「戯作者銘々伝」こまつ座

キャストと題材に惹かれて足を運びました。この、蔦屋重三郎をはじめとする戯作者、浮世絵師たちの話って、なんか昔から心惹かれるんですよね。

物語は三途の川、一幕ではこの世を去った蔦重や山東京伝らが「銘々」に、戯作者たちの辿った運命を語ります。その死後が語られるものもあれば、伝聞で語られるものもあり、趣向はさまざま。山東京伝の「机」をフューチャーした視点とかおもしろかったなあ。

個人的に「おおっ!その話もっと詳しく!」となったのが朋誠堂喜三二と恋川春町の物語。松平定信による寛政の改革によって黄表紙は弾圧を受け、戯作者達もなりを潜めます。ところが、そこで筆を折らない恋川春町。春町と喜三二は無二の親友、共同作業でいくつもの作品をものした仲。そしてふたりとも武家の出身だった。圧力に逆らえず戯作の道を絶った喜三二と春町、ふたりの対比…。

喜三二を演じていたのが山路和弘さんで、いい声だわいい男だわ、最後の春町への語りかけとかめちゃくちゃぐっときましたもの。

二幕では江戸文化華やかかりし頃、両国の川開きでの花火大会に場面は移り、そこで出会う山東京伝とひとりの花火師の話がメインになってきます。山東京伝北村有起哉さんがやっていて、打ち上げても花火とならず、そのまま水に沈むだけの黒玉で終わりたくない、という気概と、それとは真逆の守りに入ってしまう臆病さが共存する人物像を見事に体現していました。あの、役人にさ、誰も損はしない、なぜ…!と食らいつく彼と、「いや、言うだけのことは言ったんだ…こんなものだろう」と醒めてみせる彼。役人に頼まれた「一筆」を叩き返すことのできない彼。どっちもわかるんだよなあ。

世間の動きにチクリと滑稽の針を突き立てて撓みがあればそれを正す、歪みがあればそれを笑いのうちに直す、これが黄表紙の生命ではないか、というのが、まさに今、この時代にも有効すぎる台詞で、だからこそこの作品を上演することになったのかな、なんて思ったりしました。

相島さん阿南さんのコンビに、相変わらず声のおおきな玉置玲央さん、新妻聖子さんの歌も堪能できて、ぎゅっと濃縮された良い座組でした。でもって、わかってはいても(だってあのままのわけない!と思うじゃないですか)、三尺玉の夢がふりそそぐラストは、ほんとうに、ぐっときました。