「朝日のような夕日をつれて2014」@2回目

観劇仲間の皆様には「何回行くんですか?」と複数回前提で聞かれたりしてたんですけど、実は初日の1回きりしかチケット取ってなかったんですよね。ここのところ予算の関係でリピートしないようにしてて、1回見てどーしても見たい!と思ったらそこからチケット探そうっていう。
で、初日終わって2時間後ぐらいにチケット買い足してました(笑)
というわけで2回目の朝日2014です。22日に見たのですが、初日とはやっぱり客席の雰囲気も違うなー!というのが如実で、それも面白かったです。

初日もそうだったんですけど、91でも97でも、実際に劇場でこの舞台を観る時というのは、このスピードと圧倒的熱量の前に、感傷に浸ることすら許してもらえない、という印象があるんですけど、いやーやっぱ歳取って涙もろくなったのかな。とあるシーンで猛烈なノスタルジーというのかなんというのか、そういうのが襲いかかってきてたまらずぽろりといってしまった。

それはウラヤマ・エスカワの二人のシーンで、もともと好きではあるんだけど、ゴド1ゴド2の「休憩時間」のところでそうとうやばい感じだったのに、大高さんと小須田さんを観ていたらもういけなかった。このあたりは戯曲もそれほど書き換えられていないところで、もう実際殆どの台詞を諳んじられると思うんだけど、心のなかでふたりの台詞をなぞっていたら、唐突にこれまでの自分が、呆れられるほど戯曲を何度も読み、呆れられるほどビデオを繰り返し見たあの頃の私が、「人に何かを教えたつもりになるより」って台詞を、すごい台詞だなって子どもながらに思っていたあの頃の私が猛烈に甦ってきてしまったのだった。人間は17歳の感性に回帰する、17歳の時に愛した文化に残りの人生は支えられる、だとすればそう、私が第三舞台に出会ったのは1988年9月、まさに、17歳になって最初に「愛した文化」が、人生の最初の熱狂が、第三舞台なのだった。

しかし、大高さんは、鋼のようだったな。もちろんいつだって大高さんは第三舞台のステージのうえで頼りになる男であったし、世界を支えている柱だったのだけど、この舞台では特に、初日から大高さんの気迫というのか、オーラというのか、もう今、この舞台で何が起こっても、ぜったいに大高さんがなんとかしてくれる、と思わせる勁さ、しなやかさは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。

その大高さんにぴったりと追随して、これぞ双璧、という輝きを見せる小須田さんもすばらしい。最後のシーンの「立ち続ける5人」、あそこみんな後ろを見ないで下がっていくので、どのあたりで止まるかっていうのは結構人によって違ったりするんだけど、初日のときにね、小須田さんは(朝日91DVDの副音声でも触れられているとおり)きわっきわまでぴったりさがっていて、あれを見た時の私の喜びようったらなかった。マシーン小須田ここに在り!

そしてやっぱり藤井隆さんのゴド1がすごい好きだなーと実感しました改めて。いやーなんだろうね。あのミュージック!からのダンス、あのかっこよさ、ほんとゴド1は踊れるひとじゃなきゃだめだし、あの瞬間の(特効もあいまっての)興奮に、ああそうだ、この身体の奥底から突き抜けるような衝動が朝日だし、第三舞台だった、って思ったんだよなあ。群唱の部分の台詞の精度とかでは、引けを取るところもあるんだけれど、それをものともしないあの変わり身、底の見えなさ、ほんとに大好きなゴド1です。伊礼さんのゴド2は初日からかなりの完成度だったけれど、ますますのやらずぶったくり感、イイヨイイヨ−。玉置さんの少年ははっきり調子をあげてきてるし、どんどん場を自分のものにしていってるなーと思う。あのスタンスの大きさ、身体のキレ、そして声のでかさ、もはやいとしい。

「我々は遊び続けられているのか」と自分たちに問いかけている戯曲、と鴻上さんはよく言っていますが、その「遊び続ける」の部分がここに来てまたもう一度鮮やかになっている気がしました。大高さん小須田さんはもう50代だけれど、その年代だからこそもう一回「遊び続ける」ってところに立ち返ることができたりするのかな。

朝日は81年の初演から、83、85、87、91、97と劇団時代に6演を重ねましたが、新しい「朝日」が果たさなければならないたったひとつのことは、その前の「朝日」を古いものにしていく、ってことだったのかな、なんて初日を観た後思ったんですよね。それを果たせるかどうかが鍵なのかなあと。だからこそ、初日を観た後の感想に「2014をもってようやく91が「古い朝日」になった」って書いたんですけれど。

伝説でありながら、伝説にならないのが「朝日のような夕日をつれて」なのかなあ。だとしたら、第三舞台は変わらない、そして変わり続ける、という言葉を、まさにこの舞台が象徴していたともいえるんですね。

ひとつ理想を言えばね、ほんとはカーテンコールなくていいんです。五人がサスペンションライトに照らされて順々に一礼、それで終わり。それが私の考える「美しい朝日」だし、あのかつての熱狂の中でも「それで客は満足して帰っていた」というのも、私のすきな物語ではある。だから初日ちょっとスタオベなりかけて、手拍子も起こって、うわあって思った部分もありました。でもそれも、いいか、と思えるようになったのも、17年という歳月なのかなって思います。わたしも大人になったのかもしれないですね!(ようやくか!)