「メリリー・ウィー・ロール・アロング」


松竹ブロードウェイシネマとかをはじめとして近年拡大しつつある、ブロードウェイミュージカルのヒット作を映画館で!というやつ、沖縄だとさすがになかなか見られる機会がなく、あまり情報を追ってなかったのですが、Xでお友達がおすすめしているのを見て、ダメ元で劇場情報見てみたらやってる!!!桜坂劇場で!!!ありがた山すぐる!!!というわけで足を運んできました。題材といい舞台としての見せ方といい、むちゃくちゃツボで、もう冒頭10分くらいで「おいおいおい、こんなん好きに決まっとるやんけェ!」って心のなかで大喝采でした。大当たりにもほどがある。おすすめしてくださったお友達に感謝感謝です。

「メリリー・ウィー・ロール・アロング」は1981年初演のブロードウェイ・ミュージカルで、楽曲を手掛けたのはあのスティーヴン・ソンドハイム。今回上映されるのは、2023-2024年シーズンにブロードウェイで上演されたマリア・フリードマン演出版で、2024年のトニー賞でミュージカル・リバイバル作品賞を受賞しています。

なんといってもこの作品の一番の眼目は、登場人物たちの物語を現在から過去へ逆再生していくこと。いまやハリウッドの人気プロデューサーとなったフランクは、成功の裏で自己の表現から遠ざかり、お手盛りの娯楽作品を渡り歩く現状にすっかり嫌気がさしている。不倫のうえに結婚したミュージカルスターである妻との生活はすっかり冷え切り、若い女優に手を出すなど私生活も荒れる一方。そんなフランクを「すっかり変わってしまった」と糾弾する友人のメアリーとも関係が断たれそうになる中、かつての仲間である劇作家チャーリーの成功に心穏やかではいられない。どこで間違った?いつ間違った?この3人ならなんでもできる、そう思えたあの瞬間に戻れるのなら…?ここから、彼らの過去を時間を遡る形で描き出していきます。

冒頭に、「選択を常に間違った」という歌詞があるんだけど、いろんな場面を遡って見ていくと、これは何もフランクだけではなく、彼ら皆が「どこかで間違えた」ことがあるのがよくわかる。たとえばメアリーは妻との離婚で落ち込むフランクに「愛してる」と口走ったあの瞬間だとか(あそこで茶化さずに愛を伝えていたら?)、傷心のフランクが作品に没頭しようとするのを享楽的なクルーズツアーに送り出してしまうチャーリーもそうだし、ガッシーは危険だと忠告されたにも関わらず、彼女とフランクを二人きりにしてしまうベスもそう。もちろん、新しい世界の「成功」に目がくらみ、誤った選択をし続けたフランクしかり、運命を変えるポイントは誰しもにあった。

物語のすべての始まりであるルーフトップの場面が最後にくるんだけど、ここのフランクとチャーリーのやりとり、作詞家と作曲家、というキャラクターも相まって「ロケットマン」のエルトン・ジョンとバーニー・トーピンを重ねちゃったり。あの映画にもふたりでルーフトップで語るシーンあったよな…青春の舞台になりがちなルーフトップ…。

冒頭から、どんどん「キラキラしたあの頃」に戻っていく構成、たしかに切ないんだけど、でも正直なことを言えば、私はそこまで切なさに浸ったわけではなかった。たしかに「もう戻れないあの頃」を振り返るものではあるけれど、だって彼ら、まだこの先があるじゃん、と思えたところがある。だってまだ50歳にもならないでしょ?30代40代なんて、ロックバンドなら一度は活動休止か解散かしてる頃合いよ。「俺の人生、これでぜんぶなのか」って誰しもが思い、何かをやらなきゃと思っちゃうタイミングよ。それに、成功して生活に不安がないからこそ思えることだってあるわけでね。あそこで魂を売らず困窮した生活が続いてもなお心が折れずにいたかどうかって、そんなの誰にもわかんない。少なくとも、彼ら3人はまだ不可逆じゃない。この作品が最後に「希望だけがあったあの頃」を見せて終わるのは、ただ切なさを増幅させるだけではなくて、そこにもう一度戻れるってことの暗示でもあるんじゃないかって気がした。フランクを演じたジョナサン・グロフの、あの少年性すら感じる目の輝きがそう思わせてくれたっていうのもある。

作中で印象に残ったのはなんといってもダニエル・ラドクリフ演じるチャーリーがフランクに不満を叩きつける「Franklin Shepard, INC」の大迫力!いやー思わず終わった後拍手しちゃった(3人しかいない映画館だったけど)。あとパーティでGood Thing Goingを歌う場面も、1回目のフランクとチャーリーの間にあるズレを言外に匂わせる切なさと比べて、アンコールを求められたあとの客の「俗物ぶり」のカルカチュアライズした見せ方も実に演劇的でよかった。ジョナサン・グロフの人たらしぶりと、それでもその底にピュアネスを感じてしまうキャラクターも素晴らしかったね。

映像作品としてかなり意識してクローズアップを多用していて、それはそれで各々の表情も追えてよかったのだけど、舞台のオタクとしてはやっぱりもう少し引きで観たかったなと思う部分もありつつ、まあでもそれは舞台で観られるからネ!と言われたらそうですね!としか言えないんだけどね!

ところで、これをあのリチャード・リンクレイターが20年かけて映画化しようとしていると小耳にはさみまして…リンクレイターさん!またしても「BOYHOOD」みたいなことを…!しかも20年て前よりスパン長なっとる!いや楽しみです。フランクがポール・メスカル、チャーリーがベン・プラット、メアリーがビーニー・フェルドスタインて、キャストも盤石すぎるじゃないですか。ただ…公開まで…遠い!それまで生き抜こう!頑張って!

「この世界に19文字の文章など存在しない」ル・コント

  • キャナルシティ劇場 1階M列10番
  • 脚本・総合演出 小林賢太郎

沖縄から本土に出かけるときにできるだけいろんなことを抱き合わせてしまいたい、という欲求が強すぎてとうとうライヴと芝居も抱き合わせるに至ってしまいました。小林賢太郎さんの作品観るのめちゃ久しぶり。

「この世界に19文字の文章など存在しない」がすでに19文字なわけだけど、各編のタイトルもすべて19文字になってたりとか、言葉の比喩表現を使ったコントや映像を活かしたコントもあってバラエティに富んでた。いちばん好きだったのはアイデアのやつかな、「アイデア」にまつわるいろんな表現を可視化して見せちゃうという。「この通りです」はどっちかというとパワーでねじ伏せてくるやつなんだけど、平原さんの身体のキレをうっかり楽しめるというおまけつき。書店のコントみたいな余韻のあるやつも勿論大好きです。

小林賢太郎さんの書くコントってラーメンズのころから演劇的な要素があると言われてたし、実際コントによってはもうこれ一篇の芝居じゃん!みたいなものもあったわけだけど、でもその後に手掛けられた作品とかを見ても、やっぱり軸足は演劇にあるわけではないというか、「物語ること」への距離感というか、俯瞰で見ているような感覚があったと思うし、逆にコントというものへの信頼感というか、いろんな手法をとっても、コントとして成立するものを見せられる自信を感じられるんですよね。久しぶりに作品を拝見してもやっぱりこの人はコントへの信頼がすごくある人だなあと改めて思いました。

抱き合わせてでも見たいなと思ったのはキャストがすごくいい顔ぶれだったのもあるんですが、まさに期待通りだったなー。野間口さんはもともと大好きな役者さんだけど、どのコントでも佇まいがなんかツボ。あとなだぎさんは客前での反射神経というか、お客さんの空気を読むのがマジでうまい。さすがだなー。

小林さん、今夏にも新しいお芝居が控えているようで、オクイさんが出演されたりしてこれも気になりつつ、なかなかタイミングが合わなさそうでざんねん。また機会を見つけてお仕事を拝見できたらいいなと思っております。

「神経衰弱ぎりぎりの女たち」

  • 博多座 1階K列37番
  • 脚本 ジェフリー・レーン 翻訳・演出 上田一豪

ペドロ・アルモドバル監督の同名映画をミュージカル化したもの。すでにブロードウェイ・ウエストエンドでは上演歴があって、今回が本邦初演です。いろいろ紆余曲折あって福岡で観る時間ができたので、急遽当日券で拝見してきました。博多座、当日券買うときに空いている席を選ぶのもできるだけ通路側、とかそういう希望を聞いて瞬時に表示する座席の選択を変えられるの、さすがのホスピタリティや…!と思いました。

女優のぺパは恋人のイバンが残した留守番電話で別れを告げられ、直接話したいと思うがなかなか彼はつかまらない。そこに現れるイバンの元妻ルシア、ルシアとイバンの息子カルロス、その恋人のマリサ、アバンチュールを楽しんだその相手がテロリストらしいと知って慌てふためくぺパの友人カンデラ…それぞれの思惑と鳴らない電話が絡み合っていく、というお話。

もともとの映画は未見なんですけども、すごく演劇的な面白さのある展開でミュージカルとしても違和感がないのが面白かった。ぺパの暮らすマンションを中心にあまりセットを動かさず(なので暗転の必要がない)、小道具大道具の配置で次々に場所が変わっていくのも実に演劇的で、美術がすごくいい仕事してると思いました。

ルシアはこの中ではいわゆる「プッツン」系の人というように見えるけれども、これイバンとの別れがきっかけで精神病院に入院していた(「窓に鉄格子」という歌詞がある)と思われるので、そりゃ「あんたには私の話を聞く義務がある」となるのもわかるよなと。そしてこのルシアをウザさとチャームを絶妙なバランスで見せる秋山菜津子さんがむちゃくちゃいい仕事してるなと思いましたね。悲劇によせてルシアに肩入れさせすぎてもその逆でもバランスが崩れたと思うし、秋山さんさすがの安心感。

恋愛脳からほど遠い人生を送っている者からすると、愛することと生きることが同義!みたいな登場人物たちの「ぎりぎり」ぶりにはあまり引っ張られないし、ぺパとイバンの別れの場面も「頼むから一発そいつを殴ってくれ!」としか思えなかったし、最後のマリサとぺパの会話とかちょっとnot for meな感じはありましたけど、望海さんの華のある佇まいと歌に引っ張られて楽しく拝見できたかなという感じです。あとはしばしで聞かせてくれる遠山裕介さんの歌も魅力たっぷりでよかった!

「スーパーガール」


ジェームズ・ガンの「スーパーマン」に続くDCUシリーズの第2作。完全に地続きな世界観ではあるものの、前作を見ていないとわからないとかそういうことはないです。監督はクレイグ・ギレスピー。

クリプトニアンの生き残りでスーパーマン(カル=エル)のいとこにあたるカーラは、飼い犬のクリプトと共にその日暮らしの退廃的な生活を送っていたが、ある日酒場でブリガンズという悪党に復讐を誓うルーシーという女の子を手助けする。カーラの強さを見込んだルーシーに復讐の助太刀を頼まれるが、そんな気はさらさらないカーラ。しかし、ルーシーを追いかけてきたブリガンズがクリプトに毒を打ち込み、その解毒剤のためにルーシーとブリガンズを追うことになるが…というあらすじ。

「スーパーマン」は去年のベストといってもいいほど大好きだったので、今作も楽しみにしていましたが、いやーいまいち乗り切れなかった。やっぱり脚本の展開がどうにもうまくない気がしてしまった。ルーシー一家がブリガンズに狙われるのはあのお父さんの作った剣が理由なのかなと思うけど、だとすると彼らをあれだけあっさり殺してルーシーを見逃すのもよくわからんし、そのルーシーに剣を持ってかれてるのもよくわからん(そもそもその剣を特別視する理由もよくわからん)。ルーシーが復讐に生きるのはいいとしても、手当たり次第すぎて実現可能性が薄い暴走のようにしか見えないのがなあ。クリプトがあと3日の命ってなるのも、あまりにも御都合展開というか、なんでわざわざカーラに自分たちを狙わせるようなことをブリガンズがするのかよくわからない。クリプトニアン対策をばっちり打ってるところからしたらカーラそのものにブリガンズの目的がないと「追わせる展開」にする意味がないけど、そういうところが全部ちぐはぐだったし、モモアさん演じるロボも、べつに正義の味方でなくてもいいけど、ロボの立場から共闘する理由というかきっかけがないと、「おもしれー女」だけで持っていこうとするの無理があるなあ…と思ってしまいました。ルーシーはルーシーで復讐を胸に長い時間を生きて(それなりに鍛錬を積んで)、カーラはカーラでブリガンズを追う理由があって、そこで二人が共闘…とかだったらバディものとしても楽しめた気がするんだけど。

あといわゆるオリジン展開を回想シーンで見せていくのがいまいちだった気がしちゃったし、ルーシーに不殺を説くところもこう…なんというか、ちょっととってつけた感が否めなかったです。ブリガンズが男だけの世界を作り女はぜんぶさらって花嫁という名の奴隷にするっていういきなりのマッドマックス展開でしたけど、それもなんか…もうちょっとヴィランにはヴィランとしての書き込みがほしい!と思っちゃいましたネ…。

「優しくないけど親切で、正しくないけどいい人」っていうフレーズはすごくよかったし、これってジャスティス・ギャングにも通じるジェームズ・ガンの世界観をよく表してるなって思いました。飲んだくれで怠惰だけど魅力を失わないミリー・オールコックの佇まいはすごく好き。黄色い太陽を浴びたらバカ強だけど、その能力が手を変え品を変えナーフされちゃうのはもどかしさもありつつ、最後の最後には圧倒してくれるところはよかった。欲を言えば前半にもう少しそういうシーンが欲しかったかも。もっと欲を言えばクリプトには「スーパーマン」と同じくもっと無邪気に活躍してほしかったかも。

来年は「スーパーマン」の続編が予定されていて、もちろんスーパーガールも出る(よね?)と思うので、カル=エルとの絡みは楽しみです!

「六月大歌舞伎 盟三五大切(Bプロ)」

  • 歌舞伎座 1階7列17番

というわけで続きましてBプロです。こちらは勘九郎さんの三五郎を正面から見たいということで7列目のお席です。いや大正解だったな。

最初に書いておくと、座組全体の一体感というか、芝居としての完成度はBの方があるかな~という感想を持ちました。松也さんの源五、仁左衛門さまが手がけられたときと人物造形が似ていて、座組もしっかりその方向に沿っているというか。砕けた言い方しちゃうとBプロのほうがエモさがある。それは源五兵衛が前段で見せる鷹揚さ、柔らかさがしっかり活きてるからだし、そこからの落差、怖さのなかに見え隠れする、堕ちる前の彼自身の善性みたいなものが感じられるところにあるからかも。

それにしても!!!勘九郎さんは三五郎がニンすぎる!!!!おたくとしては初役の源五兵衛に思い入れあるし、マジで満願成就すぎたんだけど、それはそれ!これはこれ!ご本人も絶対好きでしょこういう役。相手が七之助さんというのもあって今回、ゴールデンコンビっぷりがあまりにも炸裂してます。

もうまず初手の佃沖新地鼻の場から全部の場面がかっこいいもん。これほんと小万の気持ちわかるもん。源五兵衛にわるいことしてるなって思いつつもあたい、三五郎に本気と書いてマジだから…って気持ちなんでしょ?わかるわかる(その辺にしとこうか)。これから完全に致すつもりですし実際致してましたが何か、みたいな乱れ具合で出てくるの本当にやめてもらわなくていいです大歓迎です。

深川大和町の場で入れ替わりに三五郎が出てくるところでも、私の後ろの人が「かっこいいッ」って思わず口にしちゃってたもんね。わかる!わかるよ!そこから二軒茶屋の場面までまじでずーーーーっとカッコいいの最長不倒記録叩き出し続けるからこわいですあの人。なんで…なんでそんなかっこいい?普段そんなこと微塵も思わないんですけど?(言わんでいい)小万に目配せして自害狂言させて源五に百両出させるところ、三五郎はずーっとその瞬間を見てるんですよ。いよいよ出したその瞬間のね、あのよしっ、とでもいうような顔と仕草、夢、夢に見る、いや見たい、それぐらいむちゃくちゃ悪い、悪くてカッコいい、なんなんスかあれ。

三五郎はもちろん後半になるにつれ千太郎としての顔が出てくるんだけど、端々に孝行息子になりきれなかった男の顔がしっかり感じられて、そういうところもツボだった。四谷鬼横町の場で、八と入れ替わりにやってきた夫婦が慣れた様子で片付けをしているところ、あそこで薪がねえつってその辺の棚引っぺがすじゃん。あれホントに引っぺがして膝で割るやん。そんで火打ち石持ってきてほんとに火をつけるやん。その一連の動作がほんとに…ほんとにね…永遠にこれを見ていたいが!?ってなるほどカッコいいんすよね…だめだもうこの人お薬多めに出しておきますね!

松也さんの源五はしっかり感情表現が豊かで、それが各々の場面で活きてたし、特に八右衛門とのやりとりはまーじでむちゃくちゃよかった。家財道具うっぱらってそれでもなお小万を夢見る主をみるときの八のやれやれ感、歌昇さんとの相性も最高だったな。それが最高潮に達するのは言うまでもなくあの別れの場面で、縄をかけるときの源五の苦渋、たまらずに自分も膝をついて手拭いをかぶせてやる表情、松也さんも歌昇さんも素晴らしかったよ。そのあとに思わず八を抱きしめてしまうところも含めて、Aプロの役柄との違いが浮き彫りになる感じ。視線を合わせるのがBの源五らしさで、これは象徴的な場面だと思ったなあ。

あと、又五郎さんの助右衛門がすごくよくて、この芝居何度も見ているけど、この叔父との関係性のところで落涙しそうになったのはじめてかも。あの「ばかなやつだ」の言葉に込められた哀しさ悔しさが手に取るように伝わってきた。

五人切りにしても小万殺しにしても、折々に見せるエモーショナルさが松也さんが演じる源五の王道感につながっているのかも。小万の首を落とした後、外に出てはじめて戸板を叩く音が雨だと気が付くようなあの感じ。まるで家の中で起こったことは夢だったかのような、ただ自分の愛しい女の顔に、安堵とも絶望ともとれる表情を見せるところ、素晴らしかったです。

愛染院門前の場で腹を切った三五郎に松也さんの源五兵衛は「こうのうてはかのうまい」を言わないんですよね。これ、仁左衛門さまが前回手掛けられたときのインタビューでも、「この台詞は言えない」と仰っていて、松也さんの源五もこれに近い造形だったんだなーと改めて思います。このあと討ち入りの面々に名前を加えられるというのが、Aでは虚しさというか、虚無!という感じだったけど、こっちは多少の報われた感が出てくるように思えました。あと意識して書かれてるからそりゃそうなんだけど、ここはほんとに勘平を思わせる絵面ですよね。

私の見た回で途中かなり大きな地震があり、一部携帯のアラートも鳴ったり、観客もかなりざわめいていましたが、ちょうど八右衛門が身代わりを申し出る場面で、歌昇さんはじめ舞台上の方々の落ち着き、見事な集中力で観客をちゃんと引き戻していたのさすがでした。ほんと今回、いい座組だったな。すみずみまで役者さんが皆すばらしかった。そういう芝居を見られるのって芝居好きにとってなによりの御馳走ですよ。

それにしても、大南北先生は本当に変態、いや天才、いや変態の天才ですね。あまりにもフェティッシュすぎる。こんなに「癖」(ヘキ)を感じる作家、そんなの好きに決まってますやんか。百両の金の表と裏でたくさんの人が死んでいく、その果てにあるのが「忠義」「仇討ち」という名の正義の死だという皮肉さ。あまりにも筆力がありすぎてひれ伏すしかない。それをこの時代に表現してくれる役者さんたちに感謝しかない。満足、満足、大満足の2日間でした!

「六月大歌舞伎 盟三五大切(Aプロ)」

  • 歌舞伎座 桟敷席西5の1番

いやーまさか勘九郎さんが源五兵衛をやる日が来るとは、しかも三五郎とダブルキャストで!勘三郎さんもやってはいるけども、籠釣瓶とかと違って明確にこの役への憧れとかあまり聞いたことがなかった。コクーン歌舞伎で三五郎をやったの、あれもう15年前なんですって。個人的に大好きな演目なので、本当にわしが東京住みだったら歌舞伎座の怪人になりたいぐらいですよ。

Aプロは勘九郎さんが源五、松也さんが三五郎、Bプロはその逆。その他のキャストはAB入れ替えなし。どちらも拝見しているので、どうしても両方の違いとかに言及しがちの感想になってしまうけど、そこはご容赦願いたい。

初日から観劇された方の熱い感想がSNSでも賑わっていて、早く見たい!と期待に胸を膨らませておりましたが、それを裏切らない源五兵衛でわたくしは本当に満たされました。勘九郎さんのおたくやっててよかった…という、ファンとして最もうれしい時間を堪能しましたよ。

源五兵衛は、2017年に仁左衛門さまが松竹座でおつとめになったときの印象が極めて強く残っているので、どうしてもその印象とも比べてしまうのですが、勘九郎さんの源五は二軒茶屋に至る前の時点でも鷹揚さというか柔らかさ、明るい善性のようなものがほとんど見られない。すごく硬質な人物像なんですよね。深川大和町の場で、あらいざらい持ってかれてるのにふんわり小万との逢瀬を夢見るところとか、八右衛門のキャラクターもあってほのぼのした雰囲気すら漂うところだけど、ここでもそれほど愛嬌を見せる場面はない。

二軒茶屋の場面で百両を出してしまい、叔父に縁切りされる場面での深い嘆き、せめてと小万を伴おうとするところにとどめの「小万には亭主がいる」の言葉。八右衛門にいさめられてようようその場を去る時、勘九郎さんの源五は笑うんですよ。この笑いの歪み方がまずすごい。すべてを失って笑うしかない、絶望の笑いなんだけど、身体の中からどす黒いものが噴き出てくるような歪みがあるんだよなあ。あれどうやってるんだろ。本当に普通の高笑いではなくて、マジでどす黒い何かがあるんですよ。

そして五人切りの場ですよ!ここは切るときの役者さんの位置や展開がAプロとBプロでぜんぜん違うので、これを日替わりで受ける(つまり切られる)方は大変だな!と感じ入りました。Aプロでは五平と勘九郎は丸窓の近くで横にならず、奥に去っている。伊之助と菊野が先に殺されるのは同じだが、源五が二階に上がってからの展開も、人を突き落とすギミックはAのみ、小万と三五郎が逃げるときに被る布の色さえ違う…と段取りそのものが違うんですよね。

しかし、この五人切りの勘九郎さん源五素晴らしかったな。あんなに人間、体重の移動を感じさせない動きができるもんかね?と思うほど、動きに一切の乱れやブレがない。体幹えぐい。家に入ってきた幸八を切るときのあの速さブレなさ美しさ。いやヤバイってえ!行灯の明かりで切った者の顔を確認する仕草は双方共通しているものの、切ったのが三五郎じゃないと気付いて驚くBプロに対し、勘九郎さんの源五は毛筋ひとつ動かさない。解釈一致ありがとうすぎる。ここにきて、源五の直線的な性格というか、柔らかさのない役作りがむちゃ活きてると感じる。人の心も情もぜんぶどす黒い何かに飲み込まれたあとなんだよなっていう。

四谷鬼横町の場でも、もうまず入ってくる段階で肝が冷える、あの絶対零度感で観客を完全に飲み込んでしまってましたね。小万殺しも、なにげに段取りがかなり違ったなあ。小万が覚悟を決めた、殺すなら殺せというのも、Aでは正座して源五に向き合って言うもんね。そこからのおぬしは殺さぬ、なんだけど、殺さぬと言ってから流れるように小万の首に刀を走らせるところ、小万の手に刀を握らせてゆっくり引くところ(これもAだけだったね)、小万の手に頬を寄せる一方でその手に刀を握らせ子どもを手にかけさせるところ、すごいね。歌舞伎すげえや。これを舞台のうえで見るべきものとして成立させてるのがすげえや。でもって、五大力が三五大切に書き換えられていることを知った時のあの激情の凄みよ。虚仮にされたというプライドだけでなく、愛する女の心はひとときも自分にはなかったと思い知らされるあの場面で勘九郎さん源五の最大沸点が表現されてるのも、あまりにも自分的に解釈一致すぎるんだよなあ。

小万の首を落として帯でくるみ、外に出ようとすると雨。小万の首を深く抱えなおし、自らの顔についた返り血を雨で洗い流す。破れ傘を開いて雨の中を歩きだすが、ふと懐にある愛しい女の首を見て、大事な宝物に触れるようにそっ…と頬を寄せる、この一連の場面。
最高だった。
贔屓の役者のこんなにも輝く一瞬を目の前で見ているという感動で震えたしもう全身を目にする勢いで凝視してました。あの雨に打たれるときの表情、傘を開くときの仕草、懐の小万を見つめる眼差し…。おたくの満願成就すぎました。もうこの記憶だけでしばらく生きていけます私。変な言い方だけど、この演目でいちばん源五が人間らしさを見せたのが、この小万の首を手にしてからだったような気さえするんだよね。

Aプロはこの場面で本水を使うんだけど、そうするともちろんドラマ性は上がる一方で前後に転換の必要があり、シームレスに次の場面に行けないというのはあるかな。Bは本水を使わないので、源五が去ってからそのまま廻り舞台で転換し、次の場面に入れるのはよかった。転換はなければないほどいい派の人間なので、これはどっちをとるか難しいところだけど、勘九郎さんの源五は本水ありきの効果を踏まえた見せ方にしているなーと思ったし、実際に奏功していたと思います。

小万の首と茶漬けを食う場面、小万に食べさせようとして首がぱかっと口を開ける演出は双方共通しているけど、Bでは驚いて箸を取り落とす一方で勘九郎さんは平然と食事を続けるのも、恐怖や罪悪感より「やっと自分のものにした」っていう安堵が上回っているからこそに思える。腹を切った三五郎に「こりゃこうのうてはかのうまい」と言うのも、そりゃこの源五なら言う、言いますとも。ここで「早まった」と哀れむかどうかって、かなり源五兵衛の人物像の違いを示しているようで面白いよね。

七之助さんはもちろん、松也さんとは共演も多いし芝居の相性も間違いないんだけど、今回八右衛門を歌昇さん、富森助右衛門を又五郎さんがやっていて、このおふたりとがっつりした芝居が見られたのも嬉しかったポイントでした。歌昇さんの八、めちゃくちゃよかったなあ!八右衛門が源五のかわりに下手人だと名乗り出る場面、ここがABかなり違うんですよね。Aでは家を出てから呼び止めて手拭いをかぶせてやるんだけど、立ったままなので身長差そのままに八が源五をちょっと見上げる目線になるんですよ。これが絵面としてむちゃくちゃイイ!勘九郎さん、本当に丁寧に手拭いをかぶせてあげるので、歌昇さんがまるで泣くのをこらえるかのように体を震わせているのがむちゃくちゃいじらしいんだよなあ。花道を去るときの表情も本当に絶品。あと、これは私の幻覚かもしれないけど源五が縄をかけるところで、後ろにまわった勘九郎さんが何か歌昇さんに話かけていたような…そして歌昇さんが小さく頷いていたような…いやわからん!幻覚かもしれん!もうこの際幻覚でもいい!

あと改めて七之助さん、小万がニンすぎるね。源五との相性も三五郎との相性もいい、粋な女も婀娜な女もどっちもお手の物ってのが最高ですわ。あと小万殺しの場があんなに鬼気迫っているのは、殺すほうはもちろんだけど殺される方の芝居がうまいからとしか言えないもんね。

終わった後もお客さんが口々にすごいねすごかったねと言い合っていて、いやホント、それしか言えんよな。あまりにも私の求める観劇体験すぎましたわ。現実世界ではお目にかかれない、この世界の向こう側にあるものを見たい、見たことのないものを見たい、そういう観客の、ともすれば残酷な欲求に、100%答えてくれる時間でした。オタク冥利に尽きるとはこのことかーーーッ!

「アケチコ!〜蒸気の黒ダイヤ、あるいは狂気の島〜」新感線

  • EX THEATER ARIAKE 1階XA列30番
  • 作 福原充則 演出 いのうえひでのり

昨年が45周年!ということは今年は46周年!ということで毎年が周年の劇団新感線、初タッグとなる福原充則さんを迎えてのSHINKANSEN☆Rでございます。

海沿いの炭鉱の町を訪れた探偵助手の助手林鳩美とアケチコ五郎は、ひょんなきっかけで名探偵新田一耕助と出会う。町では人気劇団「黒ダイヤ歌劇団」のトップ女優の引退が決まり、次期トップ争いの真っ只中にあった。新田一は、市長の娘で次期トップを狙う出雲坂めい子に雇われ、ライバルである菊川民子の汚点を探っていたのだ。市長の娘という立場を利用しためい子が次期トップに指名されるかと思いきや、突然現れた町一番の大富豪、性別不明の怪人アンダルシアン・クーガーが鶴の一声で、民子をトップに指名する。迎えた新トップお披露目公演、しかし新トップの民子とめい子が忽然と姿を消してしまう。

江戸川乱歩の世界観に歌劇団要素をミクスチャーするという、確かに今までの新感線にはない味!ではありましたが、個人的には物語を引っ張る背骨のようなものが欠けていたように感じられ、なんとなく見ていて楽しいけど、言い換えるとその域を出ない、という感じになってしまったかなあ。こんなことを言うとあれだが、福原さんと新感線、ニッチなところを志しているという部分で通底していてもベクトルが違うと言いますか、あまり相性の良さは感じられなかった。そして、まあいつものことなんだけど、長い(笑)

良かったのは石田ニコルさん演じる民子が、自分の出自を語ってクーガーに詰め寄る場面で、あそこは脚本演出芝居、全部のトーンが合ってた。石田ニコルさんの挑みかかるような眼、相手をのむ気迫と長台詞、ここは往年のつか芝居もかくやな雰囲気ですばらしかったですね。クーガーがバレエのレッスンをし始めたところは、おおお?轟天2の名物キャラ出るか!?と期待してしまったけどそんなことはなかった。あと初日開けてから割と間がなく見たこともあって、古田さんの台詞の入ってなさが極まってました。だめだよ古ちん。

神山智洋さん、以前新感線のRXに出演されてるので拝見してるはずなんだけど、ちょっとその時の印象がないのが申し訳なくなるくらい、歌も台詞回しもなにもかも堂に入っていて、完全に舞台を牽引してましたね!いやすごかった。あまりにも達者。宮野さんとのコンビも雰囲気があってよかったと思います。あと最近中谷さとみさんがぐいぐいフューチャーされてて、ほんと役者の伸びしろってわかんねーなー!と目を瞠るきもち。新感線に浜田さんが出るなんて~!と界隈をざわつかせたイキウメンズ浜田さん、あの役柄はやっぱりどこか無機な佇まいが買われたんですかね。はじける浜田さんもキュートでよかった。

新しくできたEX THEATER ARIAKEでの公演だったわけですけど、幸運なことに最前列を当てていただいたので、あまり見え方とかは判断つかない(笑)おかげで客席降りした宮野さんにアケチコ名刺いただいちゃいましたよ。この劇場、都内からは行きにくさあると思うんですけど、飛行機遠征組は羽田からビッグサイトへのリムジンバスとかを活用すると結構便利ですぞ!