「万獣こわい」

東京で先にごらんになった方が「ひどいーひどいーひどい話だよもうー」と気分悪くなりつつ絶賛されていたので、割とハラ決めてかかったのですが、展開として「あっ、あの話か」と気がついた瞬間から自分がこの先落ちる底をずっと見ているような感覚でした。それにしても、宮藤さんも河原さんも勇気がある。どんな勇気かって、観客を突き落とす勇気、安易にほっとさせない勇気、そしてそういう姿勢を徹底する勇気が。だからこそ、これだけ谷に落とされても、芝居として満足のできるものになるんだろうなあと思いました。

現在全国ツアー真っ最中、以下ネタバレなので畳みます。
題材としては尼崎で起きた監禁事件ないしは北九州でおきた監禁事件を髣髴とさせるものです。他者による暴力と恐怖の支配、身内同士の監視、消されていく家族。8年間監禁され、家族の中でひとり生き残った少女が助けを求めに駆け込んでくるところから物語は始まります。

尼崎の事件については、NHKで再現ドラマを放送していたりしましたが、おそらく大多数の人が「なぜ逃げられないのか」「なぜ助けを求めないのか」と思いますよね。何度でも実際そのチャンスはあったのではないかと。この芝居でもその種の発言は何度か出てきます。実際、最初に駆け込んできたトキヨに対して陽子もそう言います、何度か制服で歩いてるのみかけたことあるわよ、逃げようと思えば逃げられたんじゃないの。
でも逃げられない。
その逃げられない構造を、ここまで時間を圧縮したうえできちんと観客に納得させる宮藤さんの腕の確かさ(もちろん有名な事件なので、観客に多少なりともその背景の知識があるということを措くとしても)。なにより、マスターがとうとう反旗を翻し綾瀬に抵抗したとき、彼を殺しながら叫ぶ「なぜ僕が妻を殺さないのか、それは体裁が悪いからだ」と叫ぶシーンのすごさよ。抵抗しないのも体裁、抵抗するのも体裁。彼は妻を愛していると言う、「その方が体裁がいいからね」と。ひどいせりふのようだし、実際にひどいかもしれないのだが、それは間違いなく真実だろうと思わせる。そしてそのシーンには確かに一種のカタルシスがあるのだった。60%は水分の人間をバラバラにして煮込むことはできる。悪いことはできる。でも、体裁の悪いことはできない。

その体裁というやつが、もしかしたら支配と被支配を分けてしまう最初の分水嶺なのかもしれないなあなんて考えてしまった。

冒頭の「饅頭こわい」の落語をネタにしたシーンがまさか最後で効いてくるとは…!というところ、これだけ陰惨な事件、救いのない展開を描いておいてなおかつひとつの芝居、ドキュメンタリーではなくエンタテイメントとして仕上げてくる河原さんはさすがですね。笑いに対する感覚、嗅覚がほんとに確かだし、それに乗っかっているうちにこんな遠くまできてしまった、と震撼させる緩急の巧みさも見事でした。あの「被告」が声なく穴に落ちる瞬間の、背中を濡れた手で撫でられたようなぞっとする感じ、しばらく消えなかったです。

いやーしかし、小池栄子がすごい。ねずみの三銃士の企画であり、池田・古田・生瀬の三人がもちろん骨格を担ってはいるんですけど、この芝居に関しては小池栄子さんの芝居の確かさ凄さになんといっても打たれました。あのタコ踊り、中盤で見せるタコ踊りはもちろんキレがあってそれだけで(あんな切羽詰まった状況なのに)文字通りの爆笑を呼ぶわけですが、ラストシーンでのあれはもう、言ってみればサブテキストに満ちすぎていて一筋縄ではいかない感情にゆさぶられました。その動きのユーモラスさに笑うひともいるだろうし、壊れてしまった彼女を思ってぞっとするひとだっているかもしれないし、もしかしたらあの日のように、彼女は助けを求めているのかと思って胸が締め付けられるひともいるだろう。基本的に受けの芝居が多くなる役で、ここまでの爪痕。すばらしすぎます。

その小池栄子さんともっとも深く絡むのが生瀬さんのマスターで、この人もほんと、わかっていたけど唸るほどうまい。情けなさの奥に愛嬌をにじませつつ、前述した「体裁」を叫ぶシーンでの凄みにもっていく、そしてそこにまったく無理が感じられないキャラの立ち上がらせ方。一歩引いた立ち位置の成志さん、古田のこういう役、こわい方は割と見覚えあると思いつつも、3人ともまるっきりこともなげに笑わせたり怖がらせたりさせてくれるんだからすごいよ。マイラブ小松和重さんについては、最初の落語で3人に弄ばれてるところで私の萌えタンクがすでにいっぱいでどうしようかと思ったりしましたが、本編においても役に立つようで立たない男を華麗に側転キメつつ演じていてどうにもこうにも好きすぎました。