「表に出ろいっ!」English version”One Green Bottle”

勘三郎さんと野田さんの共演で、娘役はオーディションで選ばれた黒木華ちゃんと太田緑ロランスちゃんのダブルキャストで上演された作品を英語版で再演。父親役にキャサリン・ハンター、娘役にグリン・プリチャード、母親役は野田さん続投。one green bottleは英国の童謡で「そして誰もいなくなった」な感じの歌詞ですね。

初演のときは、前半の家族同士のそれぞれの「出かけたい用事」への当てこすりが「何かに入れあげて人生狂わせがちなヲタク」への強烈なアッパーカットになっていたこともあり、ああっ、胸が!痛い!みたいな葛藤と、野田さんと勘三郎さんという希代の役者の丁々発止にしぬほど笑い転げるという、気持ちがあっちに揺さぶられこっちに揺さぶられな中で見たんですが、こうして違う言語で演じられるとやっぱり相当違った印象になりますね。

今回は字幕ではなくて吹替イヤホンガイド(しかも父を大竹しのぶさん、娘を阿部サダヲさんという豪華キャスト)が配布されて、野田さんもそれを使用して鑑賞したほうがよいと推奨されていたんですけど、極力無機的に伝えられる言語を通して芝居を見ていると、なんというか芝居を見ているときに揺さぶられる情緒が目減りする感じが強い。その代わり、ヘンに物語に引っ張られすぎずに見ることが出来るというか。途中で(もう物語の展開はわかっているので)ちょっとだけイヤホンを外して見てみたりしましたが、不思議なもので言葉をはっきり理解できなくても、その言語を発しているときの人間の顔、トーン、揺れる空気とかの要素によって情緒にぐいぐい蹴りを入れられてるのがわかる。かといって、これ字幕で追うと目の動き的にも字幕を追いがちになり、当然ながら舞台の大きな一部分を欠落して受け取ることになるのもわかるし、いやー難しいものですね。

初演のときはまだ二つ折り携帯をぽっきりやっていた気がしますが、タブレットスマホはバッキリやるより叩きつけて割ったほうがよかったような気はする(笑)吹替えでの大竹さんの日本語がかなりの文語体になっていて、おそらくキャサリンの英語もそういう言葉遣いだったんだろうなー。あと、飼い犬の出産を出かけられない(ひとりが残らなくちゃいけない)理由にしているわりには、割と犬、ほったらかしだよなあという初演のときは勢いに飲み込まれて気にならなかったことが気になったり。

娘が世界終末論に心酔して語る場面は、初演の時にはそれこそカルトを遠い窓から見ているといった心境だったんですけど、今は遠い窓というよりも、この窓(この見え方)にすっぱり足を払われるひとは初演の時よりも多いかもしれないなという気持ちがわいてきたのが、自分でも不思議です。