大高洋夫

「そんでどこに電話しても誰もいなかったりするから、(鴻上と)2人で代々木上原の喫茶店に入ったんですけど、・・・沈黙が流れる、みたいな。で何か、喋らなきゃ〜と大高思ったわけです。そんで『そろそろ・・・腰あげたら?』ってぽっと言っちゃったんですよね。そしたら・・・・・・腰あげちゃった、みたいな(笑)。」
(VIDEO 第三舞台'81〜'91 インタビューより)



1959年6月27日生まれ
1981年第三舞台旗揚げ公演「朝日のような夕日をつれて」より第三舞台の公演全公演に参加。
TV「子供、ほしいね」「たほいや」等でも独特の飄々とした持ち味を発揮している。

文字通り、第三舞台の看板役者。主宰の鴻上さんと大学同期で、一緒の舞台に立っていたこともあるらしいです。上のインタビューでも言っていますが、第三舞台の旗揚げそのもののきっかけとなった人でもあるので、鴻上さんとの関係はやっぱり一種独特な・・・・ほかの役者とは違うものがあるような気がします。

これは勝手な思いこみかもしれませんけども、大高さんがもし第三舞台をやめたら、その時が鴻上さんにとっても「第三舞台」という集団の終わりになるのではないでしょうか。

舞台の上ではいつも飄々と、芝居全体を抱えるような役をこなしていて、それはそれで素敵だったんですけど、「ビー・ヒア・ナウ」の時に大高さんが声を荒げるシーンがあって、その迫力に惚れそうになったことを思い出します(笑)。

ちなみに「朝日のような夕日をつれて」は現在まで6回上演されていますが、6回全てに出演しているのはこの人だけです。もちろんウラヤマ役。「朝日」の冒頭、YMOの「ジ・エンド・オブ・エイジア」に乗せて踊るダンスで、センターを張る大高さんの姿こそが、私の中での「朝日」そのものなのかもしれません。

マイベストアクト  「天使は瞳を閉じて」マスター