「ザ・ダイバー」

ロンドン版から約1年ですかね。手練れの役者を揃えての日本版上演。
ロンドン版と日本版の両バージョンをつくる、というのは「THE BEE」ですでに試みられたことではあるんですが、ひとつ違うのは今回、ロンドン版を先に見ているということ。つまり、言葉という情報量が多い方から少ない方という順に見たTHE BEEとは逆の流れになったわけです。で、情報量が多い方がヘビーに感じるかというとそれはそういうことでもないんだなと。ロンドン版は、役者の動きと、エッセンスを抽出した字幕とで物語を追うわけですが、そうするとどうしてもコアな部分ばかりを見てしまう。役者だって90分の間ずっと息を張り詰めているわけではなくて、もちろん緩急があるわけですが、英語の呼吸がわからないからその緩急が把握できない。つまりぎりっぎりのテンションで息を詰めて見ることになる。
日本版は、受け取る情報量は倍でもその呼吸がわかるんですよね。自然に緊張と弛緩を繰り返すわけです。客席と舞台が呼吸を合わせるってのは大事なことなんだなあと改めて思ったりして。
だから見終わったあとの、「ああもうげっそりした、げっそりするほどすごい芝居だった」という感覚はロンドン版の方があった。あんなに息詰めて見てたらそりゃげっそりするはずだよっていう。

小道具もかなり生々しいものが使われていたり、和を思わせる布使いは逆に控えめになっていたり、あと、これは日本語で見て初めてわかりましたが、野田さん演じる精神科医の台詞は圧倒的に「ユミ」の台詞のリフレインでできていて、これは「相手の言うことを否定も肯定もしない」というカウンセリングの大原則にきちんと則っているんだなあと。

精神科医の最後のシーン、叫び声のようにも、産声のようにも聞こえるのね。

変幻自在の声色と、野田さん曰く「直感」で、いくつもの人格を渡り歩く大竹しのぶは流石としかいいようがなく、そしてやはりキャサリーン・ハンターとは大きく手触りの違う人物像を作り上げていて見事でした。大竹さんのほうが、なんというか「女」だって感じだ。そして同時に「母」でもあるというか。キャストが発表されたときから「どんな恐ろしいシーンになることか」と案じていた六条と葵の電話のシーン、決定的な一言を投げかけられてからの大竹さんの慟哭と怒りを「形」にするさまは圧巻でした。怒りでくちびるがリアルに震えているのもまたすごかった。

有起哉さんの源氏、いやー最低で最高だったんじゃないでしょうか。あんなに最低なのに、そういう感じを抱かせないところも含めてすごい説得力だなと。いっけいさん、「暑苦しい」と言われながらもこちらも同情心を抱けない役をいかにも生き生きとやられていましたね。しかし・・・ちょっと太った?(笑)

NODAMAP本公演ではよく共演者にウザがられている「役者・野田秀樹」ですが、BEEでもダイバーでも、がっつり役者をやっている野田さんを拝めるのはほんと嬉しいことでした。これからもぜひこういう機会を。