「ロミオとジュリエット」って、シェイクスピアの中でも悲劇中の悲劇、みたいな話だけど「四大悲劇」のなかには入っていないのね。若い二人の熱病のような恋は、周りの人には悲劇をもたらすけれど二人にとっては必ずしも悲劇でなかったってことなのかしらね。そりゃあ死んでしまったけれど、二人は最後までお互いを愛していたわけだからさ。
誰もが知ってるお馴染みシェイクスピアの名作。若い二人の恋を引き裂く家どうしの確執。基本です。お約束です。三段の高さに別れた一面の壁、その中の写真は早逝した若者たちの写真。写真の眼にあたる部分に照明があたるような仕組みになっていて、物語の登場人物がその写真たちにじっと見られているような効果もあり抜群。相当な高さがある壁を登場人物(特にロミオ)は上がったり降りたり大忙し。高さもあるので、バルコニーシーンなどは非常に感じが出ていたと思う。
私がこの芝居を観る最大最高の目的であった藤原ロミオはあまりのかわいらしさに会場中が彼に恋をしたのではないかと思えるぐらいのスパークぶりであった。基本的にマキューシオが殺されるまでの「ロミジュリ」って普通に楽しいシーンが沢山あると思うので、このシーンを素晴らしくはじけた演出にしているのがすごく良かった。ロミオを何度も呼び止めて挙げ句「何を言うつもりだったか忘れたわ」なんて吉本でやったらそこで絶対ズッコケが入る、と言うぐらいのオチであろう。ロミオの「幸せだー!」は最高でした。しかも素晴らしいのは藤原くんはちゃんとロミオを生きているということだ。彼の台詞は大仰なシェイクスピアの言い回しさえもなんのその、感情がびしばしと伝わってくる。まったく天才だなこのやろー。
と、いろいろ楽しませてもらいはしたのだが、やはりどうしても「ああもううんざり」となってしまうのは止められませんでした。すいません。謝ることはないか。途中からなんだか記号を見ているような気持ちになって来てしまったんだな。この芝居の中で記号を越えて描かれている人物って主役二人とロレンス神父、それに乳母ぐらいなものなんじゃないか。あとは敵対する家の血気盛んな若者という記号、格式と対面を重んじる一家の長という記号、ジュリエットに横恋慕する青年貴族という記号。そういう「枠」を飛び越える存在として生きるロミオとジュリエットを見るものなのかもしれないが、だからってあまりにぺらい描き方はどうなのかとどうしても思ってしまう。パリスなんてまさにそうで、劇中で何度も「男だったらこう生まれたいと思うほどの立派な方」と口を極めて褒めているがあのパリス見てそう思う観客がひとりでもいたらお目にかかりたい。二幕の嘆き節大集合に段々感覚も麻痺してくるし、墓場のシーンでのパリスの慟哭や二人が死んだあとの父親同士の和解のシーン、うわー死んじゃったーバターンジタバタ、あまりにもいろいろトゥーマッチでこれ以上は御免被りたいというのが正直なところだったり。
哀しみを観客に伝えるのはそういった説明的な台詞よりも、ふとした仕草やたわいもない言葉だったりするわけで、ジュリエットが散々泣きわめくシーンよりも「指輪を差し上げて」というシーンや、毒薬を飲む時に思わずドアに駆け寄ってばあやを呼んでしまう瞬間のほうが圧倒的に印象に残っているし、二人の別れのシーンでロミオが壁にもたれ、このままこのドアを出ていかなければならないのにどうしても出ていけない、その引き裂かれるようなつらさの方が何倍も哀しみを感じたりするものです。
ロミオの藤原くんは前述のようにこの若さでこの台詞を自分の言葉として吐ける希有な役者だなと改めて感心しました。全員が全員藤原竜也の技量をもった人たちばかりのシェイクスピアを見たら感想も違うかもしれない。マキューシオらと較べてあまりにも知性的で、それがある意味二人の関係性の中ではネックかな。ロレンス神父は見ようによっては非常に間抜けというか、「お前がすべての原因やん」と思われがちなストーリー展開ではあるものの、瑳川さんさすがの貫禄で素晴らしい。ロミオを諭すシーンの説得力には惚れ惚れしました。この人しか頼る者はいない!と思わせる存在感。マキューシオは言葉や行動の端々にロミオへの執着っぽいものが見えて、そのあたりもう一押しで記号脱出だったのにと思うと惜しい。梅沢さんはさすがの軽妙洒脱なうまさ、心を鬼にして「ロミオなんて大したことなかった、パリスのほうがよっぽどいい」とジュリエットを諭すシーンが印象的。杏ちゃんはジュリエットを生きようとはしているんだけど、心はついてきているのだが台詞がもう一歩ついてきていないかなあ。惜しい。
「シェイクスピアの楽しみ方」は古今東西いろいろあるのでしょうが、私はやっぱり物語を楽しみたいしそこで生きる人たちの哀しみや怒りを、楽しさを共有したいなと思う。それはタイトルロールだけではなく、すべて(とは言わないまでも、ある程度は)の登場人物に対して記号以上の存在理由があって欲しいと思うのですが、技量のバランス的な問題もあって難しいのかもしれませんね。それにあの圧倒的な台詞量、独特の言い回し、そういうものに振り回されるとどうしてもそこで生きる人たちの輪郭がぼやけてしまって、その辺が私がシェイクスピアが苦手な原因なのかもしれないなと思います。