「レインマン」

  • PARCO劇場 C列8番
  • 原作 バリー・モロー 脚本・演出 鈴木勝秀

2006年2月に上演された作品の再演です。去年この作品を見たあと、あー映画の「レインマン」ってどんなだっけ、と思ってDVDを借りて見てみたのだった。もちろん映画も(再見であっても新鮮で)すばらしかったです。

しかし今回の再演を見て、わたしがなぜ舞台版の「レインマン」にあれほど心を揺さぶられたのかその理由が少しわかったような気がしました。つまるところそれは、この舞台版の物語は、兄弟の話と言うよりも、父と子の物語として描かれている部分が大きいからなんだと思います。

チャーリーはひとりで部屋にいるとき、いつも足を抱えてちいさくうずくまる。まるで赦されたがっている子供のように。そんな彼がレイモンドを通じて、なしえなかった父との対話を取り戻していく。1幕のチャーリーの言葉を借りるならば、レイモンドは「父親からのラストメッセージ」に違いなく、そして彼は自分が家族の中の黒い羊でなかったことを、レイモンドを通じて知っていくのだ。

レイモンドは「家族がいるのはいいものだ」という。どこにいるかわからなくても、チャーリーがどこかにいるとおもうだけで楽しかった、と。レイモンドは自分が愛されていたことを知っていたし、愛していたことも知っていた。たとえひとりでホームにいても。そういう意味では、ずっと孤独を生きてきたのはチャーリーの方なんだろうと思う。だからこそ彼は、やっと通じ合えた「兄」から離れることを恐怖するし、レイモンドは離れることを恐れない。

スズカツさんはもうずっと昔から、コミニュケーションということにこだわりがある人だなあと私は思っていて、それが「言葉が通じることがコミュニケーションではない」という風に表出することが多かったと思うのだけど、「レインマン」はそのスズカツさんにしては珍しく(といったら怒られますね)「通じ合えるよろこび」という面が出ているあたりも、すごく面白いですよね。オリジナルで書かれたら、こういう話はお書きにならないような気がするし。って勝手なことばっか言ってますが・・・

触れあえなかった二人が触れあい、喪われた時間をとりもどしていく積み重ねはほんとうにすごくうまく描かれていて、なにより「父と子」というモチーフにあっというまにしてやられる私は(2回目なのに)ドカドカとツボに蹴りをいれられまくりで用意してあった鼻セレブを使い切る有様でした(笑)

初演はあの遠いBRAVAの2階席のいちばん後ろの席で見て、今回は顔の表情までばっちり拝めるお席だったわけですけれども、受けた感動は変わりないし、やっぱり力ある舞台というのはすごいよなあ、と思います。でもそう、最後の二人の別れのシーンで、レイモンドが二人の写真をチャーリーに渡そうとするところ、チャーリーはそれを受け取ってしまったらお別れだということがわかっているから受け取りたくない、その手に優しくレイモンドが写真を押しつける。押しつけられた指でその写真を受け取ってしまった瞬間にチャーリーが顔を歪ませて涙するシーンは、なんというかもう・・・キましたね・・・

万人に勧められる、質の高い舞台だったと思いますし、再演の実現に大いなる感謝。橋爪さんのレイモンドと椎名さんのチャーリー、ほんとうに忘れられない体験になりました。

「何してるんだ?」
「重大障害リストだ。チャーリー・バビットを重大障害リストから削除する。
チャーリー・バビットは赦された!」