「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」


ガーディアンズ3部作ここに完結。監督は前2作に引き続きジェームス・ガン。Vol.2のあとにMCU作品としてインフィニティ・ウォー、エンドゲームが存在しており、「指パッチン後」の世界を描いているだけでなく、ガーディアンズ内の人間関係もそれによって大きく揺れているので、前2作に加えてインフィニティ・ウォー&エンドゲームは見ておいたほうが話しの通りは良さそう。

3作目にはロケットの物語がフューチャーされるというのはかなり早い段階から言われていて、「アライグマの寿命は云々」みたいなセリフも思い出されて途中ヤメテーーーと思いながら見ていたけど、最悪の安っぽい展開にならず、そこがまずよかった。

ロケットがフューチャーされるのはその通りなんだけど、彼が中心になって物語を動かすのではなく、その出自が語られていくとともに襲撃されて瀕死の状態にあるロケットを何とか救おうとするガーディアンズの面々が描かれる、というのがメインストーリー。

今回のヴィランであるハイ・エボリューショナリーがマジでMCU界でも「お前だけは絶対許さんリスト」のトップに名前を連ねそうな悪玉で、思えば前作のエゴもそうだったけどガーディアンズ界隈のヴィラン相当えげつない。どっちも自分を創造主以上の存在としてふるまうところもキツい。ロケットの友達になるライラたちへの改造、実験を繰り返して(あの経年変化を一瞬で起こさせる実験マジできつかった)ゴミのように捨てるその振る舞い。最後にさ、ロケットとの一騎打ちみたいになるじゃないですか。ロケット、そいつをいてこましたれ!という想いと、そんなやつのために命賭けるな!という想いでハラハラさせられたけど、あそこでロケットが言う「お前はありのままを許せなかっただけだ」って台詞、本当にMCUの中でも屈指の名台詞なんじゃないかと思う。私が最近熱心に追いかけているスポーツ界隈でもそれこそ多様性というものについて考えさせられる機会が多くて、でもほとんどの場面でこの「ありのままを受け入れる」ってことができるかどうかってことにかかってるんじゃないかって思わされることが多いです。

ピーターたちの治療が間に合わず、ロケットがかつての友と夢の中で再会する場面で、ライラがロケットを押しとどめる場面がめちゃくちゃよかった。あの場面がというより、あそこでライラが「実はね、これはずっとあなたの物語」っていうところ。あそこでどっと涙が溢れました。今までのガーディアンズの物語がって大きな意味にもとれるだけじゃなくて、映画を観ている「われわれ」に投げかけられたボールのようにも取れる。あの瞬間はマジカルだったな。

ピーターとガモーラの決着のつけ方もすごくよかった。ピーターと恋人としての歴史のないガモーラが一貫してピーターを受け入れないところ、受け入れないけど義には厚いところ、ちゃんと彼女には彼女の「帰る場所」があるところ。私たち楽しかった?って最高の台詞よね。反対にネビュラはスナップ後の5年の空白とエンドゲームでの時間をしっかり感じさせる情の濃さを見せるようになってて、この姉妹のコントラスト好きだったな。あとこれは完全に個人的な感想ですけど、ピーター・クイルのビジュアルが仕上がりまくっており、クリス・プラット色んな映画で主演張る大スターになったけど、ガン監督が撮るのがやっぱいちばんカッコいいんじゃねえかって思いました。

物語の展開的に囚われる→救出、の流れが続くのが気にはなりましたが、各キャラクターへの的確な書き込み、落としどころのうまさ、そしてアクションシークエンスのカッコよさにこまけえことはいいんだよ!みたいな気持ちで楽しく観られました。あの狭い廊下でのガーディアンズ揃い踏みアクションはほんとよかった。あそこだけ何度でも見たい。

ガーディアンズのシリーズは何よりもまずその音楽とのマッチングがMCU内でも10馬身ぐらいリードした存在で、今作ものっけからcreepをぶちかましてきたのでその時点でちょっとやばかったね。ノーウェア(ガーディアンズの本拠地としてこんなに相応しい名前ない)でのエンドシーンに流れるdog days are overも素晴らしい。そしてポストクレジットシーンでCome and Get Your Loveを流す心憎さ!!ジェームス・ガン、わかってるとしか言いようがない。

ガン監督自身も、vol.2以降にディズニーから降板させられたりと紆余曲折ありましたが、この3部作がなんとか最後までガン監督の手によって成し遂げられてよかったと心から思います。エンドロールの数々の懐かしいショットを見ながらさすがに感無量といった気持ちになりました。このシリーズをリアルタイムで楽しめてよかったです!