「天日坊」

本当は千穐楽も観に行く予定だったのですが、あえなく夢と消えました。でもって、幸運なことに日程前半でいちど舞台は拝見できて、でもまず「観に行く」ことにすごいプレッシャーがかかる(無事上演されるのかも含め)状況だったので、なんとなくふわふわしたままの観劇になってしまい、千穐楽無事観られたらそれも含めて感想書こうかな…とか思ってたんですけど、やっぱあれだね。ポリシー変えるのよくない。どれだけリピートする予定であっても最初の感想は初見の1回だけで書く!というマイルールを貫くべきであった。そして感想は早いうちに書くべきであった。

10年ぶりの再演ということで、そういえば初演は今までコクーン歌舞伎のメインだった勘三郎さん、扇雀さん、芝翫さん(当時は橋之助さん)が不在の、初めての若い座組だけでのコクーン歌舞伎だったんだよなーということを思い出したり。そういう意味でも、あのときの座組にはとにかく疾走感があった。題材と、宮藤さんの手による巧みな脚色と、そして「力の足りない部分は、速度で補う」とでもいうような座組の意思が非常にマッチしていたのも初演の成功の大きな要因だったと思う。

今回はかなり刈り込んで上演時間の短縮に努めている感じがありましたが、しかしじゃあより疾走感が増したかというとそうではなく、むしろ速度は落として力で殴る、みたいな重みが出た作品になったなというのが私の第一印象でした。

折しも今年の大河ドラマは源平時代を題材にしており、時宜を得た再演だったなと思います。頼朝のご落胤なのか、義仲の子なのか、はたまた、その誰でもないのかという己と向き合う切なさ、ともすれば空虚に陥りそうな哀愁という部分は今回の再演のほうが色濃く出ていて、これは歳月というやつだなあと感じ入りました。

劇中の音楽、とくにトランペットを効果的に使った劇伴のすばらしさは初演と変わらず。あのお三婆さんの話に耳を傾けているうちに、まさに「悪魔が囁く」としかいいようのない一瞬に法策が襲われる、あのときの高く鳴るトランペットの音色と、瘧のように体を震わす勘九郎さんの芝居はまさに極上でしたね。

七之助さんのお六は、当代この手の役をやらせてこの人の右に出るものなしといっていいんじゃないかと思うほどハマり役だし、独特の間合いのうまさが笑いを生むところも能力たけえ~!と感服しちゃいました。亀蔵さんと獅童さんのやりとりとかも、こういうのほんっと好きなんすよねぇ~。ラストの立ち回りはキャストの身体能力の高さと演出のスピード感があまりにも好相性で、見ていてどうやっても胸が高鳴るやつ。

扇雀さんも、さすがコクーン歌舞伎のコアメンバー!と唸るような、ところどころできっちり印象に残る場面を作り上げていてよかったです。マイラブ小松さんのハートの強さが試される二幕冒頭の場面は正直、私得でしかなかった。ありがとうございます。あんなにゲラっていてもどこかで逸脱しない愛される職人芸と芝居のうまさ。ちゅき。

自分の出自の心許なさから「おれはだれだ」と自分のアイデンティティを希求する役を、歌舞伎役者というある意味血統がものを言う世界にいる歌舞伎役者がやる、ということが真逆のベクトルにあると見る向きもあると思うけど、個人的には歌舞伎役者ほど、つまり血の流れをいやがおうにも意識せざるを得ない人たちほど、この「おれはだれだ」という問いに向き合わなきゃいけない人たちなんじゃないかって気がするんですよね。勘九郎さんの法策にも、その出自と向き合うということの厳しさと、そこを足掛かりにした向こうにある空洞を感じさせて見事だったと思います。あのラストシーンの法策はなんというか、誰でもない、という空気があり、この芝居の「重さ」を感じさせる一瞬でした。