花の下には涯がない

先日、グランシップに子供のためのシェイクスピアリア王」を観に行ったとき、併設の静岡芸術劇場のロビーを覗いたら、演劇関係書籍の閲覧ができるスペースがあり、その中に「定本・野田秀樹夢の遊眠社」もあった。もちろん発売当時に購入したが、現在は手元にないので(転勤族の悲しさである)、この折でもあるし「贋作・桜の森の満開の下」についてどんなことを書いていたのか確認したくなり、手に取ってみた。

「定本・野田秀樹夢の遊眠社」は、劇団史のみならず、野田秀樹の創作ノートや稽古場でのメモなどが多数掲載されたもので、そこには「制作現場」における野田秀樹のかなり赤裸々な言葉が綴られている。その中には劇団員に対するかなり辛辣な言葉も含まれており、「劇団」のファンにとっては楽しさと同時にどこか胸の痛くなるものでもあった。

「贋作・桜の森の満開の下」については、脚本段階でのイメージのふくらみから稽古場で作品ができあがっていく過程が綴られているが、その中に「自分の手がけた作品の中でも、美しさでは随一というようなものになる」との言葉があり、深く頷いた。そして、一貫して書かれているのが、夜長姫を演じた毬谷友子への賛辞である。

今年、歌舞伎座の八月興行に「野田版 桜の森の満開の下」がかかることとなり、私も含め多くの人間が過去の上演の記憶をなぞっていたと思うが、初めてこの作品に触れた方には、その「回顧」の多くに、作品への思い出とともに毬谷友子の名前を見つけたのではないだろうか。「贋作・桜の森の満開の下」は一種、演劇を愛するものの大好きな「伝説」めいたものを残した作品であるが、その伝説のかなり多くの部分を、この毬谷友子による夜長姫が負っていると私は思っている。「定本・野田秀樹夢の遊眠社」の中でも、とある有名女優が上演後野田のもとを訪れ、よくぞここまでぴったりした役者を見つけた、と感銘を伝えたことが書き残されている。これを受けて野田秀樹は「(主演女優を外部から入れることで)劇団のファンの反発も覚悟したが杞憂だった」こと、自分の「ことば」を具現化することのできる役者と組めることの喜びを綴っている。

2001年の新国立劇場での再演時に夜長姫を演じたのは深津絵里である。深津はそれ以前にも「キル」「半神」と野田秀樹作品の再演を託されており、信頼の厚さがうかがえるが、この「桜」の再演に際しては、今までにないほど沢山の関係者から「大変だね」と声をかけられ、自身もプレッシャーを感じていることをインタビューで明かしていた。とはいえ、あの当時において、深津絵里の夜長姫という選択はほぼベストなものであっただろうとおもう。彼女が傑出した女優であり、舞台において観客の期待に十二分に応えたことは間違いない。しかしそれでもなお、毬谷友子の夜長姫の印象は私の中に根強く残ることとなった。まるで振り返るとどこまでもついてきそうな夜の桜の森のように。

私は今まで、沢山の舞台を見てきたが、この「贋作・桜の森の満開の下」をおもうとき、誰か特定の役者に「この人に夜長姫をやってもらいたい、この人の夜長姫が見てみたい」と思ったことはなかった。野田秀樹勘三郎のタッグでこの舞台を手がけるのではないか、その際には玉三郎が夜長姫をやるのではないか、との噂があった際も、「それが実現するのならぜひ観たい」とは勿論思ったが、玉三郎の舞台を観るときに「この人に夜長姫をやってもらいたい」という想像をめぐらせたことはなかった。それほどまでに毬谷友子による夜長姫の呪縛は強烈だった。

3年前のことだ。コクーン歌舞伎で「三人吉三」を観たとき、ふと七之助が夜長姫の台詞を言うところを想像した。2年前の阿弖流為で、その思いはふたたび首をもたげた。この人が夜長姫をやったらどうだろう。あのアラハバキの見事な見顕しを見ながら、何度も夢に見た舞台の台詞を思った。この人の、この人のやる夜長姫が見たい。初めてそう思った。私の思い出を超えて、呪縛を超えて、あの夜の桜の森に連れ出してくれるのは、この人なのではないか。そう思った。

初日まであと10日を切った。すでに通し稽古が始まっているという。こんなにも思い入れて、自分がどうにかなりそうだと思う。しかし、過去にこのブログにも書いた通り、私はすべてをなげうって、初日の舞台に駆けつける。誰もいないけれども、約束があるのだ…。坂口安吾の「桜の森の満開の下」にある台詞のように、約束した舞台に、会いに行くのだ。