「海をゆく者」

  • 豊橋芸術劇場 G列28番
  • 作 コナー・マクファーソン 演出 栗山民也

5年ぶりの再演、しかも初演のキャストが揃い踏みという奇跡!いやでもこの座組でひとり入れ替えとか逆に無理というか、入ってくる役者さんのプレッシャーハンパないとおもう。ほぼ60代の手練手管を積み上げた舞台役者5人だからこそ生まれる濃度!

初演を隅から隅まで覚えているというわけではないんですが、一番感じた相違点は細かいくすぐりが増えて、笑いを生む仕掛けを随所に入れる余裕が演出にもキャストにも生まれてるなあというところでしょうか。鋼太郎さんの痰をはきだすところ(そのあとの顛末)、浅野さんが酒を呷る度に見せる絶妙な表情、台詞はもちろん変えられていませんので、そういった隙間をぎっしり埋めにかかってたなーという印象です。

初演からの変化といえば、吉田鋼太郎さんがあれよあれよという間にブレイクなさって、そのおかげか今回も豊橋公演が完売というすごさ。しかしあれですね、まあ私自身がそう思ってるからかもしれないけど、最初は「わあ鋼太郎さんだ!」と思ってらっしゃるファンの方がいたとしても、リチャードの凝り固まったクソの話あたりで「マジうるせえなあコイツら…」という空気が客席に充満するような気がするのは気のせいでしょうか(でも、最後でちゃんときゅんとさせてくれるので、いってこいである)。

とはいえ、やはり再演を見ても思いましたが、私にとってはこの「海ゆく」、もう小日向文世に全部、そう申し上げて差し支えない。すごい、これからどうなるか、なにやるか知ってて観ててもかっこいい。あの、シャーキーとふたりっきりになった時のあの禍々しい声、アイヴァンの過去を聞き出すときの穏やかだが容赦のないトーン、音楽はきらいだ、と身をふるわせるときの佇まい。シャーキーがポーカーであがったあとの「私がシャーキーをやっつけてやる」「絶対に?」「絶対の絶対。」とか、だめ、もう、首かゆい(かっこよすぎて)。正直壁ドンなんかよりあの「絶対の絶対」を真正面から頂けたらそれだけで魂差し出しますぅぅ!って感じだ。

パンフでも書かれていたが、これは階段の壁にかけられてあるキリストの「聖なる灯り」が消えている間の物語であり、ロックハートがこの部屋を去った瞬間に灯りは再び灯る。それは信仰心を表しているのかもしれないし、加護を表しているのかもしれない。でも私はやっぱり、初演の時と同じように、悪魔であるというかれは、もうほとんどダメになりかけていたシャーキーの元に現れ、その人生を欲しいと迫り、それによってシャーキーにとっての自分の人生のいとおしさを甦らせる存在であっただろうとおもうのだ。そのいとおしさをシャーキーはずっと持っているわけではないだろう。いつかそんなことをも忘れてしまうだろう。ただそれでも、あの瞬間に感じた人生へのいとおしさがウソだというわけではない。

休憩時間15分を挟んでほぼ3時間弱ですが、一見どうということはないような会話を巧みに積み上げていく5人の役者はそれぞれまったくもってすばらしく、まさにあっという間の時間でした。観客の目を引きつけるのも、そらすのも、自分の存在を舞台上で大きくするのも小さくするのも自由自在の役者達の見事な仕事ぶり。期待に違わぬ2015年の舞台初めでした。