「當る亥歳 吉例顔見世興行 昼の部」

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新開場した南座です!いろいろ綺麗になってたけど基本的に雰囲気は変わらない感じでした。今回はちょっと時間がなくてあまり探検できなかったんですけど、次回は売店とかももうちょっと覗きたいな。そうそうトイレは各階にあるんですが、地下1階の女性専用トイレがたぶん一番回転早いのではないかと(トイレ情報だいじ)。

「毛抜」。三度目くらいでしょうか拝見するの。好きな演目で、粂寺弾正をやる役者さんの大らかさがふんだんに感じられれば感じられるほど楽しく観られる気がします。煙草盆を持ってきた秀太郎を口説いたり(壱太郎くんなんて適役なの)腰元を口説いちゃったり、毛抜は踊るのに煙管は踊らぬ、ハテ合点のゆかぬ…と考えこんだり、どちらかといえばほんわかした場の空気が終盤一変するのも面白い。名推理もので、しかもなんとなく侮ってたおじさんがちょう強くてかしこいっていうパターン、洋の東西、古今を問わずみんな大好きなんだな!っていうね!

「連獅子」。幸四郎さんと染五郎さんでの連獅子ということで客席の期待も最高潮。つい先ごろ東大寺勘九郎さんの連獅子に熱狂したおかげというか、一度ああいうふうに舞台に強く引っ張られる経験をするとその後その演目自体がスーッと身体に入ってきて前よりも数段楽しめる!みたいなことが私わりと起こりがちなんですが、まさにそのパターンでした。今までも後シテは観るの好きだったんですけど、もはや連獅子は出の瞬間から最後の最後まであんこのつまったたい焼きのようにすべてがおいしい。

幸四郎さん、狂言師の拵えになるとかっこよい、というよりうつくしい!という言葉が先に立つ、染五郎さんと並んでほんとうに「美麗」という言葉がしっくりくる前シテでした。なんかもうむしろ後シテよりむしろ前シテのほうに興奮してしまうっていう。とくにあの「水に映れる」のところのパッと時間がとまるようなところね!むちゃくちゃよかった。今回間狂言鴈治郎さんと愛之助さんという実に愛嬌にあふれたおふたりで、これもすごく楽しく見られました。獅子の精として出てからはやはり幸四郎さんの圧巻のカッコよさ際立つという感じなんですけど、いやもうあたりまえですけど染五郎くんが必死なんですよね。その必死さがやっぱりこの演目の親獅子と仔獅子に重なって見える。かっこよくみせてやろうと思っている人の芝居を観てもつまらない、それなら必死で逆立ちしているひとでも観ているほうがまし…というようなことを秋浜悟史さんが仰っていたと記憶しますが、まさにそういう、芸としての完成とはべつに「魅せられる何か」が浮かび上がってくるのがこの連獅子の演目のすごいところです。それはそれとして幸四郎さんの毛振りも最後はほとんどリミッターどこ行ったー!って感じの激しさで堪能しました。

「恋飛脚大和往来 封印切」。仁左衛門さまの忠兵衛だよ!(ブオーブオー)(ほら貝)。演目としては何度見てもいまいち好きになれなかったりするんですけど、上方の特色がぎゅうぎゅうにつまった演目だと思うし、それをこの座組で観られたのはよかったです。仁左衛門さまの忠兵衛、もう「ザ・忠兵衛」って感じだった。正解ここにあり!みたいな。あんなに「いけず」されるのが嬉しく思える人物造形醸し出せるひとそうそういないよ…。八右衛門の鴈治郎さんもすごくよくて、ふたりのやりとりに胃がきゅーっとなる思いでした。そして封印を切ってしまった瞬間の、そしてそのあとの仁左衛門さまの芝居のすばらしさよ!見送る井筒屋の顔ぶれの晴れやかさと、死出の旅に向かうふたりとの印影が最後の最後まで効いていて、ええもん見たなあ!と思わせてくれる一幕でした。

「鈴ヶ森」。いっとき「また鈴ヶ森か!」ってくらいよくかかってた記憶があるんですけど気のせいかしら。勘九郎さんの襲名のときに、勘三郎さんと吉右衛門さんでおやりになったのを見て以来かと思います。あのときのおふたりが本当に素晴らしかったおかげで、これも最初に見たときは「よさが…わからん…」とか思ってたんですけど、今は全編楽しめるようになったパターンですね。愛之助さんの白井権八、やはり愛嬌が先に立つのがとってもらしい感じもしつつ、個人的にはもうちょっと冷えた刃物のような鋭さも欲しいなと思ったところでした。白鸚さんの長兵衛、さすがの貫禄で、とくに最後に書状を火にくべる場面の役としての大きさが伝わってくる感じがとてもよかったです。