「壽 初春大歌舞伎 夜の部」

「絵本太功記」。観たことある気がする…と思いながら観ていたんですが、おっとどっこい初見でした。いやもう観たものを忘れるだけじゃなく観てないものを観た気にさせるから加齢こわい。吉右衛門さんの光秀、なんというか途中まではね、その器に何が入ってるのかわからない、向こうが見えない感じの存在感なんだけど、それが十次郎との今際の際のやりとりで「あっ、この器にはこんなにも満々と水が湛えられていたのか」とわかる、気づかされる、それをほんとに一つの仕草一つの台詞で伝えきる、っていうのがいやまじ、すごいなと。歌舞伎というものを体現しているかのような在り様ですよね。東蔵さんの皐月、歌六さんの久吉とぶ厚い布陣で見応えがありました。幸四郎さんの十次郎と米吉さんの初菊、かわいらしいカップル。私のうしろの席から「(十次郎を)染五郎かと思った…」「いや染五郎でしょ?」「いや今の染五郎じゃないでしょ」「ああそうか」「やっぱ似てるよね」という声が聞こえて、美少年のお父さんは美少年にまだまだ負けてませんぞ!と思いました。

「勢獅子」。正直、鷹之資くんばかり見ていた私だ。好き。もうこれは、好きです!(突然の告白)。後ろで控えてるときの姿勢や所作、すみずみまでぴしっと音がしそうにキマっていてんもうずーっと見ていられる。獅子舞すばらしかったね。福之助くんとのコンビよかった。踊りのうまいひとの後ろ足って、もう足だけでずーっと見ていられるな…(2回目)と思いながら観ていました。しかし私はなんでこう歌舞伎については踊りのうまいひとにコロッとしてやられるのであろうか…。

「松竹梅湯島掛額」。猿之助さん、幸四郎さん、七之助さんが顔をそろえるなんてー!ということで楽しみにしておりました。しかしもっとドタバタ喜劇的なものを予想していたけどそこまでドタバタでもなかったな(猿之助さんがお正月の中継で「すこし整理をして」と仰ってたのもあるのかな)。幸四郎さん、今月は昼の部も夜の部も女を泣かせる(not比喩)役しかやってない。またそれが似合っちゃうからさすがですね。猿之助さんの愛嬌は天下一品だし、やっぱりこの人が出てると観客の視線がしぜんとそっちへいってしまう。スターですなあ。七之助さん、圧巻の人形振り。観客を引き込む引き込む。いいもの見させてもらいました。こういう趣向を「人形振りという趣向でお見せします」と宣言してからたっぷり見せてくれるところがまた歌舞伎のすごいところですね。個人的には、抜群のコメディセンスを持った方が打ち揃っていたので、笑いの部分を磨きに磨いた演目とかも見てみたかった気がします。

「スリル・ミー」

初見です~。成河くんと福士くんのペアを観てきました。ブリーゼ、文字通り満席中の満席。2階の最後列からの観劇でした。

仮釈放委員会での「私」の語りから始まる導入部と、「彼」が出てきてからのやりとりで、あれっこの話、クリミナルマインドで似た構造のやつ見たな?と思ったんですけど、たぶん基にしているのは実際のレオポルドとローブ事件のほうなんでしょうね。成河くん演じる「私」の肥大した自意識があまりに濃厚だったので、これはひょっとして非実在彼みたいな展開…?と思ったんですけどそんなことなかった。うがち過ぎた。てへ。

ミュージカルなので、もちろん歌が介在するんだけど、それよりも「メロディに乗せた語り」という印象が強い。共依存というよりは、捕食者と被捕食者といった佇まいのふたりだけど、その様相が終盤一気に貌を変えていくのが物語のキモという感じです。シンプルだけど力強い照明がすばらしかったな。あの二人の顔を細長い明かりが照らすところ、仮釈放の場面、「私」が自分たちを鳥かごの中の鳥になぞらえるときの奇妙に清々とした光…。

ただ、彼らの起こす「事件」があまりに凄惨極まりないので、いや殺人そのものよりも、10歳の子を誘い出すそのさまを1曲まるまる歌われるという展開はけっこうダメなひとにはダメだろうなあという感じがしました。あの1曲は私でもキツい。「彼」の家庭での鬱屈も、それに引っ張られる年齢は私はもう過ぎてしまったな…とこういうときしみじみ思います…。

成河くんさすがに達者な芝居、福士くんの酷薄そうなのにどこかに甘さがある「彼」とよいコンビでした。人気のある作品なのも頷けるし、いろんな組合せを観たくなるやつだよな~と思いましたし、自分で妄想キャスティングとかもやりたくなっちゃいそうな感じありますね。

「クリード 炎の宿敵」

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1作目の「クリード チャンプを継ぐ男」がむたくたよかったので、続編公開も楽しみにしておりました!監督はライアン・クーグラーからスティーヴン・ケープル・Jr.にバトンタッチ。主演は勿論引き続きマイケル・B・ジョーダン!以下今作だけでなく1作目のネタバレもぽいぽい出てきますので未見の方はお気をつけください。

クリード」の続きでありかつ「ロッキー4/炎の友情」のまんま続きなので、この2作を見ていた方がよりのめり込める感じはありますが、見るひまない!というひとはあらすじだけでもさらっておいたほうがよい、というぐらいには前作を意識した構成です。自分の父であるアポロ・クリードをリングで殺したイワン・ドラゴ、セコンドにつきながらタオルを投げることができなかったロッキーという因縁と、ロッキーに打ち負かされたことで辛酸をなめることとなったドラゴとその息子、そして父を殺されたアドニス…という因縁が絡んでくるっていう。いやしかしまさかロッキー4がこんな形で因業因縁渦巻く歴史の基となるとはって感じですね。

私は前作であの有名な(もはや、映画を見ていない人でもこの曲は知っている、というぐらいに浸透した)「ロッキーのテーマ」を、待って待ってあの終盤のここぞ!という場面でぶちかましてきたクーグラー監督の手腕にめろめろんになりましたし、実際あれ、初見のときほんと思わずあそこで立ち上がりそうになったんですけど、今作もそういう場面的なカタルシスの作り方はわりと前作を踏襲している感じがあります。テーマ曲の使い方も、2度目なので前作ほどのうおおおお!感はないものの、その代わりドラゴ親子を丁寧に描写することで物語の面白さが増した気がする。

極論を言ってしまえばさ、アドニスがただ負けて終わる、みたいな展開なるわけないわけで(しかも対戦相手は父を殺した男の息子)、だとするといわゆる「敵側」をどう描くかってのはむたくた重要じゃないですか。今回私がいちばんすごいなと思ったのは、アドニスはヴィクターに勝って言ってみれば父の仇をとる形になるのと同時に、イワン・ドラゴはあのときロッキーがアポロにできなかったこと成し遂げる、という構図になるのがほんとうにすごい。彼らが自国で受けた鬱屈を丁寧に描いているからこそ、最後の最後に人間性をみせるあの展開!唸りました。

ボクサー虎の穴でのトレーニングとかぎりぎりでトンデモになりそうなところをなんとか踏みとどまった感もありつつ、そのトレーニングを含め前半と後半でヴィクターとアドニスが何かを得たり逆に失ったりが対比して描かれてるのもうまかったですね。あと、これは前作もそうでしたが、ビアンカアドニスのお母さんも挑発に乗ることには慎重でも、一度決めたら絶対勝ってこい、って強さがあってかっこいい。時にアドニスを突き放したり、必要とされる時にはちゃんとアドバイスをしたり、自立した女性だなあという感じ。

あとはまあ、なんといってもマイケル・B・ジョーダンの魅力ですよね。ほんと、レッドカーペットとか普段のインタビュー姿とか見ててもキュートな人だな、と思うんだけど、画面の中のかれはもうキュートだったらそのキュートさ倍増だし、超弩級にセクシーだし、いやーほんと眩しいくらい輝いとるわ…と思いました。そういう彼の姿をスクリーンで見る、というだけでもこの映画の価値がある、というぐらいの圧倒的なスター性。スタローン演じるロッキーもだんだん好々爺な感じが出てきて、あのプロポーズのアドバイスをもらうシーンとかによによしちゃいましたよね。クリードの続編として手堅く、かつロッキー4から綿々と続く人間ドラマの集大成を堪能させてもらいました!

「壽 初春大歌舞伎 昼の部」

新春らしい出し物が揃いました~。まずは芝翫さんと魁春さんの「舌出三番叟」で幕開け。舌出三番叟、たしか鴈治郎さんと壱太郎くんのを松竹座で観たような。三番叟ものはどれを観てもわりと楽しくて好きです。続いて「吉例寿曽我」、福助さんに芝翫さん、児太郎さんが揃ううえに七之助さんもご一緒、これはちょっと見ておきたかったんですよね。昨年の9月の復帰から4か月ぶりの福助さんですけど、貫禄もありお声の艶もあり、芝翫さん七之助さんの曽我兄弟と相対峙するところはかなりぐっときました。舞鶴の児太郎さん、ほんとここんところ観る度魅力増してるなあ。

「廓文章 吉田屋」、伊左衛門を幸四郎さん、夕霧を七之助さん。七之助さん、昨年の揚巻に続き大役が続く!幸四郎さんは襲名でもおやりになってましたっけね。ホントこういう役お似合いになる。七之助さんの夕霧、出の場面からこっちキマるたびに客席のため息がもれる(具体的にもれてる)美しさ。あっここで終わり!?って感じで一気に大団円になるの不思議な感じですね。実際には若くして亡くなった夕霧を物語の中では幸せに…っていうのが、AUものってやっぱりみんな大好きなんだな!って思っちゃいますね。

白鸚さんが久しぶりにおつとめになるという「一條大蔵譚」。最初に拝見したの勘三郎さんの襲名の時だったかな。わりとよくかかる演目で、最初に見たときいまいちぴんとこなかった私は「みんな大蔵卿好きやな~」と今まで思っていたんだけど、今回の白鸚さんの「一條大蔵譚」、めちゃくちゃツボでした。阿呆と本性の変わり身が、面を付け替えるような感じではなくて、どっちも同じ人の中からわいてでてるもの、みたいなシームレスな感じがしたのがよかったのかもしれない。いわゆる「ナメてたおっさんがメッチャ強い」パターンで、古今東西の別なくみんなこのパターン大好きだよねって感じなんだけど、シームレスなのに爽快感が強いのも自分のツボにはまったところかも。鬼次郎の梅玉さんもよかったな~。あと源平不絡みの話のときに名前の良く出る小松殿(重盛)、絶対いいようにしか言われないので重盛好き(大河ドラマで演じたひとがいずれもご贔屓)としては勝手にほくそ笑んでいるポイントです。

「罪と罰」

ひさびさのシアターコクーン。勝村さんが「罪と罰」のポルフィーリーをやるってことでそれは観ておかんと…!と思って足を運びました。

いやー正直、長丁場だし、観念的な台詞は続くし、かなり演劇体力を試される4時間弱。あ、もう、いいや、と途中で心が折れるとあっというまに取り残されるやつやな…と思いながら観ていました。キャストもうまい人を揃えていて、うまいだけでなく華もあり申し分ないのだが、いわゆる舞台上での「横方向のボール」ばかりで、こちらに対する「縦方向のボール」がない。こっちから必死になって舞台上で起こっていることの意味や面白さを拾っていかなきゃいけない感じなので、もしこれを私が高校生のときに観ていたら、たぶんドフトエスキーも演劇も退屈だった、という烙印を押しかねないな…と思ったり。

ああいった猥雑な雰囲気の舞台美術で、混沌としたさまを見せつつ長丁場を見せきるのであれば、どこかに突出したエネルギーが欲しかった気はします。個人的にはどこをつかんでよいかわからぬままに一幕が終わってしまった感じがあってこれはこのままだとヤバいな!?と思ったんだけど、二幕は最初から波に乗って見られたので何とか岸にたどりついた…という感じ。

勝村さん、かの「刑事コロンボ」を彷彿とさせるというか、淡々としながらいつのまにか手錠をはめられてる、みたいな佇まいだったので、ちょっと意外だったな。もっと「ホトケもホシもいただき」とばかりにネチっこくくるタイプのポルフィーリーを予想してた。朴訥の仮面をかぶったヘビもこれはこれで好き。春馬くん、ほんとこれ大変だろうな…!体力的にも心情的にも相当な重労働と思われる。でもこういうのやりきった役者さんてぜったい演劇体力が格段にあがったりするもんね。

最近のコクーンの演目立てにあまりときめかなくなってきてしまったところもあるんですが(こんまり論法)、やっぱり渋谷の雄ですし、ここらで新規芸術監督をドーンと迎えて新機軸を打ち出してほしいななどと思う今日この頃です。

「トロンプ・ルイユ」パラドックス定数

  • シアター風姿花伝 全席自由
  • 作・演出 野木萌葱

観ている間、ああそうだ、私こういう芝居が好きで劇場に通うようになったんだった…としみじみ原点回帰の想いにふけりました。めちゃくちゃ面白かったです。惜しむらくは上演期間がねー!短いので、もう千秋楽を迎えてしまっているというところ…むねん…もっとたくさんのひとに見てもらいたい…。

舞台は地方競馬場(丸亀、と地名が出ていましたので架空なんだよね、丸亀に競馬場…ないよね?)、そこにやってくる片や16歳馬、片や故障を抱えたサラブレッド。人それぞれ、馬それぞれの人間模様…人馬模様?を描いていく物語です。

小劇場で、馬を題材にしているのだから、当然ですが人間が馬を演じます。しかしこれ、擬人化というのともちょっと違うと思うのよね。馬をヒト視しているわけではないのよ。馬は、馬なのよ。なので言ってみれば「ヒトを馬に見立てている」って感じなんですよ。演劇とは見立てることである、って誰かも言ってましたね。その「見立て」を示す記号として、登場人物6人の衣装のネクタイにホルダーがついており、そこにリードが繋がれると「馬に見立てられた」とわかる仕組みになっている。馬主、調教師、調教助手、厩務員、予想屋…競馬場を「HOME」とする人たちが、それぞれ逃げ馬、差し馬、サラブレッド…地方競馬に集まってきた「馬」5頭も演じていく。その人馬の組み合わせは変わらない。

馬同士の会話が実にエッジが効いているというか、どれもこれもツボにはまって面白く、最初は「見立て」に戸惑っていた観客の心の壁をガンガン破ってきてくれた感があった。サラブレッドがやってきてそっちにご執心になる調教師が面白くない差し馬ちゃん、よかったなー。レディだけどおっさんだからなー!っての好きだった。馬頭観音にもめちゃくちゃウケてしまった。出自をハナにかけてるけど実は誰より孤独、なサラブレッドに懐いちゃうシャイな馬もかわいかった。あとみんな大好きカミカゼバンチョー。最高か。バンチョーは馬でも人でも最高に男前すぎてまじ人馬もろともにめろめろんであったことだよ。

見立ての面白さ、その見立てだからこそうまれるおかしさを存分に味わえる一方で、競馬、というものにつきもののドラマをしっかり書き込んでいて、その対比が本当にすばらしかった。馬と人はもちろんどこか似ているところもあるんだけど、似ている、ではなく、その姿がぴったりと重なって見える一瞬があって、その瞬間のカタルシスがすごかったです。差し馬であるウィンザーレディが「おまえらの期待を背負って走ってやる」という場面、逃げ馬であるロンミアダイムが語る恍惚と恐怖も印象的ですが、なかでも最後のレースに挑む調教助手とロンミアダイムの場面は秀逸でした。わかってるよ、おまえがいちばんここを走りたがっていたってことは…。相手は骨折により予後不良と診断され、安楽死という道を選ぶしかなかったドンカバージョなのか、それともかれに入れ込んだ調教助手なのか。この場面に限らず、だんだんと「見立て」の記号が曖昧になっていき、きわめてシームレスに人馬が入れ替わっていくのがむちゃくちゃ演劇的興奮に満ちていて、こういう芝居…好き!!!と何度も心の中で叫びましたとも。

6人の役者さんが皆本当に最高で、あの競馬実況の場面をね、それぞれやってくださるところとかもよかったなー。やっぱり皆さんいい声ぞろい。獲得賞金を床に敷き詰めてその上で寝転んで「欲望にまみれてるんだよ~!」つってそのあとの賞金は厩舎の皆さんに全額あげちゃう馬主さんのキャラ好きでした。いつも負けて眺めてた海を2頭が眺めながらおやつ食べる?つったときの可愛らしさ、そのおやつを調教師にたしなめられた時の「しら~ん」みたいな顔の絶妙さ、椅子を組み合わせて厩舎やパドックを「見せ」ちゃうアイデア、いやもう良かった場面しか思いつかないし全部書いてたら終わらない。あいつと約束したからな、約束ってなんだ?誰かとつながることだよ…うううう(泣いている)。

どんな小さい劇場でも、小さいからこそ、世界は無限だし、この空間はどこにだってなんにだってなれるし、見立てることで無限の世界が広がるんだよってことを私は小劇場から教わってきたし、そういう自分の原点を観たような思いがしたし、なんというか、とにかく幸せな、幸せすぎる2時間でした。

1年を通してパラドックス定数・オーソドックスとして上演されてきたシリーズもあと3月の1本を残すのみとなりました。いやーもうちょっと見にきたかったけどなかなかむずかしいですねやっぱり。とりあえずフィナーレである「Das Orchester」も見に行かせていただくつもりです!

「日本の歴史」

  • シアタードラマシティ 2列27番
  • 作・演出 三谷幸喜

キャスト7人、ミュージカル、卑弥呼から太平洋戦争までの1700年を2時間半で…という三谷さんの新作。私は三谷さんの歴史ものに信頼を置いているので(だって一番好きな三谷戯曲が『彦馬がゆく』だもん)、どういうアイデアでくるのか?と楽しみにしていました。実際観劇してみて、まず浮かんだのがこの言葉。

時に古今の差なく、国に東西の別はない。観じ来れば、人間は始終同じ事を繰り返して居るばかりだ。今から古を見るのは、古から今を見るのと少しも変りはないサ。(勝海舟/氷川清話)

いや、まさにこういう舞台だったよねっていう。ちなみに私がこの言葉を知ったのは「彦馬がゆく」で三谷さんがパンフレットで引用していたからだよ!ということでこれは三谷さんの歴史観でもあるんだと思う。もうひとつ、そうそうそう!と思ったのが秋元才加さんが出てきてのたまう「歴史の勉強を暗記で覚えてどうする」的なあれ。大事なのは因果、原因の因に結果の果。そう!(力強く)私は学生時代、世界史がいちばん好きな科目だったんですが、高校の時の世界史の先生がむちゃくちゃ良い先生で、歴史上のどんな物事もそれによる作用と反作用がある、歴史はその繰り返しと語っていたのが時を経て鮮烈に思い出されました。

三谷さんの宣言通り「卑弥呼から太平洋戦争まで」の1700年を追うのと並行して、アメリカ南部の一家の一代記を重ねて描き、最後にはそれが交錯する(しかもかなり悲劇的に)という構成で、すごいトリッキーなんだけど、そうは見せないところがすごいですよね。日本史上の有名な場面が演じられると、それに類似した「現代」の場面が展開する。過去と現在の登場人物が同じ境遇に陥り、同じセリフを言う。この悩みはいつか誰かが通ってきた道、と繰り返し歌われ、時の流れはぐいぐいと進んでいく。この「とてつもなく大きなものと小さなものを同じ手のひらに乗せる」というやり方はかの名作、ソーントン・ワイルダーの「わが町」も連想されるところです。

歌のシルビア・グラブさん、芝居の中井貴一さんという「間違いない」どセンターがちゃんといること、キャスト全員ちゃんと歌えるメンバーを揃えていることもあって、安定した芝居だったな~と思います。アンサンブルとしてサッと引く時、ここは自分がバトンをもって前に出る!という時のチームワークも完成されていて、見ていて非常に気持ちが良かった。取り上げられる日本史のエピソードが、中盤までは割と有名どころなのに、幕末近くになるとかなりニッチなところを攻めてるのも三谷さんらしいなと思ったり。それにしても、中井貴一の頼朝、香取慎吾義経であの黄瀬川の再会に想いを馳せさせる…なんてむちゃくちゃ贅沢な場面でしたね。もうあそこだけ大河ドラマ感すごかったね。キャスト全員の長所を如何なく発揮させる脚本だな~と思いましたし、終盤、音がしそうなほどパリッとしたタキシードをキメて踊る香取慎吾なんてものまで観られて、いやもう成仏しそう…ありがたすぎて…とか思いましたよ。ちなみに一瞬かすめるようなウインクをかます時があって、横の女の子が文字通り「ハッ…」と胸に手を当ててしばらく硬直していたので「絵に描いたように被弾してる…!」と思いました。そういえば赤報隊の相楽はかなり局長みもあったね…三谷さんありがとうだね…。新納さんの家重も「真田丸」ファンには嬉しい役どころだったし、個人的には信長のスタイリストが最高(笑)大好きです。

もうひとつ、芝居とは直接関係ないんですけど、とあるシーンで慎吾ちゃんをトップに後ろ向きでV字のフォーメーションになるところがあって、その時の香取慎吾の背中がなんというか、すごかった。客に背中を向けて立つ、ってだけですけど、あの瞬間のかれはまさしくスターでした。何万人もの視線を背中に浴びてきた男の貫禄というか、オーラというか。ホント役者は声と立ち姿で9割決まるよね…(しみじみ)。

そういえば、つい先日見た野田さんのインタビューで、休憩時間を挟むと二幕は客がぐっとオープンになる、みたいなことを仰ってたけど、これもまさにそんな感じがしたな。ルールがわかって一息ついて、次は全力でその世界に飛び込める、って感じなのかな。個人的には一気に見せる芝居が好きなんだけど、なるほどそういう効果もあるんだな~と思いました。

INGAのダンス、楽曲もふくめてむちゃくちゃインパクトあって、最後に皆がこれで踊って終わるのもよかった。カーテンコールも楽しく、充実した2時間半でした!