「キンキーブーツ」

三演目となるキンキーブーツ。本邦初演が6年前なので、この短期間に3度の再演というのはそれだけこのミュージカルが時代にフィットしていて、かつ求められる作品であるかっていうのを現していますよね。

素晴らしい作品を讃えるときに、「魔法のような」って喩えを使ったりするけど、まさにその言葉が似合う舞台でしたね。心底素晴らしかった。クライマックスが近づくにつれ、倍掛けで胸がいっぱいになっていくあの感じ。沸騰するようなスタンディングオベーションもさもありなんです。個人的にももう、カーテンコールの間中涙が止まらず、この作品を上演してくれたことへの感謝も含め精一杯の拍手をいつまでも送っていたい気持ちになりました。

今回自分の胸に刺さったのは、あのローラとドンの賭けで、ローラが「ありのままの他人を受け入れる」ことをドンに伝えるじゃないですか。で、あの二幕のチャーリーとローラの口論ですよ。正直、いやもうローラ、こいつのこと一生許さんでええで!と思ってしまうし、そのあとの工場のみんなとのやりとりも(チャーリー自身も父から期待をかけられてなかったというショックとこのプロジェクトの責任の中で疲弊しているとはいえ)、到底受け入れられないと思うような言動ばかり。

でもだからこそ、あのローレンの「ドンはあなたを受け入れたの」って台詞が本当に大事で、それこそが我々にも突きつけられていることなんだよなって思ったんです。正直ね、この作品の中のローラを受け入れるのなんて、観客からしても全然難しくないじゃないですか。だから仮にドンがローラを受け入れたってなっても、そらそうだろ、としかならないじゃないですか。でも、あなたは、わたしは、あのチャーリーを受け入れられますか?っていうことなんだよね。だからこそローラも「こっちのほうがよっぽど難しい」って賭けのときに言うんだよね。SNSでも、どこでも、「ありのままの自分」を高らかに掲げるものは多くても、ありのままの他人を受け入れることって言うのがどんなに困難なことかっていうのは忘れられがちで、でもそれって表裏一体なことだし、その大事さをちゃんとこの作品は伝えているんだなって思ったんです。

そこからの、あのクライマックスだからね…もう本当、あそこでブーツを履いて立ち上がろうとするチャーリーもだし、そこに現れるローラもだし、もう、これが泣かずにいられる!?って感じでした。マジで今多くの人が必要としてる作品、時代が必要としている作品だと思うし、できればこれからも上演を重ねていってほしいと思わずにはいられなかったなー。

城田優さんのローラ、仕上がった肉体にあの高身長、存!在!感!という佇まいでチャーリーと並んだ時の印象含めてはまってたんじゃないでしょうか。そして歌の説得力よ!最高でしたね。聞かせどころでこっちをしっかり没入させてくれる術を心得てらっしゃる。その彼を全力で支えるカンパニーも本当に最高だった。目に見えないなんというか、愛と敬意でできたヴェールのようなものがこの作品全体を覆っているような優しさがあった。それがこんなにも胸に沁みた理由のひとつだったのかもしれないし、それってまさにハーヴェイ・ファイアスティンの作品のテーマそのものでもあるよなって。

前回の上演のときの感想に私は、

いつか時間が経てば、彼以外の役者がこの「ローラ」に挑戦することもあるのでしょうが、その人はとんでもなく高い壁に挑むことになるだろう、と今からしなくてもいい心配をしたくなるぐらい、圧倒的です。

って書いたんだけど、それは本当に今でもその通りだと思う。でもこうして城田優さんのローラを見て思ったのは、どんなローラもそれぞれに違って、だからこそ素晴らしいんだってことでもありました。玉三郎さまがかつて仰った、「演じている役者は消えていかなければならないけど、演じ手の魂だけは半透明に見えていかないと役の中に魂が入っていかない」っていう境地に城田くんは間違いなく到達していたとおもう。なによりも、城田くんには挑戦し、冒険する者だけが許される美しさが間違いなくありました。

そして私たちが今この国で、これだけ贅沢にこの作品に触れ合うことができるのは、間違いなくこの作品を支えた三浦春馬という役者がいてくれたおかげだと思います。本当にありがとう。どれだけの月日が経っても、どこにいても、この作品を見るたびに、きっとあなたのことを思い出すよ。