「ワレワレのモロモロ ゴールドシアター2018春」

2016年の年末にアトリエヘリコプターで見た「ワレワレのモロモロ・東京編」がむたくたよかったので、それを今度は岩井さんがゴールドシアターと組んで!ということでこれはマストでしょー!と遠征パズルに組み込みました。いや、地方から遠征で出かける組にはなかなか大変なんです、さい芸を遠征に組み込むのは…(笑)

基本的な構成はハイバイの「ワレワレのモロモロ」に同じく、演者が書いてきた脚本を演出家が構成していくスタイル。ゴールドシアターの面々が「書く」!というだけでも興味をそそられるし、それを岩井さんがどう組み込んでいくかというのも興味津々。

書かれた面々の年代からして、戦争にまつわる記憶のようなものは当然出てくるだろうと予想していたし、実際終盤の展開はそうなったのですが、それでもそのうちの一本は戦争の記憶というよりも「空腹の記憶」に連なるところが多かったこと、大枠を「新しい左開きの冷蔵庫に買い替える」という話でくくる構成にしたことが実によく効いていて、最後に重さだけを渡して突き放さないあたりは岩井さんの品の良さだなあと思ったりしました。

老女(敬意を込めてこう書かせていただきます)ふたりのセーラー服というのは、それだけで一種劇的なものがあり、カフェでふと見た後姿から「かつて」をおもう「友よ」も印象に残りましたし、「パミーとのはなし」には泣かずにいられない!という感じになりましたが、個人的に一番光る作品だなと思ったのは田村律子さんの「無言」でした。この作品にどこかユーモラスな部分があるというのも気に入った理由の一つですが、しかしここで書かれたユーモアが、ある老人が狭いアパートでたったひとり、役者としての活動を志しながら暮らしていること、に立脚していることが大きな理由であるように思えます。同じことを20代の若者に置き換えたとしたら、この作品はまったく光るところのないものになるんじゃないでしょうか。そしてもうひとつ、この「無言」がもっとも書き手として観客に対してオープンだなと思ったことも大きいですね。よほどの筆力がある職業作家でない限り、なにかを物語るときには作者がどこまで痛みをもってこちら(観客)にオープンでいるか、というのは大事なことのように思えます。

とはいえ、実際に「書く」となったら構えてしまうのが人情という気もしますし、もしまた「次」があれば、もっと身近で、かつ彼ら彼女らにしか書けない物語が出てくるのではないかなあという気もします。あと、次があるのであれば岩井さんに一本、ぜひ書いてみていただきたい!私は短編演劇大好き、オムニバス演劇大歓迎マンですので、この「ワレワレのモロモロ」はゴールドシアターのみならずいろんなところでトライしてもらいたいとおもうスタイルです。