「ビリー・エリオット ミュージカルライブ」


今、これを読もうとしてくれている人は少なからず興味がある方だと思うので、だとしたらもうこれを読む前に映画のチケット取っちゃいましょうよ、迷わず見ろよ、見ればわかるさ、そう言いたい私なのである。ミュージカルに興味はなくても、生きることの肯定と興奮を感じたいとおもっているひとには是非!見て!とおすすめしたい。本来ならイギリスまで出かけなければ見られないこのミュージカルが2000円で見られる!!お得にも!!ほどが!!!マジで必見です!!!

物語の筋は映画「リトル・ダンサー」そのままです。84年の炭坑ストに苦しむイギリスの町、幼いビリーは早くに母を亡くし、父と兄は炭坑夫として働いている。ふとしたきっかけで覗いたバレエ教室でのレッスンに心惹かれ、踊ることに目覚めていくひとりの少年。

すぐれた作品にはどこか魔法のようなものがかかっていると実感することがありますが、この作品もまさにそれで、見ているうちに感情のコップのようなものがつねにひたひたと満ちているような感覚になるんですよね。だからふとしたきっかけひとつでそのコップがあふれてしまう。長く続く炭坑ストを闘う炭坑夫たち、その空気が取り巻く中でやりたくもないボクシングの教室に通わされるビリー、そういった抑圧の空気がきちんと描かれているからこそ、それが解放されたと感じる瞬間に涙が出てしまう。

途中で歌われる「鉄の女」マーガレット・サッチャーに対するシニカルな歌、かつてイギリス経済をも左右すると豪語していた最大の労組NUM(全国炭坑夫労働組合)、スト破り、時代背景そのものが今イギリスでこの舞台を見ている多くの観客にとって「自分たちの歴史」にほかならず、ウエストエンドでロングランとなっているのもむべなるかな、とおもいます。確か、職場復帰したものにはクリスマス一時金が支給されたはずで、だとするとあのシーンに至るまでにスト破りをした仲間もけっこういたのかな、と想像したり。

本当にすばらしいシーンの連続で、あげればキリがないほどなんですが、演出的にのたうち回るほど好きだ!と思ったのはビリーの祖母アン(ちょっと認知症を患っている)が、自分の夫、つまりビリーの祖父のことを語る場面。舞台の下手の小さなテーブルで語り出す祖母と孫、上手からはモダンにキメた男性ダンサーが煙草をくゆらせながら次第に下手の彼らに近づいていく。まったく異なる時制と場所を同時に出現させて、しかもそれがすばらしい効果を生むというのは演劇の醍醐味のひとつでもあると思いますが、まさにこういうシーンなんだよ私のツボなのは!!と膝を打ちまくりました。彼女が、アイツはろくでなしのクズ野郎、でも踊っているときは私だけのマーロン・ブランド、と夢見るような瞳で歌うのもすばらしいし、けれどもう一度人生をやり直せるなら男になんて頼らない、シラフで人生を送るなんてごめん、と言い放つところも最高にグッときました。

そしてもうひとつ、オーディションに合格してビリーが町を離れるシーン。その前に、組合の敗北が伝えられ、父も兄も炭坑夫として職場にもどっていく。父から洋服の畳み方を教わるビリー。荷物を詰めて未来へ歩き出すビリーと、それを見送る父の顔を炭坑夫たちのヘッドライトが照らし出す。いくつにも重なるそのヘッドライトはビリーを照らすスポットライトのようでもあり、暗い地下の世界へ沈んでいく父や兄からの餞の光のようでもあり、うつくしさとせつなさが入り混じる見事な演出だったとおもいます。

上の写真はビリーが「大人になったビリー」と踊るシーンなんですが、このシーンの幻想的な美しさも忘れがたいし、踊りたい、という気持ちをわかってもらえないビリーがその感情を爆発させるアングリーダンスも、「踊っているときどんな気持ちがする?」と問われたビリーが、言葉ではうまく言えない、でも音楽が鳴り、身体のなかを電気がはしる、そして僕は自由になる、とその衝動を昇華させるダンスも、いやもうほんと名場面、名曲、名台詞の連打すぎですってば!

そうだ、お母さんの手紙のところはもれなく涙で轟沈していたわたしです…「手紙」ってやつにひときわ弱いというのはあるにせよ自分でもどうかと思う轟沈ぶりだった…ハンカチは1枚じゃ足りなかった…。でもってウィルキンソン先生との別れのシーンでも轟沈したし、ビリーがお父さんに抱きつくとこでも轟沈したし、お父さんのスト破りのとこでも轟沈した…。轟沈しっぱなしやないか!

コミカルな場面もすっごくよくって、ボクシング教室のやりとりもおかしいし、ビリーの親友マイケルの「くるみ割り」に爆笑したし(っていうかマイケル、良すぎでしょ!ああいうタイプの役柄をやるひとにしぬほど弱い俺!)オーディションに来たお父さんがダンサーのもっこり見てチンポジ直しちゃうシーンとかも大好きです。またあのラストで、ビリーがマイケルの頬にキスをおくるとことかキュン死によ、キュン死に!

カーテンコールでの、みんながチュチュを着て踊りまくるシーンもふくめて、ほんとうに「生きている、だから踊る」という喜びがあますところなく表現されていると同時に、「踊ることができる」ことの尊さも感じることができる3時間です。もう言葉でいくら言い尽くしても結局のところ「見ればわかる」としか申し上げられない、すばらしい体験でした!