「カラフルメリィでオハヨ〜いつもの軽い致命傷の朝〜」ナイロン100℃

うっかり時間に余裕を持って着いたりしちゃって、うっかりパンフなんて買っちゃって、うっかり開いちゃって、うっかり手塚さんの書いた文章なんかを開演前に読んでしまった。申し訳ない。今は反省している

この戯曲が書かれた当時のケラさんの個人的なシュチュエーションに過剰に思い入れるのは良くないと思いながら、しかし読んじゃったものは読んじゃったんだよー。いや、もちろんどういう状況で書かれた作品かというのは当然知っていましたけども、でもあのパンフの手塚さんの文章は、ちょっと、別の意味でクるものがある。ケラさんが語るのは結構何度も目にしているけれど、それを原稿を受け取る側だった手塚さんが語るのは初めて聞いたからさ。

愛があるんだよなあ、あの文章。
というわけでそんな思い入れにまみれたまま見てしまいました。

9年前の再々再演を拝見したとき私はナイロン観劇が3回目で、その前に見た作品がちょっと苦手だったんで大丈夫かなあ?と思いながら見たんですよねえ。その時も挨拶文にケラさんのお父さんのことは書かれていたんだけども、しかし今回ほど意識して見てはいなかったなあ。

作品は作品としてフラットに受け止めるのがいいとは思うんですけども、まあでも過剰に思い入れてしまうのもこの作品にどこかしら普遍的なものがあるからで、その普遍的なものこそが、この「カラフルメリィ」をどこか一線を画した作品にしていると思うわけですよ。

山崎さん演じる「祖父」がカラフルメリィに会った話をする長い語りのシーンの美しさ。9年前に見たときは全然印象に残ってなかったのに、今回はこのシーンで泣いてしまった。いいよなあ。言葉にうまくできないんだけど、本当にいい。

あと、みのすけさんがどこまでもどこまでも遠くへ行こう、というラストや、これは9年前も鮮烈に覚えている「まるぼしくんもぼくもくったくんも、なんにもなかったらこんなとこはいってやしませんよ」という杉田くんの台詞がすごく胸に残りました。

最後の歌にあるように「ぼくたちは100年後にはもういない/いたとしてもかなりヤバイ」そして「人間の死亡率100%」なわけで、そんな風にあくまでもシニカルに突き抜けながら、しかし遠くへ行ってしまう人への惜別の思いが端々に溢れているところに今回はしてやられました。

お父さん役の大倉さん、うまくなったなあ、と改めて実感。いや本当に。9年前は医者の役で、そのときもあのくねくねした独特の動きと間がおかしかったけれど、しかし「消失」といい今回といい、大倉くんの得意技を封じつつこれだけきっちり役の感情を届けられるというのはすごいな!と思いました。開放弦チケット取ってないんだけどやっぱり観に行くべきかしら。三宅さん演じる丸星くんも、この中では一二を争う好きなキャラで、私多分「役者・三宅弘城」を個別認識したのってこの丸星役だったような気がするんですよ。今回また犬山さんとのコンビが見れて嬉しかったなあ。

カーテンコールでKERAさんが「9年前にこの作品で大阪に来て、それはそれはもうウケなくて、いろいろトラブルもあったりして非常に辛い記憶しかない」*1と言っていた、その9年前の近鉄小劇場*2で拝見しているんですけども、今日はカーテンコールの拍手鳴りやまず、ケラさんの「楽しんでいただけましたか?」の言葉にまた大きな拍手でした。

*1:ナイロン10周年記念本にも「大阪でのウケの悪さに悩まされた」という記述がありますが、この後2001年の「ノーアート・ノーライフ」まで大阪ではダブルのカーテンコールすらなかったらしい。

*2:10周年記念本にも今回のパンフにも大阪での上演劇場が「近鉄劇場」と書かれてますけども「小劇場」のはずです(笑)