「おとこたち」ハイバイ

20代から80代までの男4人のはなし。会社のクレーム対応で神経をすり減らす男、妻と不倫相手が連絡を取り合っていることも知らず関係を続ける男、酒ですべてを失い新興宗教走る男、完全に自分の人生をコントロールしていたがゆえに、子どもをもコントロールしようとしてうまくいかなかった男。痴呆、不倫、不慮の死、断絶、物は壊れる、人は死ぬ。

不幸な人の話を見ているという気持ちにはまったくなりませんでした。不幸どころか、普通の、ありえる、自分(たち)の話だと思って見ていました。もちろん実際に劇中の彼らそのまんまの状況に置かれたことはないですが、4人の人生のどこかしらが自分の人生とも重なっているように思え、だからこそ(私は今40代ですが)その先を歩く登場人物たちに共感と恐怖を抱きながら見ていたような気がします。恐怖というか「できるだけそんな目に遭いたくない」けれど「いつかは遭うのだろう」という予感、のようなものの方が近いのかも知れません。

追いかけて追いかけてもつかめないものばかりさ、愛して愛しても近づくほど見えない。冒頭のカラオケボックスらしきシーンで、風俗帰りの友人の武勇伝を聴きつつ、CHAGE&ASKAの「太陽と埃の下で」が熱唱されますが、それがラストでこうもせつなく、かなしく響くとは。結局のところ、この4人も、わたしも、追いかけても追いかけてもつかめないものばかりなのじゃないか。なのにそれでもなお、追いかけるのをやめることができない。だとすると、もはや、つかむことじゃなくて、追いかけることが生きることなんだろうか。最後まで。最後の、最期まで。

さっき共感と恐怖と描いたけれど、自分とほぼ同年代(3つ違い)の岩井さんが40代よりも先を描く時の容赦のなさがすさまじく、自分の行き先にはどこかで安らかになるような材料を残したくなるような気もするのに、そういった緩さみたいなものがどこにもないのが本当にすごい。おかげで観ているこちらは息が詰まりそうでした。山田が鈴木の葬儀のあとで妻の話を聞いている場面で、それがかつて好きだった風俗嬢との会話にすり替わっていくところ、ぞっとしたなあ。森田が、「こわいものがきて、みんなを呼ぶ」病床の妻の頭の中の「みんな」に自分が入っていないことを思い知らされる場面も。

「投げられやすい石」での「喝采」、「て」での「リバーサイドホテル」、そして今回と、岩井さんはすごく印象的な曲の使い方、いや使い方が印象的なんじゃなくて、使った曲が印象に残る、といったほうが正しいのか。今回も帰り道、ずっと口ずさんでしまった。追いかけて追いかけてもつかめないものばかりさ、愛して愛しても近づくほど見えない。口ずさみながら、泣き出してしまいそうだった。