「タンゴ・冬の終わりに」

*ねたばれを含みます。
パッヘルベルの「カノン」を下敷きにした、耳障りのけしてよくない女の叫び声のような歌が突然大音量で流れ、舞台は始まる。

今はもう訪れる人もいないとある日本海側の街の映画館「北国シネマ」。そこに一人の女が現れる。彼女は「花も実もある」俳優だった夫を追ってここまできたのだ。その夫は、最後の舞台「オセロー」の千秋楽、突然の引退宣言をして自分の生まれたこの町に帰ってきていた。そしてその男はだんだんと、その精神の均衡を崩していく・・・。

久しぶりに、演劇というものでしか体感できない興奮を味わわせてもらえたなというのが一番の感想。素晴らしかったです。過去にもそれはそれなりに蜷川さんの演出された作品も拝見させていただいてはいるけども、この作品が一番好きかもしれない。冒頭の群衆シーンから最後に至るまで、全く隙のない演出だった。

群衆シーンで現れている時代性を見ても明らかなように、これは初演(1984年)当時にはあの「政治の季節」の終焉が深く絡み合っていたのだろうな、と思わせるけれども、その時代の空気をたとえ知らなくても、それを超えて一人の人間の「青春の終わり」としての圧倒的なドラマにしてやられてしまった、という感じ。

水尾にもういちど恋に落ちる盛と、かつての恋を再び燃え上がらせる水尾のふたりが、そのまさに青春を燃やす最後の火のようにタンゴを踊る。美しくて、哀しい、壮絶なシーン。

戯曲に散りばめられた美しい台詞の数々。「握手をしよう、特に意味もなく」「ごきげんよう、これより死におもむくぼく、そして僕ら仲間から、最後のお別れの言葉を言います」。劇中で出てくるオセローやハムレットの台詞と混ざり合い、どこからが盛の言葉で、どこからが役者として「かつて言った」台詞なのかわからなくなる。役者として生きること、役者として生きたことの、それは代償なのか?

崩れた壁の向こうから、吹雪とも、花吹雪ともつかないものが舞台に降り注ぎ、そのなかでひとりタンゴを踊る盛を見ているうちに、涙があふれてあふれてもうどうしようもなかった。そして、最後の幻の観客達のシーン。怒号と絶望にあふれた冒頭シーンとはちがい、かれらは歓喜の表情で舞台にむかって手を振っている。別れのようでもあり、遠い仲間に送るエールのようでもあるその光景に、再び涙がとまらなくなってしまった。

私が初めて堤さんの舞台を見たのは、たぶん初演の「キル」だから、それ以来もう何度となく彼の舞台を拝見してきているのだけども、いままではそれは好きは好きだけれども、ツボにははまらない役者さんでした、私にとっては。いやしかし、このタンゴが私にとっては間違いなく堤真一のベストアクトですね。初演の平幹二郎さんにあてて書かれた役だから、盛のもつ役者としての業とか妄執という点では食い足りないところはあるかもしれないけども、その繊細さや水尾に再び恋するときの少年のような瑞々しさ、あの美しい台詞の数々に決して負けない力量、なによりもあの匂い立つような色気!堤さんのファンの方ならもう万難を排してでも見に行くべき、と言っておきます。

常盤貴子さんは「名和水尾」という役が、一種アイコンのような役割でもあるので、そういった点ではすばらしい輝きっぷり(なにしろ美しいし、その美しさが劇場を幸せにする、という夫の言葉が実感できる)だったんですが、盛の長台詞を引き継いで語るシーンとかでは力量の差が出てしまうかなあという感じはあった。秋山菜津子さんは非常に重要な役を硬質に、だけど女としての情はじゅうぶんに感じさせる佇まいで舞台の枠をきっちり締めていた印象。ちょっと声の調子が最初あれ?と思ったのだが、後半は気にならなかった。段田さんは何気ない仕草や台詞の端々にも「名和蓮」という人物が行き渡ってるな、と思う隙のなさ。ジャックナイフを出すシーンがさりげないのに妙に印象に残るな、と思っていたらまんまとご本人の意図通りだったようで、感服つかまつりました。高橋洋さんと毬谷さんのふたりもよかったなあ。特に洋さん演じる重夫が、兄の盛に感情をぶつけるシーンは素晴らしかった。

この日、午前中に「ペテン師と詐欺師」見てて、うん、まあ、こんなもんせ、と思いながらいささかぐったりとしつつコクーンに向かって、冒頭のシーンを見たときにああああ!と。こっちだ!と。私が好きなのはこういう芝居だった!と改めて実感させられました。1日経った今でも、いや、時間が経てば経つほどもう1回見たい、と思えてきます。もう1度、あの圧倒的な「演劇の興奮」の中に身を置きたい。何度でも言いますが、本当に素晴らしい作品でした。是非見るべしです。