「クヒオ大佐の妻」

映画監督吉田大八さんの作・演出。吉田さんは「クヒオ大佐」という映画をすでに撮っていらっしゃいますが、今回は「クヒオ大佐の妻」。

吉田大八さんといえば私にとってはまず映画「桐島、部活やめるってよ」が思い出されるのだが、構図としては割と似ているところがあるかもしれない。構図というのか、どちらも「不在」を中心に据えた物語であるところが。演劇においてはこのジャンルに、「ゴドーを待ちながら」という金字塔があるわけですが、とあるアパートの一室で、ある女が「何か」を待っている。そこに訪れる人たち、そしてみな一様に「彼」の話をする…とちょっとゴド待ちのテイストもあるような。

うまいなーと思ったのは、大事なところを描きすぎていないところですね。果たしてそれが本当なのか、嘘なのか、本当にいるのか、いないのか、現実なのか、そうでないのか、筆を滑らせて観客に言質をとらせるようなことをしない。クヒオ大佐は1970年代から90年代にかけて名をはせた実在の結婚詐欺師だそうですが、舞台の年代をそれよりも少し後ろにしているのもよかった。なぜ騙されるのか?そこに何を見ているのか?という問いがより強くなるような感じがありました。

逆に言えば、その「なぜ」の中で語られる、戦争コンプレックスのようなものについては、ああ、うん…という感じになってしまったところがあったのは否めない。なんか、突然、正調つか芝居!とでも言いたくなるような世界がゴリゴリ展開していって、それはそれで嫌いではないんですけど、そこにカタルシスを感じるにはもう少し舞台のうえがくるっていてほしいなーと思ったり。

岩井さんの役柄が面白くて、徹頭徹尾、自分は何者でもない、という人生を送ってきていて、でも「何者でもなかったからこそ、自分は何者かになれる」という確信だけを持っている男。自分は何者かになれる、その題材さえあれば、ドラマさえあれば…そうして「クヒオ」の周りにいる女に、自分の描いたドラマを重ねようとする男。岩井さん、飄々とした佇まいを崩さず、決して露悪に見せないのがすごいなと思いました。これ岩井さんの役がカリカチュアされすぎちゃうと結構つらい場面あるよなー。

クライマックスでかなり大掛かりな仕掛けがあり、そのためなんだと思うのですが舞台がかなり高い位置に組まれていました。個人的には仕掛けをもう少しおさえても舞台を下げて欲しかったかなー。声の広がりもそうだし、個人的に役者の足元が見えるかどうかを割と重要視している私なのだった。

ラストシーンの、全部がおもちゃ箱の中に帰って行ったかのような静謐さは好きですね。こういう構造が好きなのはもう、癖(ヘキ)なのでしょうがない。

りえちゃん、さすがに美しいし、この役柄の説得力がある。岩井さん、かなり前半軽妙に演じていて、私一人アハハと笑ってしまってたんですけど、なんでみんな笑わないんだよお!べ、べつにわかってるアピールの笑いじゃないんだからね!と一人であせってしまいました。川面千晶さん、こういう役におけるディテールの見せ方さすがです。岩井さんと二人のシーンになんだかほっとしたりしました。