいな気になってくる。世界の半数が消えるということはすべての国の国力が下がるということなので(それをこのコロナ・パンデミックで身をもって知っている我々である)、当然助け合わなきゃいけないし、その連帯を経験した、傷を乗り越えた人たちと「そうでない人たち」との埋められない溝があるというのはもっともで、そこに切り込むのさすがだなーと思うけど、その着眼点の面白さと比して今のところそこまで物語を牽引するパワーがこの集団に感じられないっつー感じかな~。
ぜんぜん関係ないけど、この間日本の各音楽フェスが連名で声明を出していて、その昔「そっちのステージ出るならこっちのメインには出さん」みたいな噂がまことしやかに聞こえてきたりしたのに、パンデミックになれば互助せざるを得ないってこういうことか…と思いました。卑近なたとえだしほんとにぜんぜん関係ない!

3話のクリフハンガーはブラパン組からマヨのご登場だったわけだけど、これ毎回なんかあんスかね。もう正直息も絶え絶えだしどこかで話を収束させていかないといけないのでは~!ってなってますがどうなんだろう。最終的にフェーズ4の各映画に続く!とかなんのかな。そういえばマドリプールでサムたちが賞金首になるとこ、ジョン・ウィックやん!!と思ったら脚本家同じ人だった。きっとその人のサビなんだろな。とりあえずあと3週、ギャイギャイ言いながら楽しみたいと思いまっす!