「シン・ゴジラ」


庵野監督にもゴジラにもさほど思い入れがなかったので、見に行く予定じゃなかったんですけど、初日鑑賞組の激賛ぶりに「えっそうなの?そんなに?」となり、決め手は島本和彦先生の一連のツイートでした。そこまでか!そんなに言うなら行かなくては!

いやー行ってよかった。おんんもしろかったです!!!鑑賞のタイミングがIMAXでの興行時期とちょうど重なっていて2回ともIMAXで拝見しました。1回目見た後、うおーもう一回みたい!!!と思ったんですがいろいろ!この夏は!たて込みすぎていて!約一ヶ月ぶりの鑑賞となりました。2回見ても飽きないし飽きないどころかもっと詳細を知りたくなる緻密さ!

ほんと、まず何より思ったのが「庵野さんは『細部に神は宿る』ってことを本当によくご存知だ」ってことなんですけど、あの絶対に一度には読み切れない肩書きと地名と銃器(重機)の名称の細部に至る字幕しかり、自衛隊海上保安)の軍事場面での数字読み(ひと、まる、ひと)の徹底ぶりしかり、レク、会議、決定、事務担当者レベルの詰め、立案等々の霞ヶ関で行われる手続きという手続きが「ゴジラ出現」という事態にコミットして描かれる気の遠くなるような段階の描き方しかり、リアルに「巨大不明生物が東京湾に出現したら」を徹底して描いている、それがほんっとうに凄い!

しかも、どこかの省庁やどこかの大臣を過剰に無能に描いたりしてないところがすばらしい。事態の当初では大臣レベルでの暢気さみたいなものは伺えるものの、鎌倉再上陸以降はそういった空気すら排除して役人が役人のやるべきことを、事務方が事務方のやるべきことをやる、という姿勢を徹底しているんですよねえ。これ、良くあるパターンでいったら、役人が無能なので超法規的な民間集団が手を取って団結するぞ的な展開がありがちだろうと思うのに、あくまでもその「はみだし者集団」を省庁の中から選んでくるところも面白い。いやでも、現実的に考えてそうですよね。そりゃもともと権力の中枢に近い人で選んだ方が効果があるに決まってる。

その省庁からはみだし者を選ぶときの泉と矢口のやりとり、「首を斜めに振らない連中を集めて寄越す」「骨太を頼むよ」って台詞!思わず真似したくなる台詞だし、なんで庵野さんは役人が「骨太」って表現を多用するのを知ってるんだろうか…とか思っておかしかったです。有名になった「まずは君が落ち着け」もそうだけど、キレのある台詞が多いのも見ていて気持ちがいいところ。

巨災対のメンバーもひとりひとり魅力的だし(高橋一生くんは言わずもがなだけど、小松利昌さんが国交省から巨災対入りするメンバーになってて嬉しかった〜)、あと個人的に花森防衛大臣と財前統合幕僚長余貴美子さんと國村隼さん)はなんか燃えるものがあったなー。「ザ・ホワイトハウス」のナンシーとフィッツウォレスみたい(ものすごいわかる人の少ない喩え!)で、花森防衛大臣がわりと強硬派っぽいのもいいですよね。財前幕僚長の「礼はいりません。仕事ですから」はかっこよすぎ案件だし、自衛隊作戦本部の絵面なんか見事におっさん&おっさんのかっこいいおっさん祭りで、これや!やればできるんや!日本でもこんなふうにおっさんが画面を埋め尽くす面白い映画ができるんや…!とめっちゃ興奮しました。

いや、絶対、家族愛とか親子愛とか恋人が!まだあそこに!みたいなありきたりで手垢でびしゃびしゃになったセンチメンタル盛り込めっていう圧力あったんじゃないかと思うんですよ。いや邦画に限らずそうだもん。それをはねのけるって大作であればあるほどマジ並大抵じゃないと思う。それをはねのけてこれを作った庵野監督はもちろんすごいし、最終的にそれを通したプロデューサーもえらい。えらいよ。いやほんと感謝と感嘆しかないですよ。

あのヤシオリ作戦前の矢口の演説は、ガンダムで言うならブライトさんの「すまんが、みんなの命をくれ」だよなあああ!!って胸熱だったし、またあのヤシオリ作戦で前線に出る矢口が防護服を取らないのも、「細部に神は宿る」のあらわれだよなあと思いました。ふつーの製作者と役者なら「顔が半分隠れるのどうなんだ」とかなって顔出しでいったりすると思うよ。そういう詰めの甘さが一切ない。ヤシオリでいったん倒れたゴジラが起き上がって、あの無人在来線爆弾が投下(投下?)されるところ、あの絵面に思わず泣き笑いでしたもん。アレもう普通に「いけええええええ!!!」って言っちゃう。言っちゃうやつ。

いやもうとにかく、こんなにも見た後「誰かと語りたい!」って思った映画も久しぶりでしたし、そういう興奮が口コミも含めて広がっていくのを見ると、大勢のひとが良いというものにはやっぱりそれだけの理由があるっていう私の信条を改めて再確認する思いがいたします。いやー、ほんっとに、おもしろかった!