「私たちは何も知らない」二兎社

永井愛さんの新作で、青鞜社と雑誌「青鞜」にかかわった女たちの群像劇です。平塚らいてうを中心に、青鞜の創刊直後から第一次世界大戦中の青鞜無期限休刊までを描いています。

「原始、女性は実に太陽であった」から始まる文章は、それこそ歴史の授業でもふれますし、この国におけるフェミニズムを少しでも知ろうとすればまずここに行きつく、というぐらい有名なものなので、その青鞜社を扱った作品(チラシもブルーストッキングですよね)で、「私たちは何も知らない」というタイトル、脚本は永井さん…とくると、個人的にはどれぐらい現在へのリンク、現状へのフックがあるかな~というところに期待していたんですが、そこはちょっと肩透かしを食らった感じがありました。

休憩15分をはさんで約2時間40分の上演時間、なかなかの長尺ですが、登場人物たちの対話はコンパクトに積み上げられているので、長さを感じさせる前に場面が転換していくし、台詞の面白さはさすが永井さんという感じなんですけど、舞台全体としてはちょっと平板な印象になってしまった気がします。歴史上の人物を描くということは観客側がある種ネタバレを握った状態でもあるので、舞台のうえで「観客の知らないこと」が起こってほしいっていう欲求があるんですよね。それは史実にないことをやれっていうのではなくて、歴史の本では描かれない行間を埋めてほしいというか。

衣装が全員「今」の服装で、それには絶対に意図があると思うのだけど、最後まであまり劇的な効果には関係せず…というのもちょっと残念でした。新生児まわりのものだけが飛び抜けて「今じゃない」感にあふれていたのは、「コンベンショナルな女」としての記号的な意味があったのかな。

「新しい女」としての革新の機運を持っていた同志も、家父長制度や出産にまつわるあれこれや、家や夫にひとりひとり枷をかけられてしまうっていうのは今でもあんまり変わってなくて、でもそこからすこしでも「変わったこと」を見出すのか、変わってないことから「何か」を見出すのか、そこを永井さんの筆で描いてほしかった気がしております。

そうそう、寡聞にして「若いツバメ」が平塚らいてうと恋人の関係に端を発していたとは知りませんでした。この言葉もだんだん通じなくなっていくのだろうか。

伊藤野枝を演じた藤野涼子さん、「ひよっこ」視聴者としては嬉しい再会。あの若さでこの達者さ、これからが楽しみです。平塚らいてう朝倉あきさん、涼やかでマニッシュな佇まい、紅吉くんが夢中になっちゃうのもわかる、わかるぞと言いたくなる魅力があってよかったです。