ドクロイヤー総括

さて、アカも終わったアオも終わったアカ映画も見た。まったく年明けのチケット争奪戦から髑髏髑髏髑髏の一年でありました。楽しかった。一年のイベントとしてこういう企画を立てて下さったことにまず感謝を。
さてアオの感想で「好きなのはアカ」と書いたけれども、そのあたりもうちょっと突っ込んで書いてみたい。いや、ヒマか!というツッコミは甘んじて受ける。そこを無類の髑髏好きとしてお許し頂きたい。
私が言ってみれば「97年髑髏シンパ」なことはもう言うまでもないことなんだけども、今回のアカ、アオはその97年の髑髏の二つの側面を思いっきり強調して作られた作品、だと思う。つまり「ドラマ性」と「ショー性」である。渋い黒澤映画、を指向したアカは髑髏城の持つ物語の味がより強調されて、アオは逆にエンタテイメントな部分がより強調されたわけだ。
と、言わずもがなの事を言ってみた。すいません。
で、私はもともとそんなに新感線の「歌」に思い入れがないため、アカが好きっていうのもまあそりゃそうだよな、という感じなのですが、しかしこのドラマ性、ショー性の他にもうひとつないか。何か忘れてないか。新感線といえばこれってものを。
それが多分「笑い」だと思うんだ。
いや、アカ笑えたじゃんアオ面白かったじゃんタナカ最高じゃん!うん、そう思う。
でも両者通じて爆発的に笑いを取っていたのってはっきり言えばアオの三宅さんぐらいじゃないか。出てきただけでおかしい、何をしてもおかしい。なのに最後はカッコイイ。そういうテイストを醸し出した人は他にいなかったと思う。あえて言えばアカのじゅんさんだけど、それも押し寄せるドラマチックウェーブの前の箸休め的笑いだったような。何しろ今回のじゅんさん格好いいんだもの!とにかくオットコマエなんだもの!最後はカッコイイ、じゃなくて全編カッコイイんだよ!思い出すシーンもお笑いシーンより「拳で殴るは男の意地」だし「こうなりゃ付き合うぜ!」なわけですよ。
アカの映画を見たとき思いだしたんだ、そうだ、アカ初めて観たとき「ここ笑いを取るつもりなんだろうな」と思った、つまり思っただけで笑えなかったシーンが多かったんだ。特に捨、極楽、邪鬼丸あたり。他の二者はしょうがないとしても古田さんはなあ。でもあまりにもカッコイイので見てるうちに忘れたんだよ。←いい加減
感想で「新感線も大人になった」と書いたのはそこなんだ。アカは本当にバカやってんな、って感じが少ない。本来ならここでもっとおちゃらけるだろう本筋忘れて、ってとこでもぐっと我慢してるんですよ。結果非常にストイックな、そして演者の実力魅力円熟味が見事に合わさって、髑髏城が本来持っていた「物語としての魅力」を十二分以上に引き出す結果になった。97年の髑髏城はそりゃ良かったが、「物語としてどちらが上か」と言われたら大差をつけてアカだろう。更にそれを助けているのが音楽だ。アカは97年の時にも使用した「髑髏城のテーマ」を前面に押し出す形を取り、劇中でも最も重要なシーン(オープニング、五人が髑髏城へ向かうシーン、そして髑髏城炎上、エンディング)と四度に渡ってそのモチーフが繰り返される。中でもオープニングのアレンジは新感線音楽史上最高傑作と言っていい出来であって、この音楽と振り落としの幕、そしてセンターに立つ古田、とそれだけで白飯3杯は軽く行ける完成度だった。

97年の良さって、言ってみればもっとバカなんだ。っていうかアカで「名場面」と言われているところだって、本来は「笑い」から発している部分が多い。月下の蘭の立ち回り、あれ大算盤ですからね。「またつまらぬものを斬ってしまった」ですからね。笑うよ、笑うでしょ。笑いながら「格好いいなあ」と思ってたわけですよ。草刈り鎌だってそうだ。あんなしょぼい武器であんな強いやつを!っていう。しかも鎌!みたいな。贋鉄斎だって完全にお笑いキャラっすよ。今でも覚えてる、「お前は脳に虫を飼っているなー!」の捨の絶叫。髑髏といえばこれ、の名シーン百人斬りだって、「研ぎながら斬る、斬るたびに研ぎ直す」が冷静に考えれば可笑しいだろう!わたしゃ中座で見ながら爆笑してましたよ。爆笑しながら、泣いてたんですよ。可笑しいわ格好いいわ泣けるわ、もうどうしてくれよう状態で。

アカもそうすれば良かった、じゃないですしつこいようですが。アカでそんなお笑い脱線持ってきたら感動台無しだ。時間も長くなるし。じゃなくて、問題はアオなんだ。アカはドラマ性を担当するというその目論見を充分に果たしたと言える。だからアオはゴージャスなショーを、派手さを、ファットな髑髏城を目指したのだから、笑いに対してももっとファットであってよかったんじゃないかと思うわけです。言ってみればもっと三宅さん的笑いがあってよかったってことです。バカ方向にショーアップされたエンタテイメント、じゃなくて純粋にショーアップされたエンタテイメントな髑髏を目指したのだろうけども、それで3時間半強、歌あり踊りありで楽しませるには若干力不足、手札不足だったというのが正直なところだと思う。これは演者の責任ではなくて、方向性の問題で。捨に染さまを持ってきている時点で、いや、アオのキャスティング全体からバカ方向のショーアップなど有り得ない話なのだけれども、しかしアカ、アオ二つの方向性以外にも「バカ方向」という視点も新感線にはあるよね、と思うわけです。おポンチってことじゃあなくてだよ。笑って笑って、笑ってるうちに涙が止まらなくなる、そういう方向性もあるよねってことです。

でも、笑いをやるには体力がいる。頭がいる。力がいる。涙を誘うのなんて簡単なんだ。人を笑わせる方が、何倍も難しい。笑って笑って、バカやってバカやって、そして着地点を提示するなんて本当に至難の業だと思う。
でもその至難の業を、求めてみたくなるのね。新感線といのうえさんには。

このドクロイヤー、私は本当に楽しみました。アカもアオも本当に楽しんだ。色々言ってても、あるレベル以上のものを見せてくれていることは間違いないです。それに、この連続上演で「髑髏城の七人」の持つ可能性はすごく広がったと思う。2バージョン連続公演、小説、戯曲、舞台映像の映画館上映。次はなんだ?そして7年後はどうなるんだ?
今度はどんな「髑髏城」が生まれるのか。私は追いかけ続けますよ。こんな傑作が様々に生まれ変わる現場に立ち会えてるんだから、これぞ芝居見の醍醐味、至福ですよ。
もっと、もっと、魅せてくれ。私は待ってるぞ!