2019年に韓国で公開されカンヌとオスカーを獲った映画の舞台化。新宿にできた新しい劇場のオープニングシリーズの作品としてなかなか硬派な作品をもってきたなという感じがしたし、なにより脚本・演出に鄭義信さんで、古田新太、江口のりこ、宮沢氷魚、伊藤沙莉の家族、ここにキムラ緑子さんやみのすけさん、山内圭哉さんに真木よう子さんも揃える盤石の態勢。こりゃみたいよねってことで大阪公演のチケットを取りましたが、いやーここだけの話、かなり苦戦しました。ひさびさに一般発売までもつれ込ませたわよ。
映画のほうは公開時に見に行って、相当エグイ話なんだけど、全体にしっかりユーモアの空気があったのがすごく印象に残ってるんですけど、映画のその空気は今回のキャストの色合いもあって良く出てたんじゃないかと思います。悲惨だけど、その悲惨さを乗り越えようとする逞しさからくるユーモア。
今回の舞台では、設定がまず日本になっていて、おそらく神戸の長田がモデルになっているんじゃないかと思いますが、映画では水害として描かれたところが1989年の阪神淡路大震災になっているのが大きな改変ポイントだと思います。金持ち家族の息子が台詞の上で語られるだけで実際に子役が演じたりしてないという部分もありますが、それは作劇上のテクニックのひとつという気もする。
ちょっと残念だったのは、原作の映画においてもっとも重要な要素でもあるあの「臭い」にまつわる見せ方、その毒がちょっと散漫になってしまった印象があるところ。あと、震災のあとの高台の人間たちの無邪気さと、その裏で避難所生活を強いられる家族との格差、あのあたりは鄭さんならもっと鋭く切り込むところだなと思うんですけど、原作のある作品という部分であまりに乖離したこともできず、という部分は感じました。毒と毒で打ち消し合ってしまったとでもいうのかな。細かいことを言えば、阪神淡路大震災だとするなら山の手もあんなにのんきで(地震に気がつかないほど)いられないだろうという部分も、気になったところでした。
そういう意味ではあの豪邸の地下に住む家政婦一家、あの描写あたりは原作のトーンと鄭さんのトーンが良く合っていてスリリングさとユーモアが見事に噛みあっていたなと思います。夫が隠れ住んでいるという設定を父と息子にしたのもうまい改変だった。
ラストシーンで、長男が「計画」のことを話す、あそこは劇中でも散々繰り返されていた「計画」という言葉の空しさを感じさせる場面で、叶わなさを語るからこその切なさ空しさが立ち上がってくる所ですが、もうちょっと映画のあのトーンを感じさせる静謐な、寂寥感のあるラストのほうがよかったなと思ってしまいました。
キャストはさすがに腕のある人ばかりでどの場面も見ごたえがあり、大満足です。なかでもこの座組で圧倒的に場をさらっていたのはキムラ緑子さんではないかと思いますが(ああいう役をやらせて、とくに舞台においてドリさんの右に出る人はそうそういない)、古田新太とキムラ緑子という、80年代関西小劇場が産んだ怪物役者ふたりがあの地下でがっちりファイトする場面を観られただけでもちょっと滾るものがありましたね。