「七月大歌舞伎 夜の部」

  • 松竹座 1階8列21番

俊寛」。仁左衛門さまで拝見するのは二度目かな~。なにしろ夜勤明けでそのまま突入したので自分でもヤバい予感はあったんですが、前半はほんと勝てなかった(何に)。でも御赦免船が来て瀬尾とのやりとりするあたりからは頑張れてた!と思う!

と、いうような状況で観ていても、千鳥のクドキからの自分の代わりに乗れ、いや乗れない、ときての瀬尾とのやりとり、懇願しながら俊寛の心が瀬尾を斬ることに傾くありさまが手にとるように観客に伝わるすばらしさ。マジで眠気もふっ飛びますわ。基康が先の瀬尾の台詞を逆手にとって俊寛の後押しをするところ、悪役にギャフンと言わせる痛快さが心地よく思わず客席が沸く感じになったの、大阪っぽくてよかった。菊之助さんの爽やかさがその爽快感に一層拍車をかけてたよね。

歌舞伎を見始めたころは、とにかくよくかかる「俊寛」がどうにも苦手で避けて通っていたようなところがあったんですが、ある時を境にむちゃくちゃ好きになり、今ではできるだけたくさんの役者さんの「俊寛」を観たいなと思うほど。ほんと、これ、歌舞伎役者なら一度はやりたいお役なんじゃないかなと思う。こんなにひとりの役者の描写力がクローズアップされる(それもわかりやすくクローズアップされる)演目ちょっとないですもんね。仁左衛門さまの俊寛、あの見送るときに遠ざかる声に耳を澄ます仕草もそうだけど、最初は思い切った、清々しささえ感じる表情で船を見送るのに、遠ざかるほどに出てくる「向こうの世界」への執着が皮をはぐように現れるところが絶品で、そこにきての「思い切っても凡夫心」がむちゃくちゃ刺さるんすよね。というか、「思い切っても凡夫心」って、これ業の肯定じゃないですか。そう思うとこの詞章で倍泣けちゃう。

それを経てのあの岩の上でもう届かないものを見送る表情、枝が折れた時に俊寛の中の何かが折れ、または消え去り、あちら側から「俗世」を遠く懐かしむような顔で佇むあの姿…。いやーホント見応えある。前半してやられてた人間が何言ってんだって感じですが!

「吉原狐」。初見です!あんまりかからない演目だそうだけど、面白かったな~。吉原で芸者屋を営んでいる三五郎と、その娘のおきちの関係性が主軸で、今回はそのおきちの早合点からくるドタバタ喜劇な風味もありつつの人情噺といったところ。

なにしろおきちをやった米吉くんが全方位で魅力大爆発していて、これで当て書きじゃないのが不思議なくらいのはまりよう!きりっとして美しく、一方でそそっかしさもあり、父親を大事に思う孝行娘の顔もあり…という役柄にドンズバではまってました。その父親である三五郎は幸四郎さんで、この役がただただ良い人、みんなに愛され慕われてて大事にされてる「愛され父ちゃん」なんですよね。幸四郎さんてわりと毒のあるお役が映える(毒と華とは表裏一体ですからして)ので、こうした朴訥さが感じられるお役はちょっと変わり種だったかもしれない。おきちとのやりとりの絶妙な間合いとか、幸四郎さんの笑いに対する勘の良さも味わえて楽しかったな。

笑いといえば、終盤に切った張ったの展開になるところで、三五郎の後添い(なんだけど、おきちにはまだ打ち明けられてない)になるお杉役の虎ちゃんの鬘が崩れてしまって、そのあと三五郎がおきちの前でお杉に対する思いを告白…となるんだけど、みんなが虎ちゃんと向き合うたびに徐々に陥落していき、最後に向き合う幸四郎さんも「惚れているんだ」を陥落しながら打ち明けるという思わぬ展開に(そしてひとり何が起こったかわからない虎ちゃんのまじめな芝居がまた笑いを誘う)。しかしそのあと采女に対して、こんないい娘を芸者にしたバカな父親が…と自分語りをする場面で、一気にガチ泣き必至の人情噺に持っていく幸四郎さんの力業よ。さっきまで手ェ叩いて笑ってたのに手のひらでころころされるように涙ぐんだ俺だよ。

染五郎さんと隼人さんというマジでメンのイケてるお二人が「零落する男の色っぽさ」をあざとく見せる役割を振られてておきちがコロっといっちゃうのも納得のキャスティングだったな。つーかおきちのその性癖は絶対とうちゃんのソレから来てるから結婚するなら真逆の男にしておけよー!と声をかけたくなったりして(笑)