「ナショナル・シアター・ライブ リア王」


見てきた!すげーーよかった!!!演出は007シリーズでもおなじみサム・メンデスリア王、長い(3時間25分)、まだ水曜日、どうしよう、でも今日逃すともう見られない…とさんざっぱら悩んだ挙げ句「えいっ」っと行ってきました。
行ってよかった…マジで…あのとき「えいっ」と思ったオレえらい…
と自分で自分を褒めちゃうほどによかったです!ほんとに良い作品だったら3時間半あっても長さって感じないものなんですね!

見に行こうと思ったのは「ちゃんとした(っていうのもなんだが)リア王見たことないので一度見ておきたい」って気持ちもあったんですよね。なんか断片的には知ってる場面もあるんだけどっていう。NTLで王道のリア王を勉強がてら…とか思ってましたけど、いやこれを王道と言っていいのかはあれですが、しかしこんなに胸ふるわせて「リア王」を堪能できるとは予想を遙かに超えてました。

なによりもまず、主演のサイモン・ラッセル・ビールのすばらしさ、もうそれに尽きる。いや尽きるとか言っちゃうとあれですね、もちろん他のキャストもすばらしいのだ。貞淑を装っても狡猾さを隠しきれないゴネリル、小悪魔の顔の裏に猟奇性を秘めたリーガン、終盤の衣装も相俟ってナチス・ドイツのような独善性を醸し出すエドマンド、グロスター、ケント、道化…すみずみまで力のある役者で埋め尽くされていてどんな場面にも隙がない。

サイモン・ラッセル・ビールのリア王は、その台詞術や、リア王を「耄碌した老人」ではなく一種の病を抱えた人間として現出される行き届いた芝居のひとつひとつも喩えようもなくすばらしいんですが、なにより感動したのはその「受け」の芝居の深さです。シェイクスピア、とくにリア王なんて、もうボール投げるのだけでも大仕事だし、芝居を観る時も「よーしよーし最後までよく投げた!」みたいなところで満足してしまいがちなとこあるけど、全部のボールを的確に投げ、かつ相手の投げてるボールをひとりの役者があんなに深くうけとめられるものなのかっていう。100人の騎士なんて必要ない、50人、25人、いや1人だって必要かしらと断じるリーガンの台詞を深く受けているからこそ「必要…?必要などと言うな」という台詞がさらに深く迫って聞こえてくる。それがこの長尺の芝居全編にわたってですもの、もう舌を巻くなんてもんじゃない。道化との会話、「わしを狂わせるな…」とささやくように言い置くところなんて、はー、もう、うますぎてどうにでもしてええええ!!ってなりましたもん。何回もため息もれたわ。あの道化の帽子をかぶってお前を知っている、グロスターだろ、いいか教えてやる、生まれ落ちた赤ん坊が泣くのは…って、ほんっと今思い出しても泣けてくるほどの美しさにあふれたシーンだったし、コーディリアと再会してからの父と娘の哀切としかいいようのないやりとり、ラストシーンはいわずもがな、いやほんっと…もう、拝みたい。拍手じゃ足りない、そんな気にさせられる。

クラシカルな衣装ではなく、現代風そのものの衣装で通す(けれど、台詞はそのまんま)アイデアも好みでした。あと舞台装置な!基本は円形なんだけど、それを半分に区切って半円で展開させるシーンを挟み、登場人物の退場も溶暗というか、ふっと暗闇に消えていくように見せていて、次に明かりがはいるとまったく違う場面が用意されている…という演出もよかった。暗転と転換ってないがしろにする演出家はほんっとひと目でわかるし、個人的にそこを雑に扱われると「あーあ」って思っちゃうタイプ。回り舞台になっていて、床面に十字路が組まれているんだけど、それが回転することによって対立する2項に見えたり、x軸とy軸に見えたり、まさに十字架のように見えたりもするのも好きな趣向でした。

あと、道化の退場のさせ方!あれなかなか斬新なんじゃないでしょうか…コーンウォールの葬儀の場面の演出もめっちゃ好きだった。舞台に登場する傘って、リアルとはちがって(だって劇場では雨は降りませんから普通)基本的に見立ての道具だったりなにかの象徴だったりしますよね。そしてそういう演出がつくづく好きな私。

3時間半が文字通りあっという間で、何度かどっと笑いをとる台詞があったり(ゴネリルとエドマンドのいちゃいちゃのあとの、ゴネリル「同じ男でこんなに違うものか!」とか)するのも楽しく、いやー充実した時間でした。こういうのを見てしまうと、やっぱり一度はイギリスで実際に舞台を見たい!って欲に駆られちゃいますね!