なぐさめてしまわずに

つべやにこをうろうろするのって私も本当にだいすきで、昨日は日本未放送のcsiシリーズのspoilerとか見てぎゃあぎゃあ言ってたんだけど、そのあといくつかpillows(武道館決まったと小耳に挟み、ぜひ行ってみたいとか思ってるミーハー子ちゃんは俺)だったかなあ、ライブの映像とかぽつぽつ見てたらどんなリンクかわかんないんだけど小沢健二くんがでてきた。

この「ある光」の映像見たの初めてで、うわーって、なんでかっていうとこの小沢くんすごくセクシーじゃないですか?私にはすごくセクシーにみえる。歌番組に出ているのもいくつか残してあるけれど、セクシーって思ったことはなかったのでそれがすごく新鮮だった。投稿してくれた人のコメントにもあるけど、なんていうかちょっとやけっぱちで、どこか苦しそうで、でもだからそんな風に見えるんだろうなと思う。このあとすぐに隠遁、とも思える生活に突入してしまったことを知っているからそう思うだけなのかもしれないけど。

私が小沢健二を聴くようになったのはものすっごくベタな理由であれだが私の好きな人が小沢くんを好きだったからです。それでLIFEを聴いて、そのあとに1stアルバムの「犬は吠えるがキャラバンは進む」を買って、その歌詞カードに書いてあったライナーノーツを読んだ。それを読んだとき、あーっなんか小沢くんて、庄司薫さんみたい。そう思いました。庄司薫さんというのはいまだに私の人生においてもっとも重要な一冊と言っていい「赤頭巾ちゃん気をつけて」の作者で、私はこの本を数え切れないぐらい読み返しているし、表紙が変わるたび、版が変わるたびに買い直しているわけですが、その庄司さんの文体とすごく似ているのよ。少なくとも私はそう思った。たとえば

「言い古された言い方をすると、作者に全てがわかる訳じゃない。でもお喋りな作者というのは常にいて、哀れにも自分の作品には及びもつかないみすぼらしいメモ帳の切れはしを読み上げてしまったりする。僕は過去に何人ものそういう愛すべき作者たちが好きだったんだけど、今回はどうやら僕の番のようだ。せいぜい堂々とやろう。」

「ある友達の女の子が出来たばかりのこのアルバムのカセット・テープを聴いて、何かゴスペルみたいねと言った。その時僕は即座に言わなくてもいい軽口の2つ3つをたれ流してその場をごまかしたんだけど、本当はその子をぎゅーっと抱きしめてしまいたかった。」

「しつこいけど、こんな風に書き連ねているたわ言は、本当にただの性急なる僕の無駄口にすぎない。」

こんな感じ。引用してもぴんと来ないかもだけど、なにより全体を貫くトーンがとてもよく似ている。

犬は吠えるがキャラバンは進む

犬は吠えるがキャラバンは進む

後年「dogs」としてリマスターされたけど、それにはこのライナーノーツは入っていない。

そうして、私の敬愛する庄司薫さんも、好きな人に引っ張られて出会った小沢健二くんも、本当に(端から見れば)唐突に、その輝かしいとも言えるキャリアをばたばたと畳んで、庄司さんの言葉を借りれば「ばかばかしさのまっただ中で犬死にしないための方法序説」というようなものへの違う形での挑戦をはじめて、私たちに聞こえてくるのはかすかな生存確認、というようになっていることも、やはり、なんだか似ているなあと思ってしまう。

それでもこうして突然タイムマシンみたいに昔の(ちょっとやけっぱちの)小沢健二というシンガーが歌と格闘しているところを見られるってすごい。小沢くんのことで私が忘れられないのは、彼が「笑っていいとも」に出たとき、タモリさんが常にない熱心さで、彼の歌詞を称えたことだ。「さよならなんて云えないよ」の「左にカーブを曲がると光る海が見えてくる/僕は思う/この瞬間は続くと/いつまでも」。これは書けないよ、とタモリさんはとても真剣に言った。この歌詞は書けない。私もそう思う。この瞬間は続かない。それを「本当はわかってる」、だけど、この瞬間は続く、いつまでもと書く勁さ。やけっぱちの「ある光」とおなじぐらい、すてきだ。