「女王陛下のお気に入り」

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ヨルゴス・ランティモス監督作品。18世紀のイギリス王室を舞台に、実在の人物を基にしながら描かれるフィクションです。アン女王を演じたオリヴィア・コールマンが本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞しております。

ドロドロというよりもキレッキレの宮廷パワーゲームで、コメディとして面白いところもあれば、ひとを心底いや~な気持ちにさせるところもあり、そしてなによりアンとサラ、アビゲイルを演じた3人の女優がむたくた良かった。3人ともに主演女優級の輝き。

アンが17回妊娠したが死産または子が早逝したこと、サラとアビゲイルが女王の寵愛をかけて争い、その裏に政党の覇権争いがあったことは史実のようですが、ほぼほぼ女性3人のあの手この手で見せきるところが面白いし、3人のうち誰一人として「いいひと」でないところも痛快だった。没落貴族で親に賭博のカタにドイツ人に売られたアビゲイルは、文字通り背水の陣で自分の地位回復を狙っているし、そのためには猫もかぶるし毒だって盛る。歯に衣着せぬ物言いこそ愛情だというサラは、肉体のうえでも精神のうえでも一発殴ってから抱きしめて相手をコントロールするっていう、力で相手を支配する典型的な強者そのものだし、女王は女王でふたりが自分の後ろに見ているものを知りながら、その愛情の砂糖をまぶした野心をもてあそばないではいられない。

サラは最後の手紙になんと書いたのか、アビゲイルはなぜ涙を流したのか、いろいろ読み解きができそうな展開なんですけど、私が心底いや~な気持ちになったのラストシーンですね。女王がアビゲイルに足をさすらせる。跪かせて。寝台に横になることを勧められても女王はそれを拒み、立っていられない、そう言ってアビゲイルの頭を掴むのだ。このパワーゲームに真の勝者はいない、そう思わせる。

衣装が一貫して白と黒を基調にデザインされていて、それがめちゃくちゃよかった。ゴージャスさは失われていないのに、どこか虚無的な雰囲気もあって。アビゲイルを演じたエマ・ストーンの、野心の牙むき出しで迫ってくる芝居もよかったし、サラを演じたレイチェル・ワイズがもう、もう、これが…恋?ってなるぐらいカッコよくて美しくて、あのレースの眼帯とかほんと…こっちのハートを串刺ししすぎ…って思いました。オリヴィア・コールマン本当にすばらしかったなー。病気のせいで身体の自由がだんだんきかなくなってくるんだけど、その表現の繊細さと的確さもすごいし、何でも持っているのに何にも持っていないという孤独を煮詰めたような彼女の心情が浮かび上がってくるのがほんとうにせつない。

そういえば、これ3人ともに嘔吐のシーンがあるんですよね。ヨルゴス・ランティモス監督作品拝見するの今作がはじめてなんですけど、そういうフェティッシュがあるひとなのかな。

「世界は一人」

初日に拝見しました!岩井さん初の音楽劇、初のプレイハウスで錚々たる布陣のキャスト。しかし、とうとう大劇場に進出!みたいな感じは私の中ではあまりなくて、シアターイースト(ウエスト)から続いている道を歩いていたらここに出た、という感覚で観ていました。

実は、というか、いやもうこのブログで何度も書いてるんだけど、私は音楽劇を非常に苦手としていまして、まだ音楽に全振りしたミュージカルのほうが食いつけるんですよね。たぶん自分の中の音楽を受け入れるスイッチがむちゃくちゃ固いんだと自己分析しているんですが、どうなんだろう。なので今回もキャストは大好きだし岩井さんの新作だしもうむたくた楽しみ!という鼻息荒い気持ちと、いやしかし音楽劇かー!という苦手意識のマリアージュな感じで開演を迎えました。

鉄鋼で栄え、その繁栄ゆえに環境を汚染し、汚染ゆえに衰退した街の同級生三人。汚染された汚泥は浚渫工事によって浄化されたけれど、その汚れた汚泥はいったいどこへいったのか?どんなひとの人生にも必ずあるだろう、浚渫しきれない汚泥はいったいどこへ行くのか?

観ていていちばん驚いたのが、むちゃくちゃ「松尾スズキ」を感じる作品だったんですよね。松尾さんの作品に似てるということではなく(そういう部分ももちろんあるけど、キレイとか、業音とか)、「松尾スズキ」という人を感じさせる芝居というか。岩井さんの今までの作品を見ていて松尾さんの作風に似てるなんて思ったことなかったので、そこはすごく新鮮でした。岩井さんの作品にあった「世界」に対する「自分」というところから、言ってみればインナーワールドからインナーが取れた作品を描くとこうなるのか!という面白さがありましたし、描かれる世界のイレギュラーの数々のパンチ力がときどきクリーンヒットして痛さに唸る、みたいなのを繰り返した2時間10分だった気がします。

主人公の語っていることは当然ながらその人物から見た世界であって、違う方向から光を当てるとまったく違う側面が見えてくるっていうことを、決して大仰な演出ではなくさらっと展開して見せていくところが岩井さんの凄さだしこわさだよなーと思いました。自分の妻に執拗に「間違ってるよ」と告げるシーン、あそここわかったなホント…。

音楽スイッチがガチガチに固い私ですが、最初は一瞬戸惑ったものの、前野健太さんの「音楽力(おんがくぢから)」が強力なおかげで割と早い段階から「あっ音楽!」と構えてしまうことなく台詞と歌を地続きで受け止めることができてよかったです。加えて松さんや瑛太くんの歌のうまさ、松尾さんのチャーミングさが世界に入っていく手助けをしてくれてた感じでした。

そう、松尾さんてほんと、チャーミングですよね。かなり抉られる展開が続く中でも、松さんと瑛太くん、そして松尾さんの3人のチャーミングさにずいぶん助けられましたし、あと平原テツさん菅原永二さんの力も大きい!岩井さんの文法を熟知してらっしゃるというのもあるけど、性別を意識させない立ち位置に立つのがうまいですよねおふたりとも。

ハイバイドアが大きな劇場になって進化してハイバイハウスみたいなセットになっていて、これが機能的で動きもあり様々な見立てもありですばらしかったです。ドアとベッドを設えるだけでいかようにも世界が広がるんだなというのを目の当たりにした感じ。劇場が大きくなると演出のサイズ感があってない、みたいなことになりがちですけど、全然そんなことなかったなあ。自分の座席が異様に見やすくて、むちゃくちゃ芝居に集中できたのもあり、終盤のとあるシーンで突然涙が突き上げるようにこぼれたりしました。最後にまた同じ構図に帰ってくるところ、私の好みすぎる~!これからの岩井さんの作品がますます楽しみです!

「二月大歌舞伎 夜の部」

当初は観劇スケジュールに組み込んでなかったんですが、初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言ということで、これ以上ないという顔ぶれに演目。むりやりスケジュールを空けて夜の部を拝見してきました。

「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」。吉右衛門さんの熊谷直実を拝見するのはたしか2回目です。歌舞伎座新開場のときに相模が玉三郎さん、義経仁左衛門さんの顔合わせで拝見してます…って今書いててもビビる顔ぶれですね。さよなら公演と新開場のときちょっと御馳走が続きすぎてマヒしてた感じありますよね。

吉右衛門さんの舞台をそれほどたくさんは拝見していないんですが、この熊谷陣屋がいちばん好きかもしれない。やっぱり、役者としての器が破格に大きいので、その器に満々と情が湛えられている、それがあの「夢だ、夢だ」であふれてくる、そこまでの緊張感とカタルシスがやっぱりすごい。

たしか映画の「わが心の歌舞伎座」でも、吉右衛門さんのこの熊谷直実の引っ込みのところが選ばれていたように記憶しているんだけど、あの一瞬でこちらの感情を一気に高めてしまうあの力、ほんとなんなんでしょうね。

相模の魁春さん、弥陀六の歌六さん、藤の方に雀右衛門さん、義経には菊之助さんと文字通り役者が揃っていて最高級の一品、という感じでした。

「當年祝春駒」には曽我五郎で左近さんがご出演。曽我兄弟ものはこういう趣向の演目もああるんだなあ。

追善演目の「名月八幡祭」。尾上松緑さんご自身も以前思い入れのある作品とブログで書かれていて、しかも今回は美代吉に玉三郎さん、三次に仁左衛門さんが出演されるという。これはどーしても見ておきたかった!

田舎から出てきて堅実な商いで身を立てている商売人が芸者に入れあげ悲惨な末路をたどる…というと、かの「籠釣瓶花街酔醒」を彷彿とさせる筋書ですが、それだけ「よくある話」でもあったんでしょうなあ。籠釣瓶が大大大好きな私ですから、この演目は初見でしたけれども「好きに決まってるやん…」という感じだった。後味悪い終わり方が好きというわけではないんですけど(もちろん嫌いじゃない)ここまでいったら命とるしかねえだろ!というところまで人を描いているのに、最後だけ安易にハッピーに持っていくのが苦手っていうところの方が強い。

とはいえ、名月八幡祭のやるせなさは、たとえば籠釣瓶なら八ツ橋にも「実」があるわけですが、美代吉には新助に対する「実」はないのだね。それは、百両こしらえてやってきた新助に対する美代吉のこの台詞でわかる。「田舎のひととは口もきけやしないねえ」。美代吉や三次からしたら、この新助のマジ具合にシラけちゃった、てなもんである。片や文字通りすべてをなげうっているのにである。確かに悪気はない。悪人ではないかもしれない。でも正直、悪気があったほうがナンボかマシである。悪気はない。悪いことをしたとも思ってない。だから同じことを、なんどでもやる。

新助は新助で、いけないいけないとわかりつつ、ブレーキの効きの甘い人間だというのがよくわかるので、美代吉と新助はまあどうやってもうまくいくわけがない、というのが観客にはビシバシ伝わってくるところがまた、最後の悲劇を予感させてつらい気持ちになるところですね。あの殺しのあとの、小判に映る光で新助の顔が照らされるところ、ぞっとする美しさに満ちたいい場面。歌舞伎を観ていると本当に「殺し場の美学」というものを手を変え品を変え味わわせてくれるなーと思います。

玉さまの美代吉、文字通り絶品でした。美代吉は美代吉で空虚な部分もあるキャラクターだけど、そこに美しさを満々と注ぎこむ玉さまがすごい。ひとつひとつの所作、言葉遣い、この人にあんなこと言われたら全財産なげうつ、とも思うし、同時にあんなふうに裏切られたら、もう命のやりとりをするしかない、とも思わせる。また、その彼女の空虚さにうまいこともぐりこんだ三次の蛇のようないやらしさを、これでもか!とキメッキメで美しく見せる仁左衛門さまのすごさよ…。さいあくだ!と思うと同時にでも最高にうつくしい!とも思わせる、歌舞伎まじで奥が深すぎる。

松緑さんの新助、実直さももちろんですが、そのいちどタガが外れたらえらいことになりそう、な人間像が実を結んでいてよかった。うたた寝をする美代吉に自分の羽織をわざわざかけるところ、きゅんとくると同時に、彼の奥が見える場面でもあるよねえ。魚惣の歌六さんがこれまた絶品。歌六さんのあのうまさって…何!?もう、最近どんな演目で見ても「う、うまい…」しか言えない病気にかかっているおれだよ。藤岡の殿さまが梅玉さんなのも、これまた抜群の説得力。ほんとうにこれ以上ないという顔合わせだったのではないでしょうか。観ることができて本当によかったです!

「Le Père 父」

キャストがなかなか魅力的な布陣で、何しろ橋爪功さんが主演というんですからこれは見ておきたいなと。個人的に現代演劇ではいま日本でいちばん芝居がうまいひとのひとりだと思っております。

フランスで2012年に初演された作品ですが、まさに洋の東西を問わずというか、日本でももはやこの問題に向き合わないで済むひとはいない、という介護の問題。この作品では認知症を発症した父の視点からあらゆるシーンを描いているんですが、時間軸も空間軸もゆがんでしまう、ゆがんでしまうというか、「フリー」になって様々な物事の連続性が喪われてしまう主人公の世界。ある種のおかしみを見せつつ彼と家族をめぐる物語が展開していくんですが、認知症となったその人物の寄る辺なさに寄り添うというか、観客が彼の「中に入る」ような感覚が味わえるのがまずすごい。

とはいえ、年老いた父親に向き合う娘の気持ち(やっぱり自分の心情はそりゃこちらに寄りますよね)を思うと「うおーーーもうむり!!」ってなる瞬間が何度もあったのも事実。わたしは彼が娘二人を較べて、今自分のそばにいる娘を「お気に入りでない方」と呼び、「お気に入りの娘」の話をなんども繰り返すのがマジでみぞおちが冷えたし、自分が彼女の立場だったらもうこの時点で何かを諦めるよなと思わないではいられなかった。「お気に入りの方の娘」が今どこにいるか、は自然と観客にわかってくるようになるのだけど、だからといって自分がそこをゆるせるようになるかはまったく自信がない。

セットの組み方が変則的で、それがシーンごとにうっすらと、ひと刷けひと刷け塗り重ねられていくように変貌していき、最後にはすっかりちがった風景になっている、というのが実にスリリングで最高でした。

橋爪さん、おかしみのある、とはいえなかなかの性格をした「いやな老人」そのものでもあり、しかしながら哀れみを感じさせる…という文字通り匠の技。うまい。リアルである、というのとはまた違ううまさ。若村麻由美さんと壮一帆さん、お二人が似てるわけではないのに、表裏一体みたいな見え方をしたのがすごく面白かったです。今井朋彦さんは台詞の立て方もさることながら、身のこなしが美しい!いい役者ぞろいでないと鑑賞するのにキツい作品ですが、いい役者ぞろいだからこそ倍身につまされる…というお芝居でございました。

「アクアマン」

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ジャスティス・リーグで初お目見えだったアーサー・カリーさん、アクアマンの単独映画。ワールドワイドボックスオフィスではDCEUシリーズ最大のヒットとなっております。監督はジェームズ・ワン

名前の通り海洋冒険ものではあるんですが、むしろ設定は神話や貴種流離譚の王道中の王道を行くという感じ。人間との間に生まれた子、親との別離、宝具を示す地図、試練…。海底世界はその神話世界部分を担っているので、「海の底にも都はございましょう」(話が違う)のとおり、想像と空想大爆発の魅惑的な「海の冒険」を楽しめるのがいいし、「それを手にしたものが真の王となる」トライデントを探す旅はさながらインディ・ジョーンズの如し。海の世界、陸の世界、それぞれに話が飛んで、しかも行く場所行く場所で「おっぱじめやがったな!」みたいなアクションシーンが続くので、ともすれば大味になりそうなところをぎりぎり踏みとどまっているのがすごい。踏みとどまれているのは登場人物たちの関係性については地に足のついた描き方にしているからかもな~と思いました。中でもアクアマンとブラックマンタとの因縁、アーサーの父と母とのロマンスに説得力があって、その初速が物語をうまく転がしてくれてたなという印象。

人間の世界で育った豪放磊落なお兄ちゃんと、帝王学を身につけさせられた生真面目(いやあの子まじめだよね…)な弟という構図、あの決闘の直前に兄弟の会話があって、そこでちょっとほだされるオーム、ちょろい!ちょろQか!と思いました。参謀には離反されるしなんか個人的にあの子憎めないんですけどー!ってなったよね…。いやほんとアメコミ界での兄弟喧嘩は文字通り世界の終わりに直結するから…皆自重して…。

物語が陸から海、海から砂、と移動していって、それぞれなんとなく物語を推進するカギとなるエピソードがあり、一瞬物語の流れが停滞しそうだな?という匂いがすると同時にドガーン!とアクションシーンが始まるので、ほんといわゆるトイレタイムがないです。それぞれ戦い方のバリエーションが豊富で陸と海で見せ方もちがうので飽きないし、中でもシチリアのブラックマンタ戦はむーちゃくちゃよくできてましたね。アーサーとメラそれぞれが能力ガチンコ披露で渡り合うし、遠景から近景のショットへつなげるところも見応えあったなー。海の生き物と一緒に海中を散歩する、なんていう誰でも妄想するような優しい世界から、甲殻類がハサミを振り上げ蛸が打楽器をぶったたく乱打戦まで、アイデアに満ちた展開が続いて見ごたえありました。

アクアマンのジェイソン・モモア氏、むちゃくちゃはまり役。かっこいいんだけどそれ上回る愛嬌があって魅力大爆発でした。オームのパトリック・ウィルソンもよかったね…酷薄そうな風貌なのにちょっと押すとちょろさが出てきちゃう甘さがあって、これ続編でお兄と共闘とかするようなアレになったら爆発するぞ!(何が)と思いました。ウィレム・デフォーが出てるの知らなくて、バルコ役で出てきたときもびっくりしたし、さらに若い頃のつるんとしたデフォーまで拝めたのでびっくりの二乗。ありがたい。ありがたい。最近の技術はスゴイデスネ。

惜しむらくは見ている間異様にトイレが近くなってしまって、終盤膀胱との戦いにリソースを割いてしまい若干集中力を欠いた…ってことでしょうか。いつも気をつけて水分とらないようにしてるのになー。海中映画だから?関係ある?そういう意味ではもっかいリベンジしたい気持ちもありつつ、とはいえこの後見たい映画が続々公開されるので悩ましいところです。

「ファースト・マン」

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「人類で初めて月に降り立った男」ニール・アームストロングの物語。主演ライアン・ゴズリング、監督はデイミアン・チャゼルの「ラ・ラ・ランド」コンビ。

映画「ドリーム」でも描かれたように、この頃のアメリカの宇宙開発への執念は、常にソ連に先手を打たれていたということが背景にあり、「二つの大国が宇宙を舞台にしのぎを削った」時代の、まさにそのど真ん中を描いています。アームストロング自身の自伝を原作としており、基本的にはすべて「実話に基づいた物語」というやつです。

twitterで見かけた感想に、これは戦争映画だよねと書かれているものがあって、そう、そうなんだよな、これはまさしく米ソ二大強国の代理戦争であったんだなと。莫大な予算がつき、ひとが死んでも、なお止まることのなかった(止めることのできなかった)戦争。実際、ソ連が崩壊したあとは宇宙開発からも退き(セルジオ&セルゲイでも描かれてましたね)、このアポロ計画を最後に月面への有人飛行という計画は一気に予算削減の波にのまれていってしまうんですもんね。

アームストロングに幼くして失った長女がおり、その喪失がアームストロングの深いところに根付いているという表現や、しばしばわかりやすいヒーローもののように単純化して描写される「宇宙飛行士」という職業の、現実の苛烈さを余すところなく描いているので、特に閉所恐怖症のひとは寿命が縮まる思いをするシーンが沢山あるのではないでしょうか。私はもう、あのアポロ1号の訓練中に発射台でおこった火災事故、あれがもう…あんまりだ、というにも程があってさすがに心を削られました…。あんなにも「できることがなにもない」中に放り込まれるものなんだな、と思いましたし、あの揺れ、視界の狭さ、身動きのとれなさ、とにかく「ままならなさ」が画面からぐいぐい押し迫ってくる。そのリアリティはすごいものがあります。記録映像で繰り返し見たことのある、あの月に降り立つ映像や、「この一歩は小さな一歩だが人類にとっては偉大な躍進だ」という有名な台詞、そういうものの前に、ここまで小石を垂直に積み上げるようなトライ&エラーがあったことを、私はまったく想像したことがありませんでした。母船から離れ、月に降りる、それがどれだけ困難なことなのか。

だからこそ、ついにあのハッチの向こうに月面が表れた瞬間の感動、感動というか、ほとんど「そらおそろしさ」はたとえようがない。この瞬間のまさに「静寂」と「荒涼」の圧倒的な力、震えました。あの瞬間を味わえたという一点でこの映画のことを好きになってしまいそうです。それまでの、計器の音、鉄がこすれる音、警告音、そういった人為的な「音」に取り囲まれたあとの、あの瞬間。

EXPOのレーザーIMAXスクリーンで見たのですが、月面での映像の多くがフルスクリーン仕様になっていて、ことのほかすばらしかったです。遠路はるばるここまできてよかった…と心底思いました。

ライアン・ゴズリングのどこか透徹したような雰囲気が「どんな時でもクソ落ち着いていた」っていうアームストロングの人となりに説得力を与えていた感じありました。失敗できるときに失敗しないといけない、っていい言葉ですよね。クレア・フォイもよかったな。あの飛行前に夫に自分が戻ってこないかもしれないことを子供たちに伝えていくべきだ、ってシーン、印象的でした。オルドリン役のひと、どこかで見たな…?と思ったらアレですね、アントマンのダレンでしたね。っていうか似てますよねご本人に。

しかし、月面に星条旗を立てるシーンがないといって騒ぎ立てるのは正直まったく理解できない感じですね。そういうことじゃないって映画見たらわかるやん!?と思いました。いやしかしそれだけ、このアポロ11号の成し得た「偉業」がアメリカという国のアイデンティティのひとつってことなのかもしれない。それをこれだけパーソナルな物語に描ききったチャゼル監督はやっぱりただもんじゃない気がします。

「帰郷」

挟み込みのチラシの中に福岡県人会の案内があって笑いました。福岡強い。入江雅人さんの作・演出で、地元福岡出身の役者が「福岡弁」で演じる舞台。なにしろキャストが「食いつかないではいられない」という顔ぶれを揃えていて、まんまと食いつきました。さらにチラシのイラストは松尾スズキさんだし、いのうえひでのりさんがコメント出してるし、福岡、強い。

以下ネタバレ含みますので福岡公演ご覧になる予定の方は回避でおねがいします!

もとは入江さんの一人芝居のレパートリーとして上演されていたものだそうですが、そちらは未見です。若さと無謀と夢とガサツを煮込んだような青春をすごしたかつての仲間たちとの「あの頃」と「今」を描く芝居ですが、そこに「ゾンビ」という要素をぶっ込んでくるところが面白い。

見ていて思い出したのはゾンビものの傑作「ショーン・オブ・ザ・デッド」、あと近年の作品だと「新感染」もちょっと要素を感じたかな。ゾンビ要素ありとはいえ、そこは元がひとり芝居なのでスプラッタを見せる方に特化しているわけではなく、あくまでも「人類にとってきわめて極端な状況」としてのゾンビなのだなと。

一人芝居のほうは未見なれど、これおそらく、ラストはもともとは2人だったんじゃないですかね。一人芝居だから当然そうなるっていうのもあるけど、個人的にはラストは2人のほうがよりドラマが濃厚になったのではないかって気がした。もとの5人組からひとり抜けていて、その抜けたひとりは終盤のワンシーンで別の存在感を用意されているので、4人で海に向かうあのせつなく、たのしく、そのたのしさのぶんだけかなしいドライブの末に、離脱するひとがいてもよかったのではないかなと。お互いに相手の中に夢を見たことがある、そういう友人に向かって引き金を引くという、文字通り極端な状況だからこそ、あそこはふたりで迎えて欲しい感がありました。

全編ナチュラルボーン福岡弁なひとの喋る福岡弁でのやりとりですが、意味が通じない、ってことはほとんどなかった気がします。オーディション会場でいきあったふたりが待ち時間に交わす「福岡あるある」とでもいうべきやりとりがいちいち鋭角で面白くて、とはいえこのシーンの楽しさは福岡の人がいちばんわかるんだろうなー!って思うと若干くやしかった(笑)このシーン福岡公演でどんな感じになるんだろうな。めっちゃウケるんだろうなあ!

「シゲちゃん」を演じた池田成志さんがいやもうさすがとしかいいようないすばらしさ。うまい、うまいし、うまいだけじゃない稚気もあって、この芝居を支えてらっしゃいました。学生時代の夢からどこか抜けきれないモラトリアム中年みたいな部分も見せつつ、変貌してしまったあとの芝居の確かさに唸りつつで、観た甲斐あったなー!と思わせてくれました。坂田さんも田口さんも間違いのないキャラの立て方で存在感があり、またこの「青春5人組」のなかでひとり尾方さんがちょっと違和感のある佇まいなのがねー、すごくよかったです。岡本麗さんもふくめて、やっぱり思わず食いついちゃうだけのキャスト陣だけあるよね…うまい人しかいない舞台はそれだけで幸せな気持ちになるよ!