「NINAGAWAマクベス」

1980年初演、18年ぶりの再演。わたしは初見です。まず最初に、再演して下さってありがとうございますと心から言いたい。蜷川さんの手によるこの舞台を実際に拝見することができてよかった。

蜷川さんが手がけた仕事の中でもきわめて有名な作品だし、仏壇を模したセットの写真なんかは見たこともあった。海外で高い評価を受けたということも仄聞していて、ただなんとなく、そのオリエンタリズム的なところが受けたのかななんて、今から思うと顔から火が出そうなほど恥ずかしいことを考えてたりもしてたのだ。

でも実際見たら違いましたね。そういう、東洋風とか、西洋との折衷とか、いやもちろんそういう新味もないことはないだろうけど、なによりその舞台のうえの「絵」の圧倒的な美しさ、完成度、これが段違いだった。三人の魔女が障子のむこうに見えるその瞬間の明かり、人物とセットの配置、ばしっと音が出そうなほど、これしかない!と思えるほどに美しい。それが2時間半ずっと続くんですからそりゃもう芝居好きには愉悦、愉悦の時間ですよ。

でもって、出てくるキャストの皆さんが、さすがに気合いの入り方が違うというか、この舞台に立つことの意味、蜷川さんとやることの意味を実感している、そういう意気込みが舞台全体を覆う炎となって見えるようでした。市村正親さんのマクベス、どこかに市村さんらしい愛嬌も残しつつ、客席を巻き込んでいく力は圧倒的。田中裕子さんのマクベス夫人も、あんまり猛女というようなイメージはない方なのに、地力の違いを見せつける快演ぶり。吉田鋼太郎さんのマクダフ、あの慟哭すごすぎるし、そこに全身全霊の力を注ぎ込む鋼太郎さんの気合いたるや。さとしさんのバンクォー、もともと堂々たる偉丈夫的な佇まいの方だけど、それがめちゃくちゃあの和装にはまってるし、刺客との立ち回り年季入りすぎててさすがだった。柳楽くんのマルカムもよかったよー、マクダフの慟哭を見つめながらぽろぽろ泣いちゃうのな…!すげえ入り込んでる感じだった。

演じているおふたりの個性というのもあると思いますが、マクベスマクベス夫人も、野心家ではあれどそこに小心な臆病さがつねにひたひたと感じられる役作りで、お互いを唆して凶行に及ぶものの、結局はその凶行を行ったことそのものが黒い染みとなって彼ら自身を食い尽くしていくというふたりだったと思います。終盤にはマクベスはただひたすら予言に振り回される糸の切れた凧のようであり、あの予言さえなければ…とさえ思わせる。マクダフに倒されたあとのマクベスがどこか胎児となっていくようだったのも印象的。

あのセットの中であざやかに現れるさまざまな場面、バーナムの森のみごとすぎる表現(これはほんと、おもわず唸りましたよ…!)、最初にもふれましたが、とにかくすべての場面が美しく、どこを切り取っても絵になるすばらしさ。蜷川さんの舞台への情熱がすみずみにまでいきわたっているようで、ほんとうに贅沢な時間でした。ひとりの芝居好きとして、こういう舞台を拝見できたことに感謝しないではいられません。