開幕当初から聞こえてきた高評価に、ひー、好きそう。蓬莱さんだし。好きそう。でも1月は遠征の予定がない…この1本のために日帰りか…?と散々逡巡した挙句、日帰りで見てきました。たぶん私史上目的地滞在時間最短のタッチアンドゴーだったと思う。しかし、やはり長年の勘というか、こういう「好きそう」の予感は往々にして当たる。超強行軍の甲斐ある芝居でした。とてもよかったです。
たまたま友人の代打で観た「ビリー・エリオット」に感動した青年が、自分もなにかをはじめよう、はじめなければ、と手あたり次第に見つけた劇団に飛び込み、けれどその「なにかをはじめる」気持ちの先にこのコロナ禍が、不要不急の時代がやってきてしまったら…?という筋書きで、「ビリー・エリオット」の作品そのものがかなり大きな全体のモチーフになっています。
描かれる「ザ・小劇場」の劇団の世界、情熱だけはあるがそれ以外の大抵のものがなく、閉じた人間関係の中で色んなものが爛れていく世界、このダメさの煮こごりみたいな空気を痛烈に描きつつ、痛烈だからこそ思わず笑っちゃう部分もあって、いやー痛痒かったな。凛太朗だけじゃなく、「まみのり」ふたりのどこか共依存みたいな関係のいびつさも印象的。「のり」が一方的に搾取されているように最初は見えるけれど、その彼女が最終盤に見せるのは「まみ」への執着っぽいのがまた、キツくもあるし、面白くもある。
途中、「アングリーダンス」を思わせる場面もあるし、劇団員たちのそれぞれの感情がぶつかるラストでは、凛太朗が自分の思いを抱えきれずにElectricityを歌う、という場面もあるので、配信や再演やもろもろそうしたものが簡単にいかないだろうというのも、納得という感じであった。でも、あそこは、あの歌だよな、と思うし、加恵が抱きしめてくれるのに、1秒後に「それはそれ」という感じで自分の未来について語るのも、こんなにキツいのにこんなに面白い、という感覚が最後まで共存してたなーと思う。
しかし、私が唸ったのは、唸ったというか、してやられたというか、ともかくこの作品をひとつ高いところへ押し上げているのは、その先の場面だと思う。あっけない劇団の終焉に、座付き作家が「書きたいことができた」という。ぼくたちのこと、この劇団のことを書きたい。一度も舞台に立っていない彼に…凛太朗に、演劇を、知ってほしくて。誰に見せるためでもなく、自分たちのために。
蓬莱さんがポスターやフライヤーに「優しいものを創りたかった」と書いていて、このどこにも行き場がないようにみえる、不要不急の時代の小さな劇団が着地する優しさってどこなんだろう、と思っていたけれど、こういう優しさがあるんだなと思ったし、まさに蓬莱さんの真骨頂だし、何かをはじめよう、という決意だけが宙に浮いてしまったたくさんの人たちの、そのすべてに「語られるべき何か」があるんだよと言ってもらえることが、こんなにも胸に迫るなんて。何かを始めて、成し遂げたことだけが物語なのではない。その意思を持つことこそが物語なのだ。踊ることで自由を得たビリーのように。
そして舞台は、最初のシーンに戻る。劇団のオーディション。つまり私たちは今まで、その何かをはじめようという意思を持った若者の物語を…その作品を見ていたというわけだ。なんという見事な構図。
拝見したのは千穐楽でしたので、この御時勢にとにかく、無事に最後までやりきれた、というだけでも製作陣、キャスト陣は大きな安堵があったのではないでしょうか。現実と向き合いながらも、だからこそ「優しいものをつくりたい」という蓬莱さんの意思の結晶のような作品でした。観ることができて、よかったです。